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例年のごとく確定申告の季節です。
金がない・・・・。
無くなったお金はほとんど、私が"愛する"音楽やら書籍に費やされている。そのおかげで私の周囲は私が"愛する"LPとCDとDVDとVHSと文庫本と単行本とペーパーバックとコミックと漫画雑誌と音楽雑誌と文芸雑誌ばかりだ。
だんだん量がハンパじゃなくなってくると、時々私は私が"愛する"レコードやら本を"憎む"。何者だ、こいつらは?、と。
貴重なものを手に入れた後に貴重なものを手に入れ、手に入れた貴重なものの上に手に入れた貴重なものをのせ・・・という作業を3000回くらい繰り返すとあら不思議やな、貴重なものは手の届かない場所に行ってしまうのだ。
新しい行動が必要だ。
新しい物の見方が必要だ。
さて、それはなんだろう?
多分、手に入れて積み上げた貴重なものを繙き、何が貴重かを改めて決める作業が必要なのだ。
手に入れた時の貴重さというのは、多分に相対的なものである。世間に出回っていないからこそ貴重なのだ。
一方手に入れたあとの貴重さは、自分との関わりにおける絶対的なものとなる。時にクズが黄金となり、黄金は鉛と変わる。
そうか! 手に入れたブツを味わい、評価を下す作業は錬金術だったのだな。
黄金は自分で作り出せるのだった。
もしくは、黄金は自分にしか作り出せないのだ。
黄金の作り方を知ることが幸福への道だったか。
今年からそっちを歩いてみよう。
コメント
ズシーンと、物の重さとともに響く言葉です。
黄金じゃなかった、黄金にすることができなかったからといって、捨てられないのが現実だったりしますけどね。
時を変え、場所を変え、気分を変え、向き合い方を変え、などとしている内に、ふと輝いて見える時があるのですよね。
20年前に自分がしまい込んだ黄金(のはずのもの)を手にした時などに、反対のことも起こったりするので始末が悪いです(笑)。発掘した黄金も、仕舞われている間に変化していたりするのですよね・・・。