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北アフリカの国エリトリア。
聞き慣れない名前かもしれないが、
1993年にエチオピアから独立したばかりの新しい国。
街は、いまだ独立戦争の傷跡が深く
華やかな観光名所とは無縁。はっきりいって地味。何もない。
港町マッサワと首都のアスマラをつなぐ蒸気機関車の車窓から見えてきたのは、土ぼこりに包まれた黄土色の街の中に
はにかんだような笑顔でこちらに手を振ってくれる人々。
映像や写真を見返せばディティールを思い出したりもしたけど、
とにかく、ざっくりとした記憶は「特に何もない景色の中に、人がまばらにいる」。これだけ。
何もないからこそ、そこに暮らしている人々について考えてみる余裕があった。
名所旧跡などの観光資源が豊かな国であればあるほど、
そっちに振り回されそうになるのがいつものパターンなんだもの。
今回訪れる中で唯一のアフリカの国だけれど、
一般的にあるアフリカのイメージにあるような、パワフルで、陽気な人々というわけではなく、体つきも細身で、どちらかというとシャイで、まじめな印象。
まだ生まれて間もない国を、みんなでつくり上げていこうという、ひたむきさを持った人々。
では、そんな人々がどういった音楽を聴いているのか。
とあるイベントで、古くから根付いている音楽と、いまどきの若者が聴いているような音楽を同時に聴くことができた。
いわば、エリトリア新旧ダンスミュージック体験。
前者の伝統的な音楽は、伴奏が手拍子のみの、プリミティブ、
かつ、最小単位のフレーズが延々と繰り返される。
それは、先述したように、わたしたちがよくイメージするアフリカの音楽ほどエネルギッシュで、血沸き肉踊るようなものではなく、素朴でやさしいミニマルミュージック。
そして現代の音楽のほうは、バンドによる演奏だった。
「肩の力を抜いたアフロビート」のような軽快なリズムに、
彼らのおもな宗教であるイスラムやアラブ文化のような旋律が交わり、
やはり強烈さはないものの、じわじわと楽しくなってくる音楽。
新旧ともに基本「縦ノリ」で、とくに振り付けらしい振り付けはなく、
人々は上にピョンピョンとかわいくジャンプしながら踊っていた。
もちろんわたしが聴いたのはエリトリアのほんの一面にすぎないかもしれないが、そのお国柄・人柄が音楽にもにじみ出ていたと言えるだろう。
最後に、写真についても触れておこうか。
今回選んだのは、港で出迎えてくれた女性たち。
褐色の肌の色に、白い民族衣装、そして緑、赤、水色の国旗。
それらの色がはっきりとコントラストを成して、手拍子つきのシンプルな歓迎の唄とともに、
まっすぐに届いてきた瞬間を切り取ったもの。
ふたたび訪れることはないだろうけど、
日本から遠く離れた、華やかさと無縁なこんな国でも、
そこには街や村があって、人がいて、家族がいて、笑顔があって、
一日一日を生きているんだという、当たり前のことを再認識させてくれただけでも、エリトリアにありがとうが言いたいわたしなのだった。
今回、わたしはたしかにインドへ行ったけれど、
いまひとつ実感がわかないでいる。
というのも、仕事のため、わずか一日足らずの滞在であったということ、
時間がなくてカレーが食べられなかったいうこと!
これが、なんといっても、自分にとって「インドに行ったことにならない」最大の理由なのでR。
そして、訪れた場所が少し特殊だったということ。
その場所とは、南部ケーララ州にあるコーチンという街。
インドでは、宗教的であったり、迷信的な考えが根強く残っているが
それがインドの魅力でもあり、発展を妨げてきた原因でもある。
ケーララではそれらをとりのぞき、
科学的な思想にもとづく民衆参加型の行政・教育が行われている。
インド全体が60%という中、識字率がなんと100%であり、
英語教育にも熱心で、優秀な人材を世界にむけて輩出している。
そういった外へ開けた動きと同時に、地域の伝統も重んじ、
他国(とくに多国籍企業)に頼らない産業の推進や、
インド人としてのアイデンティティーを確立させることにも力を入れている。
こう書き並べてしまうと、一見怪しい団体に思われるかもしれないが、
決してそんなことはなく、民衆ひとりひとりの草の根的パワーで
成り立っている、モデルケースとしても注目されている地域なのだ。
それを仕掛けたのが、ひとつのNGOであるというから驚き。
KSSPという、「社会経済革命のための科学」をポリシーに、
民衆への啓蒙運動や、自立を支えるためのプロジェクトなどを
行っている団体が主体となり、ここ40年足らずでケーララを劇的に変革させたんだそうな。
わたしたちは村の学校を訪れた。
教科書どおりの勉強でなく、考える力を伸ばすカリキュラムが
実践されているというだけあって、
こどもたちは外の文化に対して好奇心が旺盛だし、
未知の領域に対して、その吸い込まれそうなくらい大きな目で
しっかりと見ようとし、耳を懸命に傾けようとしていた。
こどもらしい「元気いっぱい」だけでない、
底知れぬパワーを感じずにはいられなかった。
自分の求めていたインド体験ができなかったのは未だに心残りだけれど、
この国のまた別の側面を新たに知ることができたこと、
そして、オバマじゃないけど"We can Change"の精神にふれることができたということで、
結果オーライの大収穫っ!
