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ソウルでの無線LAN
ソウルでLinuZauで無線LANを使ってみた.
ソウルでのPDAは携帯電話で使用される”スマートフォン”対応ものがほとんどで,PocketPC系のため対応OSがWindowsCEばかりのようで,最大の無線LAN事業者のKTのNESPOTもそればかりでLinuxはほとんどだめのよう.
というのも,NESPOTはWEPによる設定ではなく,専用画面をダウンロードするタイプであるためで,NESPOTのダウンロード画面にはそれ以外の設定はほとんどなかった.提携しているNTT.COMでも対応OSをWindowsに限定している.天の邪鬼はここでも埒外といったところ.
http://sync
でもこのサイトを利用するとソウル中はほとんど網羅している感じで,14,000箇所程度はあるようです.
ミョンドンのファッションビルでだめかなと思って試してみたら,どこかの事務所の無線LANステイションには入れました.
ちなみに貼った写真はTUmediaのDMB(Digital_Multimedia_Broadcasting)対応の携帯電話.コーデックはH.264とのこと.
何年ぶりかでソウルに行った.
泊まったのはWソウルというスターウッド系の新しめのホテル.こういうホテルは彼女と一緒がいいのだろうけど今回はちょっと衛星おたくのヤツのボスということでとまる.
目的はTU_Mediaという携帯電話機で衛星からテレビを受信させるというメディア会社の方にインタビューとスカイ系の衛星放送会社の放送センター訪問.ということで日本の衛星系の会社の名刺で訪問.
TU_MediaはSKテレコム系の会社で日本のモバイル放送と一緒に衛星を打ち上げた会社.現在のサブスクライバーは約7万人でしかないものの,今年末までに70万人の視聴者獲得を目指し,現在で1日1,500人くらいの視聴者が増加中とのこと.
地上波の地方展開に関しては懐疑的で,その意見は結構面白い.ケーブルによる受信形態が一般的となってきた現在の状況では地方の放送局がインフラも提供し視聴者がアンテナから直接受信するというのはコストを考えれば時代遅れになってきているのかもしれない.
http://www
PDAで日記を書いて見る.
うまく見えるかしら.
昨晩大学時代の友人から,私の大学時代の恩師の訃報が届いた.
高校を卒業し大学に行く頃,何をどうやったらいいのか分からずいろいろ道草を食った.大学では実社会に役立つ学問とは縁遠いところに行こうと数学,哲学の世界に.
そんな私を面倒がらず,議論の相手になってくれた先生だった.
合わなかったら辞めればいいと思って入った大学で,一番小さな,そして不人気の研究室がその先生の研究室で私の居場所となった.
毎週週末の午後から夜中までの時間をその研究室でチャールズ・サンダース・パースという当時も今も人気のない「プラグマティズム」の思想家の本を輪読し,議論した.「アメリカに哲学者がいるの」という根源的な驚きとともに.
もっともパース自身は独自の科学哲学者として第三の論理”アブダクション”の提唱者ということで最近は技術経営の世界にも出てきたりもし,また当時記号論の先駆者として竹中さんの日記にでている「前日の島」の作者ウンベルト・エーコなどが結構高く評価していたりするのだけれど.
卒業する頃,年を食って進路が定まらなかった私に「就職先がなければ大学院に来い.そしてルポライター修業でもしろ.ただし,お前みたいなヤツは間違っても絶対に学者には向かないからな.」と訳の分からない勧誘をしてくれた.それを振り切って一番縁遠かった証券会社に入った.数年後はじめて結婚するときには仲人をお願いしたりした.その結婚はうまくいかず「お前は本来ソバージュなんだ.家庭に過剰適応しようとしたのが間違いだ」などと分析してくれたりしたものの,家を出て以来その先生とも疎遠になった.
先生は学生時代の1968年頃カリフォルニアのバークレイに行ってたらしく,学生運動によるロックアウトで授業がない頃ボブディランのライブを聴きにカリフォルニアを車で走り回ったといって,飲み会ではよく彼の歌を歌ってた.そういう点でボブディラン世代であった先生.
卒業後証券会社に入り,株式の公開などをやりながら株式公開するレベルの会社を通じて,その時代の営みを観察し,ロジックを組み立ててきたような気がする.経済学や会計の知識が全くないことから上司からぼろくそにたたかれながら会社を素直に見ることに集中し,やがて会計的な表現様式である財務諸表からその会社の経営のロジックを判断する術を身につけたのだけれど,その訓練は先生との議論でなされたのかもしれない.
常に前向きに,時に頑固に行動するという行動指針とともに.
先生の指導の下ではなく,ソバージュとして仕事を通して時代を見る人という意味で「ルポライター」の修行をしていたのかもしれない.
浅輪先生,ありがとう.ご冥福を!!
テレビのスイッチの部分が壊れてしまったので,近くの電気屋に行き20インチの液晶テレビを購入した.これが80,000円位で購入できるとはね.時代は変わったもの.
このテレビを買った記念にメリル・ストリープ,ロバート・レッドフォードの「愛と悲しみの果て」(Out of Africa)というDVDを借りた.
原作者のアイザック(イサク)・ディネッセンとの何年ぶりかの邂逅を楽しんだ.
この映画で彼女は本名のカレン・ブリクセン男爵夫人として登場する.
学生の頃出版された彼女の作品の日本語訳「ノルダーナイの大洪水」という物語が彼女の作品との最初の出会いで,それ以来非常に気になる女性作家だ.といってもその当時ですら彼女が作家として名声とはうらはらに日本語訳はほとんどなかった時代です.
この映画が日本で上演された頃は「ディネッセンの映画が来るんだ」とは思ったものの観に行くことはなかった.
それをテレビが壊れ,代わりに買った液晶テレビで初めて見ることに.彼女のその後の物語作家(決して小説家ではなく)としての姿がロバートレッドフォード扮するデニスとコールに語るシーンに表れている.
ラジオもテレビもない時代,ストーリーテリング(物語る)というのは一つの大きな技芸だったことがよく分かるシーンでもある.
DVDのボーナスプログラムで出てくる彼女の写真を見ると非常にシンの強そうな顔立ちをしている.恋人のデニスの写真もたいそうないい男である.こういう顔立ちの人に会ってみたいものですね.
サファリでのたき火の傍での彼女をみると20世紀最大の物語作者といわれるのもよく分かる.まさにシェラザードが彼女かも.
http://www
4月の頭にたまたま話した案件が固まり,非常に小さな提携案件が漸くリリースに.
前経営者・オーナーのスキャンダルで解体寸前となり銀行との付き合いもほぼ不可能で数年前の月末には現金残高がほとんどなかった小さな会社が「顧客保護」をテーマに現在の経営陣・従業員らによるギリギリの努力で何とか蘇生しはじめ,新規事業を探索するとある小さな上場会社との間で人材開発案件での今回の提携.
彼らをたたくネガティブな動き等今後も何があるか分からないものの乗り越えていって欲しいもの.
スローなM&Aというのも言語矛盾的ですが,基本的に相性が課題となる点からすればM&Aとは意外にスローなものかもしれません.
友人にこの提携案件の話をしたら,資金規模が小さく誰も手を出さないような領域で”ホームメイドM&A”だねといわれてしまいました.
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