a person powered by ototoy blog

Lamblashのメルボルン改めTokyo公開語録

2007年10月

2007年 10月 23日

脳内劇場 宇宙編 

病的な意味ではなく、何となくいつもアタマの底で

wmaストリーミング位の映像がぐるぐる回っていて、

フツウに起きていてもそちらに意識をあわせると、

何かしらあるのです。

実際に見たものとか記憶とか、どっから来たのか解らないものが、すごい勢いでマッシュアップされて出来上がる世界。

…一人っ子ってきっとこのタイプ多いと思うんだよな。

騒げない上にオトナが構ってくれない時間(車内とかオトナのお客様が来てる時とか)、

適当に想像でヒマつぶししてた名残。

そのまんまでかなりいい歳になってしまったのは問題だ。

(お陰で待ち時間とか結構得意)

ごくたまに眠れない時、このwmaストリーミングサイズの脳内劇場が、いわばとんでもないハイレゾリューションの巨大映像スケールになって、アタマの中に納まらなくなってしまう時がある。

昨日はそんな夜だった。

ちょっと面白かったんで記録しておく。

ちなみに物理学+オカルトチックですが間違っててもツっこまないで下さい。(たかが寝れない夜の妄想なんで!)

-------------

3次元の世界、立体というのは、重力・引力があるから成り立つものであって、"もの"という存在同士が引き合うことによって生まれる。

引き合わない世界には空間がない、だから立体にはならず、すべて平面になる(2次元の世界)。

引き合った空間にできるものは、物質の世界で言えば「光」、「エネルギー」といったもの。

内側に向かってアールのついたひし型=四方に引っぱられた四角形を縦(上下左右)・横(奥・手前・左右)の向きで重ねて配置してみると、星型のような形になる。それが光とエネルギーのシンボルである。

これは精神の世界にも言えることで、精神という"もの"の存在が引き合うからこそ3次元の世界が成立している。

精神の世界で言うところの「光」「エネルギー」とは、簡単に言うと「愛」、聖十字や合掌の形は、前述したシンボルをかたどっている。引き合うところに生まれるエネルギーが光であり愛なのだ。

ところで、音というのは、物質の世界において最も認識しやすい、先ほどから述べている"もの"という存在(=実態を伴うとは限らない)そのものに最も近い存在である。

見えない、触れられないけど、確かにある。

偶像を拝む事を禁止する教えにある立方体は、おそらく物質の世界における"もの"の象徴で、そこに毎日絶える事無く、唄うように向けられる祈りという音は、精神の世界における"もの"の象徴ではないだろうか。確かに、世界にそれ以外は存在しない。

精神と物質の両方の"もの"が引き合うエネルギーは愛であり、光であり、"全て"である。

--------------------

話が大きくなりすぎたので小さく。

『引き合いを伴わない関係性はエネルギーを生まない。』

その時まさにそういう関係性の真っ只中にいて、

実際には引っぱられてる方向に気づきつつ、

別の方向を向いて逃げて、かえって収集のつかなくなってる自分に気づいて、涙が止まらなくなった。

そうだ、エネルギーを逆方向に引っ張るとブラックホールだ。

あー、私は何をやってるんだ?

エネルギーが生まれなく、ただ削がれて、ひたすら無限の平面が続く2次元的な心になってしまうんじゃないか。

そして、自分の行動によって自分の心が削がれた事実を、無理矢理にでも今日のうちに認識させたかったのか(<誰が?)、妙な偶然が帰り際に起こって、心が静まるわけもなく、結局私は今日も眠れてない。

仕事が楽しいという事は、本当に大きな救いだ。

| Posted By lamblash 投稿日: 2007年10月23日 4時13分 更新日: 2007年10月23日 4時15分

コメント

name:
comment:
【コメントに関する注意事項】
記事と全く関連性のないコメント(例:宣伝目的のコメントスパムなど)は、オーナーの判断により削除される場合があります。 - レコミュニ会員としてコメントする

トラックバック