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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2007/3 | ||||||
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冬の間光に恵まれなかった部屋に陽射しがよみがえる。しかしそのせっかくの陽射しを遮る巨大な影がある。せっせと溜め込まれた古新聞の山だ。木の実を溜め込むリスと同じだ。とにかく目についたら部屋に運ぶ。リスなら土中に埋める。これを処理しなければ僕の部屋に春は来ない。確定申告のように集中して行わないと永遠に片付かない。リスくんと違って生死にかかわる訳ではないけど、本能だから簡単にはやめられない。困った。おまけに外は天気がいいし、桜だって咲き出した。仕事だってあるし宿題だってある。人から借りたレコードもまだ聴いてないし、死ぬまでに読んでおきたい本だって何冊かある。そんなこと言い出したら何人かの友人にも会っておかねばならないだろうし、田舎の老父母のことだってある。それを言い出したら子供の教育費はどうするんだってことにもなる。もっと緊急には、ガス会社に「ほっといたら爆発するかもよ」と脅されている古いガス管の問題だってある。え?ガス管なんて公共のインフラだろう、税金でやっとくれ、なんてこと言ってるからいつまでも親方日の丸から抜け出られないムラ社会の住人であり続けるんだバカバカ、と頭をポカポカして急ぎのことは全部シャットアウトする。にしても、古新聞を読むくらいならラジオで小沢昭一の話を聞く方がよほど有意義だろう。そう思うと進退きわまって、古新聞から逃れたい一心で、来日を記念して、スティービー・ワンダーの「トーキング・ブック」を聴くことにした。手元の古新聞(去年の8月28日)よりはるかに古いのに、こちらは古びるどころか当時のまぶしいほどの瑞々しさとはまた別種の光を放ち始めている。よみがえる青春、ああエバーグリーン!なんてのからはほど遠く、むしろ仏像を見るような発見。(それは古びてるっちゅうことか?) 昔々ナンカ阿修羅みたいなムチャな奴がいてスタジオで暴れておったとさ。手足髪の毛、脳ミソ爪の垢、ぼんのくぼ見えない目、ありとあらゆる部位を使ってなぁ。スタジオ内部は核融合炉みたいに煮えたぎったものじゃった。覗いてはならぬ与ひょう、覗いてはならぬとあれほど言ったのにオヒョー!
番組予告でスマップに囲まれているワンダー氏を見たら、阿修羅というより弟子を従えたヒンズー教の像に似ていた。パオー!
コメント
> 煮えたぎったものじゃった
こわいけど、そんなスタジオに
いてみたいもんだ。