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霧の万年床〜楠 均のBGM日記

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      2007年07月19日

      5月11日 その3。 

      5月11日も「その3」となり、何か特別な一日であるかのような気がしてきます。でもそうではなくて単にヤクルトー阪神戦at神宮。

      家族で行く。5月の野球観戦は思いのほか寒く、そういえば去年はダウンジャケットを着込んで見たねと言ってたらいやどんどん冷え込み、来年はやっぱりダウンだね。

      もともと家族が行くと言い出して僕は独り家に残ってもいいのですが、行ってみると楽しいということが世の中にはあるもので、行ってみなければ楽しいかどうか分からないというようなあやふやな賭けには普段は応じない、というとほとんど家から1歩も出ないことになるけれど、自分1人なら絶対に出かけないと分かっている野球場はその心理的距離ゆえに却って、「まあ一度くらいなら行ってもいいか」という気にさせられたのである日行ってみたら、これが楽しいかもしれないと予想された枠一杯に楽しくて、つまり予想外に腰が抜けるほど楽しいというほどではないけれど、そこそこの楽しさがぬるま湯みたいにいつまでも丁度よくて、それで誘われるままについて行きます。楽しみのぬるさ加減が銭湯に似ている。(銭湯の湯自体は熱すぎると感じています。)

      球場というのは思いの外しけた場所で、たとえばサントリーホールなどと比べると内と外を隔てるための物理的・心理的な装置や仕掛けに乏しく、いわば馬鹿でかいコンクリート製のバケツを風が吹き抜けているに過ぎません。バケツのあちこちに穴があいていて、そこから風とともに人が出入りする。出入りのたびにドブネズミになったような気がします。お洒落も洗練もないのです。だけど多分そこがミソで、薄汚れたコンクリートバケツに、まるでそこが楽園だと信じているかのように幸福なドブネズミの男女が集うと、不思議なことに「確かにそうかもしれない」と気の迷いが生じてきます。緻密に設計されたサントリーホールにペルシャ猫が集っていい音が響いてうっとりするのは当たり前ですが、薄汚いコンクリートバケツの中でネズミになってワクワクするというのは解せない話ではありませんか。

      もちろんコンクリートバケツといったって馬鹿でかいのであって、でかいということはそれだけで人間にとってスペクタクルであるから、入口から入ってスロープを上ってなみなみとたたえられたカクテルライトのプールの中に頭が突き出たその瞬間にバケツ内部のスケールがどっと感覚に押し寄せてくる快感はちょっとしたものです。神宮だとこれに夕暮れの空が必ずついてきて、これもいいものです。特異なアートです。誰もアートを見に来てなくて、アートと無関係に飲み食いしたり騒いだりうろついたりラッパ吹いたりしている乱雑なアートです。乱雑とはいえ一応野球観戦のため集まっているので、人々の顔つき、振る舞いには共通性が見られ、その場限りの連帯感のようなものがうっすらと漂わなくもない。ゆるい参加型のアートです。人がいっぱいいる群像アートです。(現代中国の政治的なアートが、クローン群像を配置することで全体主義への批評の向こうに皮肉な哀愁を漂わせているのと決定的に違うのは、作者の意図に支配されていないという以上に、作者がいない、という点でしょうか。)

      同じ球場で行われてもロックコンサートなどと違うのはメインイベントの重みでしょう。野球においてつまらない試合というのは当たり前で、むしろ片時も目が離せない試合に遭遇するなど僥倖に等しいことはみんなわかっているから、「夕焼けが赤かった」と言ったり、「ばかやろう、やめちまえ」などの罵声によって一応の決着がついてまあ釈然とはしないまでも無事家路に着くわけだけれど、スタジアムで行われるコンサートとなれば最低でも「期待どおり」は期待されるわけで、「ライブは最悪だったけど夕焼け雲は良かったねえ」とか「暇つぶしになった」という感想は少ないだろうと思う。

      スポーツに限っても、野球ほど客がゲームに集中していない競技は他にないのではないでしょうか。メインがメインでないようなところがある。少年野球チームの一行などが束になってくるけれど、彼らの目的は攻守の変わり目に外野手が観客に向けて放るボールにある。サラリーマンの男女が連れ立って、あるいは待ち合わせてという光景も必ず目にします。そのうちの一人が泥酔してひどい野次を飛ばす。女性社員に絡む。グループの端っこの方では社内の人間関係が話題になっている。誰かがフライドポテトと焼きそばを買ってくる。オーッと声上がる。ビールを追加する。エビス生のエンジのユニフォームのお姉さんはいつも笑顔で経験豊富。飲みたくなくてもつい買ってしまう。でも内野席に回ってしまった。近くにはアサヒの瓶のお姉さん。まあいいや。一人が立ち上がり夕陽に手を振りアサヒを呼ぶ。アサヒまぶしくスタンドを駆け上る。この寒いのに半裸でご苦労さん。いえ仕事ですから。ベルトに挟んだお札が今日は少ない。親方に叱られなければよいが。(今夜もたくましく可憐な娘たちが北海のクリオネのように球場を飛び回っている。)さて応援団はと目を転ずれば、彼らは激しい応援行為と一般客を束ねての音頭取りに忙しく、まずもってゲームを見る余裕はないでしょう。そんな中に、声を上げずじっとグラウンドを注視する人たちがいる。この人たちは内野と外野の境目の最上段に近い、誰も近づかない極北のようなエリアにぽつぽつ散在しています。お祭り騒ぎの新宿歌舞伎町の端っこに雨のそぼ降る城ヶ島がある、と言ったらわかりやすいでしょうか。わかりにくいでしょうか。この人たちは目立った飲食をしない。缶ビールをちびちび飲む。紙袋からあんぱんを取り出して時折かじる。9割は一人で来ている。7割はサラリーマン風。あとは学生風、フリーター風。たまに老人風。たまにアベック風。と言ってもいちゃいちゃしない。僕が中学生だったら夏休みの自由研究はここに座る人たちへの聞き取り調査です。ゲームに集中したいのか、黄昏れたいのか、不倫の行方に思いを馳せているのか、そもそも人ごみが好きなのか嫌いなのか。訊いてみたいことがたくさんあります。退屈するとこのように球場内をうろつきます。場所によって眺めが大きく変わる。驚くほど。くらくら目眩がします。宝くじに当たってバックネット裏や内野指定席からの眺めも味わってみたいものです。(ひょっとしてそこでは試合がメインなのか?)

      | Posted By XNOX クスノキス 投稿日: 2007年7月19日 15時15分 更新日: 2007年7月19日 15時18分

      コメント

        野球中継に楠さんを呼んで
         しゃべってもらうと
        不思議な中継になりそうだ
      by 松島玉三郎 - 2007年7月24日 14時3分
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