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霧の万年床〜楠 均のBGM日記

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      2007年11月27日

      11月3日 

      知人がヘンデルの「メサイア」全曲演奏会に参加されるというので見に行った。牧師さんのお説教つきで全部で3時間ほどもある大コンサートの前半は、目の前にいる美しいバイオリニストに見とれるうちに瞬く間に過ぎてしまうという罪深さ、これは宗教的な罠かとさえ思われた。休憩後は一転悔い改めて、なるべく視線を方々に散らすように努力した。

      そうして気がつけば、曲もデカイが編成もデカイ。合唱なぞ200人はいる。この200人が、どちらかというとふさぎがちな楽器の人に比べると実にあられもないほど表情豊かで、一見して歓びに満ちておられる。並外れた歓びが顔面からほとばしって、もともとの顔の造りが分からない方もいる。一体全体何が合唱隊をしてそこまでの喜びに駆り立てるのか。

      合唱嫌いな人が僕の身近にいて、その人は学校のクレゾール臭い斉唱の響きにアレルギーがあって、そのあおりでママさんコーラスもクアルテート・エン・シーも、果てはジャクソン5まで嫌いになってしまって、新婚間もなく無類のジャクソン5好きの夫と口論になって以来、夫婦の間で合唱は触れてはならぬタブーとなった。それがいわゆる合唱問題と呼ばれるもので、そういう人が今夜この光景を見たら何と思うだろう。僕自身は、今ここで君も歌の輪に入りたまえと言われても困るけど、泣く子と合唱には抗えない、と感じる。泣く子だった頃、たぶん襖の蔭から垣間見でもしたのだろうと思う、合唱の陶酔感。自分を遥かに越えた大きなものに包み守られる安心感とか、そういうものと一体になることの(100%官能的な)快楽とか。

      自分がそうだからといって「人間は」と一般化するのは軽卒かもしれないけど、「人間は」放っとくと自分のことばかり考えて、音楽でもやればミューズの助けで、或いは年をとればボケの力で、少しは救われるのかというとまるでそんな気配はなくて、むしろ自分勝手が重症になるばかりで、ああこの世は逃れがたい地獄巡りだぜと思うのがオチで、そこいくと合唱のようにひとつになることを目指す場というのは、自分を無視して無私や虫になれる数少ない機会で、それは疲れたから人里離れた神秘の温泉につかってまた明日から街に戻って頑張ろうということである以上に、ここで虫として自然の一部になっている感覚こそが生き物としての私の幸せの骨頂ではなかろうかと思わせるものがあるように感じられて、それだから僕はその他大勢の合唱団の前でつい無力で、その中で喜悦に溶けてしまいたいと思う一方で、でも合唱の輪の中に入ると本当に溶けてもうこちら側に戻ることができないんじゃないかという怖さもあり、それはジャクソン5嫌いな女人の合唱に対する嫌悪感と通底するものがあると僕はコンサートのさなかに感じた。だからと言って、合唱にも入らずに元バンドマン(57歳)、みたいな半端なことの延長で生きているのは、気楽に見えてそれはそれで群れからはぐれた狼というか迷える子羊と言われればまさにそれに相違ないとは思う。ただ、そう思ったからと言って、突然合唱の一員になって、己を捨てました、と朗らかに笑えばそれで良き音響に寄与到達できるかというとまたそれは別の話で、何しろもう何万年か群れから離れていたので、勘を取り戻すのに時間と修練が要る。

      (性欲を持て余す若者が何かの間違いで読んだら自分と関係ない話だと思うかもしれないから言っとくけど、この話は君の性欲と同じくらいビビッドな話だ。30年後に会おうぜ!)

      | Posted By XNOX クスノキス 投稿日: 2007年11月27日 16時18分 更新日: 2007年11月27日 16時18分

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