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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2007/1 | ||||||
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明日から水中深く潜行するのでXNOXの練習をしておこうとスタジオに4時間はいる。抱えきれないおもちゃを自転車に積んでいく。配線するだけで30分かかる。トイレに行ったり、小腹がすいては戦ができぬと輸入物のチョコをひとかじりしたらこれがひどくまずくてウェッと思ってラベルを見たらカカオとは一言も書いてないエセチョコだった、どおりで安いと思ったなんてことがあったり、せっかく500時間もかけて用意したカラオケがしっくりこなくてがっくりきて、慰めに関係ない音を出してたらそっちが俄然面白くなってきて、そうだ今回はこれでいこうとインスト2曲、歌1曲、よし歌詞も1行浮かんだぞ仲々いいじゃないか2行目、お、もっといい、しかし3行目に苦慮するうちにハッと顔を上げると残り時間45分。オーマイガ。青ざめて新曲は床に投げ捨て用意したものにまじめに取り組むこと15分、慌てて片付けること15分。でもせっかく視界の端にドラムセットが見えているのに指1本触れもせで悲しからずや貧乏性の君は懐から菜箸取り出し、お皿叩いてチャンチキおけさ。ここで残り5分を知らせるライトが明滅し、めでたく模範的に退室。
報われぬような報われたような錯乱した夜にとにかくこの大都会にあっても星は鮮やかにきらめいていて、まぁいいかとふらつきながら家路を辿る。
昨夜BS2「寅さん」全部放映企画の最終48話目終了。ほとんど見てしまった。勢い盛んな時代から文字通り死の直前まで。あーもあった、こーもあった、ツェーもあったゲーもあった。途中、シリーズ自体もこちらの気持ちも緩んでしまったこともあったけれど、その後持ち直し1本1本の趣向の違いがわかるようになり、そうするとシリーズを通じた起伏が感じられるようになり、そうするとだめな時もだめなりにいいと思えるようになる。そうなると実に楽しい。(そうか阪神ファンもこの気持ちか。)僕が好きなのは池内淳子のやつと都はるみのやつ。リアルタイムで見てなくて良かった。渥美清が亡くなった時泣いてしまったろうから。寅の衣を着たあの人の芸をこそ惜しんで。有名な主題歌は毎回歌い直していたと思う。いつもちょっとずつ違っていた。ナット・キング・コールの「プリテンド」と並ぶ完璧なスタンダードナンバーだ。
BGM日記といっても音楽のことじゃなくて暮しの背景に聞こえる音のことを書くのかと思ったとW(ワイフの略)。私もそのつもりでおって、今にそのようになるであろう(か)。この日記の発端となった「ごはん日記」の作者いしいしんじさんの「麦踏みクーツェ」という小説の中に盲学校の一風変わった音楽の授業の様子が出てくる。原っぱに仰向けになってしばらくじっと耳を澄まし、各々が聞こえたものを発表する。中には流星が天空をよぎる音を聞いたなんてことを言い出す奴も出てくる。これは大ボラだったのだが。注意深く見たり聞いたりする状況に身を置くことは大切と思ふ。まだデジタルのビット数が粗いうちにその隙間の感覚をせいぜい磨いておくべし。楽聖ベートーベン、なんてことを覚えるのが教養だと思われていた時代のしっぽに僕は育ったが今でも学校の授業は五十歩百歩みたい。美しい国なんて唱えてみてもねえ。寺子屋みたいに読み書き計算に集中した方が子供も先生も楽だし、単純なことはそう長い時間はできないからあとは好きなことをすればいい。
ネットで見たらデイブ・シャペル君は映画にもたくさん出ているからチョ名人に違いない。家族は「武士の一分」を見に出る。僕はXNOXのカラオケ作り。気が狂いそうになる。映画を見に行けばよかった。突然の豪雨に犬狼狽。犬が狼狽?犬と狼は親戚だもんな。狼狽の狽の字を唄と誤って覚えていたことに気付く。小唄、端唄、長唄があるから狼唄(ろうた)があってもいい。虎唄(とらうた)、魚唄(ぎょうた)。
コメント
かかったときは、いつでも使える
倉庫とかに置きっぱなしにできると
いいのになあ、と、よく思います。