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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2008/6 | ||||||
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今年に入ってからドラムの稽古に明け暮れて、とてもブログを書く余裕がなかった。ブログどころか、すべてを投げ打っての覚悟である。継続的努力への挑戦のための覚悟である。
覚悟というのはなんと悲壮な印象を伝える言葉だろう。しかし始めてみると、すべてを投げ打って何事かに打ち込むのは案外気持ちのいいもので、私利私欲と趣味嗜好とを捨て、私という小さな惑星を離れて、広く宇宙に向けて奉仕活動をしている気になる。宇宙規模の奉仕活動というレベルからみれば、私などゴミのひとつにすぎないのですから何の迷いもなくポイするのです。宇宙や町内の清掃など別に好きでやることではないのに、まさに好き嫌いのレベルでないがゆえに却って清々しい気持ちになる。同時に、直面したくないあれこれの不都合な真実や、生活上の問題点を忘れることも出来る。一石二鳥である。仮にこれでドラムがうまくなりでもしたら三鳥ということになる。
かように、ドラムの稽古は好きで始めたたぐいのことではないが故に、自分の欲望を脇へのけておいて澄明な気持ちで謙虚に仏壇に向かって手を合わせるがごとく臨むのであって、ああこれこそが伝え聞く無私の境地というものではなかろうか、一心に励んでふと外を見れば既に日は傾いてカラスの群れは山へ帰る、煩悩にまみれた貧しきアブラ虫たちの群れはひと時の安息を得て梅の小枝に安らいでいる、そしてアブラ虫にも似た男女の群れは屋台にぶら下がり、或は家路を急ぐ。おやもうそんな時刻かと我に返れば、ご近所からは芋粥を煮る匂いが漂ってくる。あちらにもこちらにも夕餉の煙が上がっているのが見える。目の前を走り去る猫。盗んだサンマをくわえたその不埒な口から獲物を奪い、さてそれでは我が家もこの天の恵みを仲良く分けあうこととしよう。これポチやお前にも尻尾を分けてあげようね、と言わばそういうことである。
逆に、好きなことだから貧乏を始めとする様々な苦労にも堪えられるというのは嘘っぱちではあるまいか。好きであればあるほど欲望が増大して、それがまかり通らない時の不平不満も増大して、欲望と不満にがんじがらめになって窒息死するのではあるまいか?好きなことと生業を単純に結びつけることに疑問を唱える意見が世の中に出始めたのは、子供たちの将来にとって案外健全なことだとおもう。
それはさておき、タイコの稽古によってもたらされる安らぎがかくも大きく、まるで世界が一変するようであることは驚嘆に値しないだろうか?無心の平和がかくもたやすく得られるということを、まだ誰も語っていないとすれば、それを平明につまびらかに語り、悩み多きアブラ虫や男女向けに手軽なストレス解消術として公開しようではないか。道場を開き、或は通信教育で惜しげもなくノウハウを伝授しよう。上達が目的ではないので難しいことは一切しないから師弟ともに楽である。いずれ講演会などで日本中を駆け回ることにでもなれば、毎日の言葉を弟子に印刷させてそれを日めくりカレンダーにして売りさばく。やがてそれが巷で売れに売れてもう笑いが止まらないということにでもなれば、稽古にはいよいよ身が入り、無我の境地がさらにぐいぐい深まること間違いないのだが。
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