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a person powered by ototoy blog
Lamblashのメルボルン改めTokyo公開語録病的な意味ではなく、何となくいつもアタマの底で
wmaストリーミング位の映像がぐるぐる回っていて、
フツウに起きていてもそちらに意識をあわせると、
何かしらあるのです。
実際に見たものとか記憶とか、どっから来たのか解らないものが、すごい勢いでマッシュアップされて出来上がる世界。
…一人っ子ってきっとこのタイプ多いと思うんだよな。
騒げない上にオトナが構ってくれない時間(車内とかオトナのお客様が来てる時とか)、
適当に想像でヒマつぶししてた名残。
そのまんまでかなりいい歳になってしまったのは問題だ。
(お陰で待ち時間とか結構得意)
ごくたまに眠れない時、このwmaストリーミングサイズの脳内劇場が、いわばとんでもないハイレゾリューションの巨大映像スケールになって、アタマの中に納まらなくなってしまう時がある。
昨日はそんな夜だった。
ちょっと面白かったんで記録しておく。
ちなみに物理学+オカルトチックですが間違っててもツっこまないで下さい。(たかが寝れない夜の妄想なんで!)
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3次元の世界、立体というのは、重力・引力があるから成り立つものであって、"もの"という存在同士が引き合うことによって生まれる。
引き合わない世界には空間がない、だから立体にはならず、すべて平面になる(2次元の世界)。
引き合った空間にできるものは、物質の世界で言えば「光」、「エネルギー」といったもの。
内側に向かってアールのついたひし型=四方に引っぱられた四角形を縦(上下左右)・横(奥・手前・左右)の向きで重ねて配置してみると、星型のような形になる。それが光とエネルギーのシンボルである。
これは精神の世界にも言えることで、精神という"もの"の存在が引き合うからこそ3次元の世界が成立している。
精神の世界で言うところの「光」「エネルギー」とは、簡単に言うと「愛」、聖十字や合掌の形は、前述したシンボルをかたどっている。引き合うところに生まれるエネルギーが光であり愛なのだ。
ところで、音というのは、物質の世界において最も認識しやすい、先ほどから述べている"もの"という存在(=実態を伴うとは限らない)そのものに最も近い存在である。
見えない、触れられないけど、確かにある。
偶像を拝む事を禁止する教えにある立方体は、おそらく物質の世界における"もの"の象徴で、そこに毎日絶える事無く、唄うように向けられる祈りという音は、精神の世界における"もの"の象徴ではないだろうか。確かに、世界にそれ以外は存在しない。
精神と物質の両方の"もの"が引き合うエネルギーは愛であり、光であり、"全て"である。
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話が大きくなりすぎたので小さく。
『引き合いを伴わない関係性はエネルギーを生まない。』
その時まさにそういう関係性の真っ只中にいて、
実際には引っぱられてる方向に気づきつつ、
別の方向を向いて逃げて、かえって収集のつかなくなってる自分に気づいて、涙が止まらなくなった。
そうだ、エネルギーを逆方向に引っ張るとブラックホールだ。
あー、私は何をやってるんだ?
エネルギーが生まれなく、ただ削がれて、ひたすら無限の平面が続く2次元的な心になってしまうんじゃないか。
そして、自分の行動によって自分の心が削がれた事実を、無理矢理にでも今日のうちに認識させたかったのか(<誰が?)、妙な偶然が帰り際に起こって、心が静まるわけもなく、結局私は今日も眠れてない。
仕事が楽しいという事は、本当に大きな救いだ。
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