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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2007/8 | ||||||
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2007/10 | ||||||
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昨年末のこと、スタジオでこみねさんが突然ヨガのポーズをなさった。言うまでもなくこみねさんは普段から魅力的な御婦人でいらっしゃる。そして言うまでもなく不意のことというのは何によらずいやらしい。だから魅力的な御婦人による不意のヨガのポーズが正視に堪えないほどイヤらしいものになるのは言うまでもないことである。そういう大自然的道理に乗せられて、僕は息を荒くしながらそのポーズをまねてみた。これは僕一人の浅はかな助平心ではなく、スタジオにいた男は皆この深遠なる道理に従ったのだった。しかしこの浅はかで深遠な行動はすっかり錆び付いた僕の左肩に思いもかけぬ衝撃をもたらし、肩はちぎれて床に落ちた。ぼろん。
落っこちた腕を拾ってともかく家に帰ってくっつけて、以来数ヶ月特に仕事もなく、おかげで十分すぎるほど肩を休ませることができたのだったが、さすがに何もしないで鼻くそほじるばかりでは家族の視線も日に日にきつくなるばかり、意を決してドラムの練習をすることにした。毎朝仏壇に手を合わせて蚊取り線香に火をつけた後そのまま木魚と欠け茶碗叩いてしばらく念仏唱える、とまぁそんなようなことを珍しく勤勉に続けたところ、痛みが着実に増してそのうち腕が上がらなくなってしまった。なるほど、どうりでちっともうまくならない。おあとがよろしいよーで。てれてんつく。
医者に行ったら90分間待たされたのち、いきなり放射線を浴びせかけられ、痛いというのに腕をぐるぐる回され、怪しい注射を打たれ、マイクロウェーブ治療と言うから要するに電子レンジの熱戦を浴びせかけられ、ほうほうのていで逃げ帰ってきた。二度と行かないと言うとただの浴びせかけられ損になります、と女房が言うからそれも悔しいじゃあねえか、と何度か通ってそのたんびにほーほー言って帰って来てさすがにばからしくなってやめた。
それでも放っとくのは不安だから、今日は趣向を変えて鍼にいってみた。行ったらいきなり五十肩だと言われた。でも原因はかくかくしかじかですと怪しいポーズのことを話したら、原因はどうでも五十だから五十肩で、これが七十の人に言えば喜ばれるし四十の人に言うとがっかりするから四十肩だと言ってやるので貴方の場合その点ぴったりで良かったねと嬉しそうに言うからついつられて笑った。笑うべきではなかった。そんないい加減な診断があるものか。外科の方ではもう少し難しいことを言われましたがと食い下がると、それぁそうだがそれを五十肩というんですと一笑に付された。またつられて笑った。こちらが笑うことではなかろう。世が世なら切り捨てている。でも人が笑うとつい追従して訳もなく笑うのである。進化途上のサルである。学習しているのだ。
それにしても痛みに対して名称が軽過ぎやしないだろうか。ぎっくり腰もそう。3度目のぎっくり腰には10年間も悩まされたが、人を10年も悩ませておいて「ぎっくり」とは何ごとか。「ぎっくり」では電信柱の影からいきなり女学生にこんにちはと声をかけられたほどの衝撃も感じられない。(まぁ砂かけばばあでもいいのだが。)原子心母とか恐怖の頭脳改革とか危機とか二十世紀の精神女子大生とか昔のプログレはすごかったな。こけ脅しが利いていた。五十肩やぎっくり腰をアルバムタイトルにして海の向こうにお返ししたいくらいだ。まぁでもそれは勇気がいる。原子心母並みに話題を呼ばなくては面白くも可笑しくもないだろう。どう訳すかも課題だ。そんなことより肩の痛みだ。知人から枇杷灸がいいと聞いた。いいどころかこの世の極楽と聞いた。譬えて言えば、体の内部が温泉につかっているような感じだと聞いた。妖しい秘密の器具を耳に当てると、耳の穴から心地よい熱気が頭蓋骨内の迷路のように複雑に入り組んだ細い洞窟の隅々にまで行き渡るのだそうだ。我を失うらしい。この世のあらゆる快楽の最上位に位置するらしい。肩はさておいても試してみたいと思った。
上野でインカ・マヤ・アステカ展。
息子が夏休みの研究発表をでっち上げようと言うのだ。炎暑のさなか、電車賃を使って上野まで足を運んだその苦労を評価してもらおうという卑しい意図が見え見えである。僕も子供の頃からそういう卑しいことばかり考えていて、気がついたらダメな人間になっていた。
ともあれ、暑くてぼーっとして小人閑居して悪事もナメクジも宝くじもない有様だから、のこのこついてゆく。
行ってみて分かったのだが、年代順に並べるとインカ・マヤ・アステカではなく、マヤ・インカ・アステカだ。年代順ならリンゴ・ジョン・ポール・ジョージと言うべきところを普通ジョン・ポール・ジョージ・リンゴと言いならわしてきたのは何故か。ロックバンドの場合おおかた予測はつくけれど、インカマヤとなるとどうなのか。マチュピチュのあるインカは巷の関心も高くカリスマ性もあってジョンとポールみたいなものだということだろうか。
状態のいいミイラが今回の目玉のひとつだ。なるほど間近で見ると表面の質感が若狭イモに似ている。