やっぱりすごい国だな、インドって。
サンスクリット語で「ライオンの街」を意味するシンガポール。
物心ついていない頃(2-3歳)にじいちゃんの会社の社員旅行で1回、
たまたまツアー行程に含まれていたから立ち寄ったのが1回、
仕事で2回、という具合に、毎回自分の意思でなく訪れている国。
貧乏旅行ばかりしている身としては
全体的にキレイで快適すぎだし、日本人多いし、
なんだか物足りない国、てかちょっとスルーするくらいでいいか、という印象の国。
そんな特に思い入れのなかったシンガポールだが、
今回は移動機関のトラブルで足止めを食らったため、
1週間も滞在することになった。
あまり買い物には興味ないし、お金も使いたくないので、
自分にとって最大の楽しみは、うまくて安いものを求めて食べ歩くこと。
目的は食べ物であったけれど、時間をかけてじっくり探れば探るほど
この国のおもしろさが見えてきた。
やっぱり海外・国内どこでも、それなりの時間をかけないと、
その土地を知ることなんてできないもの。
多民族国家であるこの国の文化的特徴は「多文化」としか言いようがない。
街の中心部にはHMVもあって、欧米や日本の音楽が売られているし、
リトルインディア、チャイナタウン、アラブストリートに行けば、
それぞれの民族の音楽や言語が耳に入ってくる。
英語がうまく通じない時もしばしば。
キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教...
考えてみたら、これだけの民族と宗教が同居していて、
きちんとオーガナイズされてる国ってすんげ〜ことじゃないか。
とくに、民族だとか、宗教を意識することのない、
日本という国で生まれ育っている自分だからこそ、そう思える。
ちなみにちょうど今、カニエ・ウエストが来てるらしい。
まあここで時間とお金使うのはもったいないから行かないけど!
こんにちは。レコミュニスタッフのeeteeです。
突然ですが、今日から地球一周ブログはじめます!
これから世界十数カ国を旅しながら、
できる限り現地の音楽情報を交えてお送りしていく予定なので、
3ヶ月ほど、よろしくお付き合いください。
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9月13日、ベトナム中部の街、ダナンに到着。
ずっと船での移動が続いたので、久々の陸地!
今年は、日越国交35周年記念の年。
市内の大きな劇場では、記念式典が執り行われ、
いつもあたたかく迎え入れてくれるベトナムの人々は、
さらなる熱烈歓迎ムードでいっぱい。
その一環イベントの、日本とベトナムの若者文化交流会場に足を運んだ。
その中に「ベトナムの若者のいま」を垣間見ることができたので、
さっそくレポートしよう。
まず、向こうの若者は、なによりも
「みんなで一緒に」何かするのが大好き。
社会主義国だからかは分からないが、
ダンスでも、歌でも、買い物でもいつもみんな一緒。
大勢で手拍子したり、輪になったり、電車ごっこのようにぐるぐる回ったり...
小柄で日本人以上に幼く見え、純粋で、優しく、そして驚くほど元気。
そんな彼らが好きこのんで聴く音楽は、両極端。
ひとつは、「キック」がかなり強いハード・トランス風のトラックに、
シンプルで覚えやすい、童謡唱歌のような歌が乗ったもの、
もうひとつは、メロディアスなバラード。
とにかくこの二タイプの音楽にちょっとダサカワイイ振り付けが入り、
飽きることなく夜通し爆音で大勢で歌って踊る...
かといって、それは「没個性」といったようなネガティブなイメージではなく、
溢れんばかりの集団生命パワーなのである!
これまでにも2回ベトナムを訪れたが、
若者にたいしては、そういうイメージを持っていた。
が、今回は少し違う。
そもそも、外国企業の参入にともない、企業ロゴのネオン看板が増えたり、
新しい建物が次々に建てられたり、道路が舗装されていたりで、
街の景観がこの6-7年でガラリと変わっていたのに驚いていたのだが、
変化の波は若者文化にも及んでいるようだ。
分かりやすい例で言えば、携帯電話やゲームの普及。
メールに興じる姿は、何ら日本の若者と変わらない。
そして、なんでもみんな一緒の「群舞」大好き青年たちの中にも、
ブレイク・ダンサーや、ヒューマン・ビート・ボクサーなど、
「個人芸」を披露する輩が出現したこと!
ベトナムのヒューマン・ビート・ボクサーはなかなかの腕前で、
石野卓球似の、素朴な青年だった。
そして深夜2時すぎ(!)からキャンプファイアー開始。
こちらでも人気のDJ OZMAの曲に合わせ、ベトナム流のダサカワイイ振り付けで
彼らは、爆音で踊り続ける。
一方、日本の若者勢、ややぐったりのご様子。
そうして夜が明けていった。
翌日、バイクで街を案内してもらい、一緒にご飯を食べ、
ほんの一日足らずの交流が終わりの時間に近づこうとしていたとき、
さっきまでハイテンションだったベトナムの子たちが
別れを惜しんで急にポロポロと涙を流し出した。
ひとりの子が泣き出すと、みんなもつられてポロポロ。(ここでもみんな一緒)
わたしは、別れの涙というよりも、
彼らの、こどものような純粋さに胸をうたれ、うるうる...
そして、アッパーなダンスミュージックや、センチメンタルなバラードといった、
彼らが好む音楽は、彼ら自身を映す鏡のようだということに気づく。
楽しいときも、悲しいときも、いつも、何ごとも100%でぶつかってくる彼らに、
日本人のわたしたちが忘れた何かを感じずにはいられなかった。