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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2008/5 | ||||||
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「耳栓とアイマスク」というタイトルの曲を作った頃は、耳栓とアイマスクを肌身放さず持ち歩いていつでも寝れるようにしていた。今はほとんど使うことがないのは、寝なくなったからではなく寝るのがうんと上手になって小道具に頼らなくてもよくなったからだ。一方、「空き缶と段ボール」はもういいやと思い始めたのは、「空き缶と段ボール」に頼らなくても良い音が出せるようになったからではなく、それらがある限り部屋がゴミ箱にしか見えず、精神衛生によくないと分かったからだ。(あるいはセッティングがとても面倒なためだ。あるいは2m以上離れたところにいる人に良い音と認識してもらうためには音響設備に頼らなくてはならないからだ。一般に打楽器として世の中に定着するには、セッティングが相応に簡単であることと、そのまま叩けば嫌でも人の耳に届く音量に恵まれていることが肝心なのだと分かった。)なわけで、よーし捨てるぞと叫びかけたが8日のギャビー&ロペスのライブではやはりはずせないということで叫びを飲み込んで気持ちを新たに部屋でセッティングして叩いてみるとやっぱりいい音がする。音だけ残してモノは捨てるわけにはいかぬかとサンプリングしてみたが、偶然発生する様々なノイズやニュアンスや響きが再現できない。というわけで、もう暫く一緒に暮らしすことになった。因果だなぁ、と思いながら眺めやる処分するつもりでいた大量のゴミたち。
BGM レディオヘッド
家族がツタヤで大量に借りてきたのを野菜を洗いながら流した。(レディオヘッドで野菜を洗って流しに流したのではなく、レディオヘッドをレディオカセットで聞いたのだ。)初めて聴いたけど、こんな複雑微妙で生真面目な音楽がここ十数年トップセールスを記録し続けているとしたら驚きだ。(ひょっとして歌詞が爆笑ものなのだろうか。)レディオヘッドと関係ないけど、息子が友達にT.REXを貸してくれと言われて後期の「ザ・スライダー」を貸したら「やに大人しいな」と言われたらしく、そういえば近頃のヒット曲はジャニーズでも何でも(というか日韓英米どこの音楽も全部ジャニーズに聞こえるのですが)ひどくノイジーで、というか音の調整の過程でジャリジャリと耳につくように作られているような印象があって、常日頃そういう音に親しんでいたら、それゃT.REXは音質も音数も地味かもな、と思ってあらためて聴いてみると、このアルバムは破れ去った青春の残骸のようなもので、異様にチープな悲しさに満ちていて、これゃ中学生に聴かせるには大人しい以上に不道徳かも。だからぜひ聴いて欲しいと思います。T.REXの生理的な背徳臭に比べるとレディオヘッドは意志が強いというかダラダラしてない。ビジネスマンで言うと、ミートホープの社長とワタミの社長くらいの差がある。これからのニッポンをしょって立つのは無論ワタミの方だろう(と言い切る自信はないが少なくともミートホープに再生の望みはないだろう)けれど、昔のロックは今から見ると随分だらしなかったな。今は中学生もロックもだらしないままでは生きていけない。かといってロックや中学生はだらしなくないとかっこ悪いと言って昔の真似をしてももうだらしなくはならないし、だらしないということは一度諦めないといけないんだろうな。だから生真面目だからといってレディオヘッドが好きになれないということでは全然ない。それに、だらしなさの真の価値に気付かないで、どうせポップスだからと甘えて品質を落とし続ける音楽に対して、レディオヘッドのようなしっかり者がはっきりとNOを突きつけてくれるのはいいことだ。(というかそういうこと言いそうな気がするだけなんだけど。)これからもがんばってほしい。
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