信仰に関わるあれやこれやが強烈だ。たとえば生け贄とか、ミイラになった王様担いで大名行列とか。村から1歩も出ることがなかったであろう農民たちがこれらをどのように受け入れていたのかとても興味深いけれど、当然のように普通の人々の声も姿も記録に残っていない。謎めいて魅力的なアステカ文字もおおかたの人には何の関係もなかったのだし、世界遺産マチュピチュだって当時の王様の私領だった可能性が高いらしくて、庶民にとってはやれやれまた殿様の道楽が始まったよということだったかもしれない。違うかもしれない。
王を頂点とする国体はまったく揺るぎなく一体だったろうと思う一方、アステカの終わり頃人々はさすがに生け贄にうんざりしていたという記述もある。そりゃそうだよな、と現代に生きる僕は思う。でもそれを記述したのはたぶんスペイン人だと思う。我々の侵略は虐げられた民の解放を同時に意味していたと近代以降の国家なら言うし、当時のスペイン人の中にだって本気でそう考えた人はいたかもしれない。でもアステカの農民にとってはスペインもアステカもあさってもなくて、歴史に残る為政者どもの大騒ぎこそが迷惑で、それさえなければ字なんかなくたってそこそこ楽しく暮らしていたのかもしれない。まぁあくまでそこそこだけど。
大昔の宗教儀式を残虐とか非道とか言うことはむつかしい、と現代人である僕は感じる。同様に、ヨーロッパ人による南米の侵略だって今の視点から裁くことなんてできない、と言われれば半分はそう思うけど半分はそう思わない。
大雑把に言えば、時代が下れば下るほど情報は増えて視点は複数になり、人間の行動は批判的に検証される機会が増えるだろう。時代が同じでもアステカとスペインでは手にしていた情報の量と質(というか性格)が全然違うから、まぁ、アステカに比べればスペインは自分のやってたことの意味を知り尽くしていたんじゃないのと思われてもしょうがないし、だからニール・ヤングが「コルテスは人殺し」と歌いたくなったのも彼がアステカ顔であるからという理由ではおそらくないと思う。
でも、現代人から見れば当時の世界はグローバリズムのハシリでまだまだ若くてナイーブで、掴み合いや殴り合いは当たり前のことだったろうと想像されるし、そんな事言ってる現代人にしてからが50年100年経てばあっというまに俯瞰されているわけで、何という野蛮な世界に生きていたと言われること必定で、実際身辺を見渡せばナイーブなことだらけでああこれがやがて歴史の検証を受けるのだろうなと思い当たることもいくつかあるくらいだから、本当に幸せとは馬鹿騒ぎと無縁のところで自分の手ではかなく力強く手にするよりほかないのだとアステカ文字の存在すら知らずに死んでいった無数のアステカ人を思いながら感じた。
暑気払いのつもりが益々暑苦しくなった。
TVでキムタクと共演。
と言っても同じフレーム内に同時に映っていたという厳粛に物理的なレベルの話で、親しく言葉を交わしてメルアド交換ののち肩を組んでスマップの曲を歌い踊ったということではなく、キムタクの肩の向こう300m後方で一瞬見え隠れしていたというに過ぎないことは言うまでもない。
画面を見ていて面白いのは、2人(というのは僕とキムタクのことだが)は同じ画面に映っていながら同時にそこにいるという風には見えないということだった。その時隣りにキムタクその人が立っていて一緒に画面を見ていたが、現実のキムタクは同じ空気を吸っている感じがしないほど現実離れしていて、彼はそれほどまでに大のスターなのだと言ってしまえば話はそれまでだが、彼のひんやりとした彫像のような雰囲気が彼を人間離れした存在に見せていることが妙に引っかかった。
どう引っかかったのかと言うと、人間離れした彼がTV画面の中ではまったく現実感溢れる人間そのものに見えるということが引っかかった。僕にとって「まるで彫像のようだ」と感じられたキムタクがTVの中で生き生きと歌い踊っているとき、当の僕は同じ画面の中でどう見えていたかと言うと、いやー場違いで貧相だった、おつかれさん!と言ってしまえば話はそれまでだが、その限りなく薄い存在感が僕を人間離れした存在に見せていることが妙に引っかかった。
イヤになるほど人間そのものであるこの自分が、一旦TVに入ってしまうとどこからか引っ張ってきて無理矢理はめ込んだ画像のように見えている。薄い色合いのシャツと緑白色の顔色のせいか、現に生きている個体(個性)という感じがしない。はかない。
はかない、と言う以上に単にうすらぼんやりとした気配のようなものにしか見えない。どこからか引っ張ってきたとしてこの画像はどこから引っ張ってきたのか。やはりあの世だろうか。
やはりあの世だろう。あの世でも食い詰めた幽霊がうまい話があると聞かされてこの世に一晩舞い戻り、TVでエキストラの愛想笑いをして日雇いのギャラをもらって帰っていったということだろう。
幽霊のくせに俗気が抜けなくって真っ直ぐ家に帰らずにどこぞの赤提灯で一杯、なんてことになる。「いやーキムタクとTVに出てさー」なんて見知らぬ人を相手にやけに饒舌である。ところが生前酒が飲めなかったのをうかつにも忘れていた。草木も眠る丑三つ時の、しかし新橋あたりともなれば人の往来だけは絶えることのない道ばたにしゃがみこんで、ウンウン唸っている。吐いてしまえば楽なのに、はかない幽霊だけに、どうしたって吐かない・・・。
てれてんつく、つくてん。お後がよろしいよーで。
オチその2
帰って来るんじゃあなかった、こんな浮き世に。と、つぶやく幽霊思い出す。
あーそう言えば、昨夜のTVのゲストは加藤和彦さんで歌は「帰って来たヨッパライ」。どーりでギャラがトッパライ・・・。
おあとがよろしいよーで。てんつく、てれつく、てんてんてん・・・。
コメント
ヨガをちゃんとやってみる
といふ選択肢は
ないのじゃろか?
ぢゃあ、クマさんといっしょに
温泉、なんて、どうでしょ ?
右の人と二人きりでいいけど。
しかし痛みをヨガで直すちゅうのは怖い気がしますが・・・。