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霧の万年床〜楠 均のBGM日記

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      2007年08月10日

      7月28日その2 

      泊まりがけで山中生活を楽しむことを含めて初めてフジロックを体験したと言えそうな気がしますが、あっさり日帰り。帰りがけにメインステージのそばを通過。イギー・ポップ熱唱。そのうちステージが観客で一杯になったらしくてライブは中断。ややあってイギーが、ミナサンオチツイテ、と英語でアナウンス。うん?既視感。ステージ後方を歩く僕らからは巨大なスクリーンが三面見えている。ご本尊はその奥にいる模様。山の中にそのようなしつらえものがあり、画質はまばゆく鮮やかであり、スピーカーは轟音を放ち、それは巨大野外ステージとは思えぬクリアな音質であり、観客は大波のように揺れながら熱狂のただ中にあり、その波の切れ目を歩く僕らから更に後方の斜面はクールダウンする(或いは年配の)観客たちのエリアで、彼らは折り畳み椅子に身を沈めて携帯を開いたり、仮眠したりしている。服装と装備のせいでアウトドアショップ主催のロハスな集会にも見える。近未来。いやむしろ未来に似せた何か。擬未来的なこの感じ、何かを思い出す。ブレードランナー的世界が整理整頓されて、高度資本主義の見本市のような洗練された異次元空間がものすごい解像度で山中に出現している、と思った。スクリーンの中で人々の熱狂を煽っているのはホログラフによるバーチャル映像ではなく、完璧な肉体を持ったレプリカで、彼は大昔のロックスターのパフォーマンスを本物以上にアグレッシヴに再現している。それは20世紀のロックが想像していたロック的な何かより遥かにハイパーな何かだ。

      物がだぶって見える。実物の周りに必ず擬似的な輪郭というか、ぶれた線が見える。山中から携帯で退屈しのぎに株の動向をうかがう人の姿がにじんで見え、ロックフェスがにじんで見える。山や都市がにじんで見える。ここまでは実物(現実)、と特定できた輪郭が失われて色んな物が溶け出しているという感じ。(これはすごい勢いで進みつつある老眼の症状とぴたり一致している。脳の老眼とでも名付けて個人的な問題と片付けても良いのだ。)身にまとっている装備の情報量とその精度がすごくて本体が色あせる。少し前までは、リアリティーがないんだよねー、と言ってりゃ良かったんだけど今それを口にすると逆に言ってる自分本体にリアリティーが感じられなくなる。というくらいにはみ出した線のパワーは強い。スター・ウォーズも回が進むにつれて、なんで生身の肉体で決着つけなくちゃいけないのか見てて訳分かんなくて、最早そこにリアリティーを感じていないルーカスの浮かない顔ばかりがリアルに想像されてしまったけれど、そんなかんじ。

      ブレードランナーの中ではちぎれたネオン管がコガネムシのようにジジジと音を立ててビルの隙間を這い回っていた(そんなシーンはないか)。高度資本主義とテクノロジーが、って言った途端に唇が寒くなるくらいにテクノロジーは血肉化して、描かれる未来像は自分の肉体の延長の生々しい描写に似てくる。未来はようやく絵空事でなくなったということだろう。床屋の政談とか本ブログのような与太話が許されなくなるということでもあるだろう。厳しいけれど別に悪いことじゃない。今後肉体という言葉には、動物としての生身以外に、2つのイメージが影のようにつきまとうのだろう。身にまとった様々なディヴァイスと、かつてそのような物を見たことがあるという既視感と。

      (でもそれは言葉を変えれば「今」を見ながら同時に過去と未来を見るということかもしれず、話はずれるけどそういう眼力や直感力を大昔の人は持っていたのかもしれず、今後はテクノロジーによる装置と記憶によって少々不器用な形で過去と未来を可視化するということかもしれず、予断は許されないかもしれず。)

      | Posted By XNOX クスノキス 投稿日: 2007年8月10日 15時17分 更新日: 2007年8月11日 15時32分

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