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Lamblashのメルボルン改めTokyo公開語録昨日、半年近くぶりに会った友達 + いつもの弟分と話してて…
「会社の人にはクラブのことは言えない」
「クラブ行くっていうだけで、ちょっと変な目で見られる」
ちなみにみんなクラブ歴もぼちぼち長く、しかも立派に働いている社会人だ。
仮にも音楽エンタメ業界の端くれで働く私は、そんな感覚をすっかり忘れてしまっていた。
音楽も夜遊びもクラブも、私にとってはいわば「ハイパー日常」とでも名づければよいような事柄で、日常の世界との距離はあれど、日頃の仕事の延長線にある。
でも、みんなにとっての音楽・夜遊び・クラブは、日常とは別次元にある世界なのだ。
ハレの世界。祭。
楽しさや喜びを求めて、日常を切り捨てる。
それがまだまだ(いい年した社会人として)一般的にイメージの悪いことだというリスクを引き受けているのだ。
改めて自覚しなければいけない。
自分の日常は、多くの人たちのハレの世界に属しているのだということ。
自分というちっぽけな存在ですら、ハレの表象の一端を引き受けているのだということ。そこでやることには責任があること。
まあもちろんハレの世界の本質は偉大で強大で、
私一人ごときが何かしたところでとても揺るぐようなものではないのだけど…。
少なくても、ハレをケガしてはいけない!
これは、ハレの世界にひっそり住ませてもらってる上で、忘れてはいけない覚悟と心がけなのだと思う。
後ろ指さされるリスクは低いのだから、遊ぶ時は率先して大いに遊び、皆にその楽しさを伝え、自分のつまらない日常は持ち込まない。
折角得た幸運だ、後戻りはできない。
私はここで生きる。
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