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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2005/10 | ||||||
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本当に久しぶりに書きます。
体力がないからなかなか書けない、
というのは言い訳でも冗談でもなく、
夏中働いたのでクタクタだったのです。
クタクタになると横のものを縦にすることも
右のものを左に移すこともままならず、
ブログへの書き込みはおろか、名刺一枚整理することも
朝顔を洗うこともできません。
昔、ある作家(村上春樹ですが)が、必要なのは
才能ではなく体力と書いていました。
たとえなけなしの才能でもマメに気長に取り組むだけの
体力があれば、開花する可能性があるというわけです。
(才能がある人には、一時華々しく開花してすぐ死ぬ、
或いはぐずぐず余生を過ごす、という手があります。)
こないだ、鎌倉に息抜きに行ったついでに美術館に寄って
「篠原 有司男展」を見てきました。
(巨大でグロテスクなバイクのオブジェやボクシング
グローブに絵の具をつけてキャンバスを殴る
アクションペインティングで有名な人です。)
エネルギーの固まりのような作品群に圧倒され
大いに楽しみ、また勇気づけられもしましたが、
しかしここでも強く大きく持続性のある一級の体力が
重要なエンジンになっていることを思い知らされました。
そんなわけで美術館を出た後、そぼ降る雨に打たれて
うら寂しい気持ちでいたのですが、
新聞で目にしたある作家(甘糟幸子という方ですが)
のインタビュー記事に大いに驚き、
うら寂しさが薄れました。
学生時代から小説を書き始め、かなり期待されていた人
らしいのですが、いろいろあって実際に小説家として
デビューしたのは69才だったそうです。
「いろいろあった」の中には病気もあったようで、
それがブランクの一大原因であったことに間違いはない
のですが、ご本人の口調(聞いた訳ではないので
推測ですが)に切羽詰まったところはなく、
(多分医者に)
「根を詰めちゃいけない、そうっと生きてなさい」
と言われて執筆を諦めた経緯を語りながらも
「ぶらぶらしているのは大好きです。」
とおっしゃるのんびりさ加減に頭が下がりました。
更に、一番書きたいことは十代にして頭の中で
完成している、のに、まだ1行も形になっていない、
御年71才にして残り時間が少ないことは十々承知ながら、
「手を動かすまでが大変なの。
外に出て地面を眺めだすとだめ。
あれ、芽が出た、花が・・・とか。
なまけものなのね。」
という頼もしさ。
ちなみに、1作目のタイトルが『楽園後刻』、
2作目が『白骨花図鑑』。
「エネルギーが足りないのね」
「なまけものなのね」
と二重に自覚している人の口(筆)から
このような言葉(題名)が発せられると
体の芯がじ〜んとしびれるような
淡い快感に襲われます。
こうした体力のない人々を集めて、人となりと、
主な仕事(縁側で欠けた器を磨く、とか)を調査し、
年代別、出身地別、あるいはあいうえお順、
体力のない順(体力測定も必要になります)など、
なんでもいいのですが一同に列記した名鑑の登場が
待たれます。
この名鑑、タイトルはどうしましょう?
ストレートに『大日本虚(弱)人名鑑』
と仮にしておきましょう。
これは大部なものになります。
千ページくらいで、続巻もあり、いや、2巻や3巻じゃ
収まらないです。
全部に目を通すことを考えると我が体力への不安が
頭をもたげます。
つーか、そんなもの読む暇があったら、
まず甘糟さんの小説を読めということですよね、
ここまで引用しといて。
コメント
> まず甘糟さんの小説を読めということですよね、
いや、早く新作を(ライブではなく)録音のかたちで発表せよ、と言いたいです。
そんな輪をかけたなまけものの存在に安堵してどうするんですか。
まったくその通りで。。。
『大日本虚(弱)人名鑑』の「ア行」の片隅に私、
そして「ハ行」の片隅にホガリくんが、間違いなく載ります。
体力のない順でいったらどのへんなのか、知りたいです。
調べる体力があれば、の話ですよね。
世の中見渡してみて成功してる人って、必ず体力ありますよね!
気がついていたような気がすることを明確にしてくださって、
ありがとうございました!!
あ〜、なんだかスッキリして清々しい。。。
アライアキノ
思わず、楠さんが朝顔の花を洗っている姿を想像してしまいました。
『大日本虚(弱)人名鑑』にぴったりな仕事ではないかと思います。
甘糟幸子さんは先日とある会でお見かけしました。
ゆったりした話し方ときれいな言葉遣いの方で、
聞いているだけで心が穏やかになりました。
写真、何かの顔なのかな?とか思っていたのですがクリックしてみてびっくりでした。
アタマの中が真面目で勤勉で働き者過ぎるから、カラダが「そりゃムリですわ」とストップをかけるので
クタクタになったような状態になり、縦のものを横にすることすらできなくなるのですね。
アタマとカラダのペースが一致している人には理解できない状態かもしれませんが、あはしにゃわかるぜ。
アタマをもっとカラにするか、アタマの活動に見合う体力をつけるかしかないですね。
最近、自分に欠けているものが
体力なんだか、知力なんだか、気力なんだか、
わからなくなってきました。
気がついたら、いつのまにか日が暮れてることって、ありますよね。
貴重なアドバイスありがとう。
ウーム、確かにバランスの問題かもしれません。
ながともさんへ
僕も家に居る時は必ずいつの間にか日が暮れています。
そして忙しい時はいつの間にか季節が終わっています。
前者の方がうら悲しいですが、かすかな幸福感を
伴っている気がします。
chiyoさんへ
そうですとも。奴らはほっとくと掘って掘って
地球の裏側まで掘って、それでも足りなくて
掘る事自体が快感になっちゃって、ただ穴堀のために
ほかの惑星まで侵略しかねないですよ。
でも雪かきをしてくれたり、雪に閉じ込められた時に
頼もしく食料をどさっと届けるついでに「大丈夫か?」
とか声をかけてくれるパワフルな人への感謝の気持ちを
忘れてはならないと思います。
「白骨花図鑑」読んだら感想を聞かせてください。
「そうっと生きてなさい」にあまりに強く反応しすぎて、
コメントを残すまもなく、友人に転送してしまいました。
ずいぶんな遅コメントでごめんなさい。
その分、「朝顔」を読めて得した気分でありますが。
ぼくも「朝顔」なら洗いたいぞ。顔はいいや。
「そうっと生きよう」と決意しました。そうっと。
朝顔を洗うならやはりそうっと、ですよね。
僕は意外にせっかちですけど、そうっと走ったり、
そうっと横断歩道を渡ったりします。
そういう性質の(そう生きざるを得ない)動物がいる
ということだと思います。