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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2007/9 | ||||||
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2007/10 | ||||||
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TVでキムタクと共演。
と言っても同じフレーム内に同時に映っていたという厳粛に物理的なレベルの話で、親しく言葉を交わしてメルアド交換ののち肩を組んでスマップの曲を歌い踊ったということではなく、キムタクの肩の向こう300m後方で一瞬見え隠れしていたというに過ぎないことは言うまでもない。
画面を見ていて面白いのは、2人(というのは僕とキムタクのことだが)は同じ画面に映っていながら同時にそこにいるという風には見えないということだった。その時隣りにキムタクその人が立っていて一緒に画面を見ていたが、現実のキムタクは同じ空気を吸っている感じがしないほど現実離れしていて、彼はそれほどまでに大のスターなのだと言ってしまえば話はそれまでだが、彼のひんやりとした彫像のような雰囲気が彼を人間離れした存在に見せていることが妙に引っかかった。
どう引っかかったのかと言うと、人間離れした彼がTV画面の中ではまったく現実感溢れる人間そのものに見えるということが引っかかった。僕にとって「まるで彫像のようだ」と感じられたキムタクがTVの中で生き生きと歌い踊っているとき、当の僕は同じ画面の中でどう見えていたかと言うと、いやー場違いで貧相だった、おつかれさん!と言ってしまえば話はそれまでだが、その限りなく薄い存在感が僕を人間離れした存在に見せていることが妙に引っかかった。
イヤになるほど人間そのものであるこの自分が、一旦TVに入ってしまうとどこからか引っ張ってきて無理矢理はめ込んだ画像のように見えている。薄い色合いのシャツと緑白色の顔色のせいか、現に生きている個体(個性)という感じがしない。はかない。
はかない、と言う以上に単にうすらぼんやりとした気配のようなものにしか見えない。どこからか引っ張ってきたとしてこの画像はどこから引っ張ってきたのか。やはりあの世だろうか。
やはりあの世だろう。あの世でも食い詰めた幽霊がうまい話があると聞かされてこの世に一晩舞い戻り、TVでエキストラの愛想笑いをして日雇いのギャラをもらって帰っていったということだろう。
幽霊のくせに俗気が抜けなくって真っ直ぐ家に帰らずにどこぞの赤提灯で一杯、なんてことになる。「いやーキムタクとTVに出てさー」なんて見知らぬ人を相手にやけに饒舌である。ところが生前酒が飲めなかったのをうかつにも忘れていた。草木も眠る丑三つ時の、しかし新橋あたりともなれば人の往来だけは絶えることのない道ばたにしゃがみこんで、ウンウン唸っている。吐いてしまえば楽なのに、はかない幽霊だけに、どうしたって吐かない・・・。
てれてんつく、つくてん。お後がよろしいよーで。
オチその2
帰って来るんじゃあなかった、こんな浮き世に。と、つぶやく幽霊思い出す。
あーそう言えば、昨夜のTVのゲストは加藤和彦さんで歌は「帰って来たヨッパライ」。どーりでギャラがトッパライ・・・。
おあとがよろしいよーで。てんつく、てれつく、てんてんてん・・・。
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