a person powered by ototoy blog

RSS

カレンダー

2005/5
222324252627
31    
2005/6
   14
567891011
121314151618
19202122232425

月別アーカイヴ

カテゴリー

    Blogを公開している友人

    公開所属グループ

      2005年06月10日

      私の先生 

      昨晩大学時代の友人から,私の大学時代の恩師の訃報が届いた.

      高校を卒業し大学に行く頃,何をどうやったらいいのか分からずいろいろ道草を食った.大学では実社会に役立つ学問とは縁遠いところに行こうと数学,哲学の世界に.

      そんな私を面倒がらず,議論の相手になってくれた先生だった.

      合わなかったら辞めればいいと思って入った大学で,一番小さな,そして不人気の研究室がその先生の研究室で私の居場所となった.

      毎週週末の午後から夜中までの時間をその研究室でチャールズ・サンダース・パースという当時も今も人気のない「プラグマティズム」の思想家の本を輪読し,議論した.「アメリカに哲学者がいるの」という根源的な驚きとともに.

      もっともパース自身は独自の科学哲学者として第三の論理”アブダクション”の提唱者ということで最近は技術経営の世界にも出てきたりもし,また当時記号論の先駆者として竹中さんの日記にでている「前日の島」の作者ウンベルト・エーコなどが結構高く評価していたりするのだけれど.

      卒業する頃,年を食って進路が定まらなかった私に「就職先がなければ大学院に来い.そしてルポライター修業でもしろ.ただし,お前みたいなヤツは間違っても絶対に学者には向かないからな.」と訳の分からない勧誘をしてくれた.それを振り切って一番縁遠かった証券会社に入った.数年後はじめて結婚するときには仲人をお願いしたりした.その結婚はうまくいかず「お前は本来ソバージュなんだ.家庭に過剰適応しようとしたのが間違いだ」などと分析してくれたりしたものの,家を出て以来その先生とも疎遠になった.

      先生は学生時代の1968年頃カリフォルニアのバークレイに行ってたらしく,学生運動によるロックアウトで授業がない頃ボブディランのライブを聴きにカリフォルニアを車で走り回ったといって,飲み会ではよく彼の歌を歌ってた.そういう点でボブディラン世代であった先生.

      卒業後証券会社に入り,株式の公開などをやりながら株式公開するレベルの会社を通じて,その時代の営みを観察し,ロジックを組み立ててきたような気がする.経済学や会計の知識が全くないことから上司からぼろくそにたたかれながら会社を素直に見ることに集中し,やがて会計的な表現様式である財務諸表からその会社の経営のロジックを判断する術を身につけたのだけれど,その訓練は先生との議論でなされたのかもしれない.

      常に前向きに,時に頑固に行動するという行動指針とともに.

      先生の指導の下ではなく,ソバージュとして仕事を通して時代を見る人という意味で「ルポライター」の修行をしていたのかもしれない.

      浅輪先生,ありがとう.ご冥福を!!

      | Posted By yooorky 投稿日: 2005年6月10日 10時6分 更新日: 2005年6月10日 12時53分

      コメント

      思い出に残る先生、残らなかった先生
      影響を受けた先生、受けなかった先生

      理屈でいえば多分小学校、中学校の頃の先生が一番人格形成に影響を与えたのだろうと思いますが、思い返してみて、お会いしたいなと思う先生は小学校の5−6年の時の先生ぐらいなもので、あとはぼんやりとした記憶しかありません。

      人生への影響といえば大学の先生だと思いますが、さてどうだったのかしら?
      卒論の指導教官の先生には可愛がっていただいた思い出は沢山ありますが、あらきさんのような濃いお付き合いではなく、その点うらやましく感じます。

      私にとり影響の大きかった先生はたぶん、一度もお習いしたことがないのに、学生会のかかわりで可愛がって頂いたシスターでしょう。

      大学を卒業してだいぶたった頃、院へ行きたくて推薦状をお願いしにうかがった際、あなた結婚はどうしたのと言われ、ちょっとしましたけどやめにしましたと答えたところ、いくつのときと聞かれ、30歳手前の時と答えたら、「もう少しがんばればよかったのに。そうしたら、そういう結婚はしなかったのにね」といわれ、シスターは傍若無人な方が多い中でもすごい、でもそう言われるとそうだなぁと思ったのを覚えています。

      彼女の推薦状のおかげか、無事大学院に入学。
      学期が終わるたびに伺い、報告をしていました。そのたび毎にいろいろなアドバイスをくださいました。卒業し帰国すると、日々の生活に追われ伺うこともなく数年が。2004年1月に帰天なさいました。

      その告別の御ミサにうかがいに久しぶりに母校を訪ね、そのときまで割合と平静だったのですが、校門から校舎への並木道を歩いていて、修院が見えたとき、もっと楽しいことでシスターにお目にかかって置くべきだったと本当に悲しくてたまらなかった。

      こんなに人がいるお御堂は初めてというほど、そして悲しみが触れられるような気がするほど溢れていました。
      でも神父様がシスターを評して、she was a strong womanとおっしゃったとき、一瞬、みんな悲しいのだけど、うん、そうそうとほほえんだのを感じました。

      どうぞ、おちから落としのありませんように。
      by ふき - 2005年6月10日 22時39分

      トラックバック