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かたおかいくおの日記2005/5 | ||||||
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この曲聴いて、関口さんの他の曲全部ダウンロードしちゃいました。
いやー、なんかゆっくりとしてなんとも落ち着ける曲ですねぇ。
それに歌もピアノもすごくキレイ。
他の曲もみんなそうです。
夕方のちょっとほっこりしたいときにぴったり。肩の力がいい感じに抜けます。
【追記】
まゆさんも全曲DLしたんですね。他の曲もいいですね。
このところ雨の日が多いですが、そういう午後に全曲まとめて聴くとますます良さがわかりますね。
皆さんにもぜひぜひ全曲まとめ聴きしてほしいです。
(2004年07月05日の日記)
ダンス「PLAY WITHOUT WORDS (プレイ・ウィズアウト・ワーズ)」を観にいってきた。
「くるみ割り人形」や男性が踊る「白鳥の湖」(オン・ユア・トウズのアダム・クーパーが主役で、映画「リトルダンサー」のラストシーンにも登場)などを手がけたマシュー・ボーンの最新ダンス作品だ。
内容的には、映画「召使」('63)をヒントにしたもので、60年代のイギリスの階級社会を舞台に、青年貴族とその召使を中心に、婚約者、メイド、友人たちが複雑に絡みあい、セックス、階級闘争など通じて次第に主従関係が逆転していくというもの。
実際観てみると、かなりエロティックな官能的な作品で、セックスシーンなんか結構大胆に演出されていたりする。テンポの速さもあり、見ていてかなりドキドキする。
でも、それでいて、ものすごくお洒落で、カッコイイ。またファッションが超cool! 音楽は全編ジャズのライブというところもよくマッチしている。それに、マシュー・ボーンが厳選した英国公演のキャストそのままということもあって、ダンスの迫力はすごい。
2時間の公演はほんとにあっという間に過ぎてしまった感じ。
で、この作品には特質すべき特徴がある。
・題名の通り、台詞(せりふ)がまったくない。
・三人一役、二人一役で演じられる。
一つ目の特徴については、みごとにダンス(ボディランゲージ)だけでストーリーが表現されていて、台詞なしでも充分、というか要らない。それがこの作品の官能的でおしゃれなレベルをグンと上げてる。
二つ目の特徴については、「これは画期的」といえる。三人一役というのは、一人三役の逆というか、三人のキャストが劇中の一人の役を同時に演じるというもので、例えば主役の青年貴族とその婚約者が、まったく同じ衣装で三組同時に舞台に登場し、時にはまったく同じように踊り、時には微妙に違う演技をしたり。この技法を使って、登場人物の持つ別々の感情を同時に表現するとか、時間の進行を2人や3人が時間差で演じ(例えば、こっちでは服を脱ぐ前、あっちでは服脱いだ後だったり)たりして、リアリティや迫力、緊迫感、などいろんな効果をかもし出す。
これは、ちょっと実際観た人でないと実感わかないと思うが。。
(ふと、米国ドラマ「24(twenty-four)」でよく使われた、複数の場所の映像をひとつの画面の中に並べて描く技法になんとなく共通するものがあるなぁと感じた。)
先日観たミュージカル「オン・ユア・トウズ」同様、純粋にダンスを期待していたが、観た後はちょっと意外な感動があって、かなり僕の満足度は高い。
なお、惜しむらくは、僕が座った座席の位置がちょっと悪かった。できるだけ近い場所で見たくて、一番高いプレミア席を申し込んだのだが、渋谷bunkamuraのシアターコクーンの前から2列目の一番端の席で、ここはちょっと近すぎて、また端なので舞台を袖から見るかのように斜めになるので、全体をうまく見渡せない。なので、せっかく三人一役で同時にかつ別々に演じられているその姿を一度に全部見ることがなかなか難しい。もうちょっと後ろの真ん中付近の席にすべきであった。
(2004年06月27日の日記)
福岡さんのblogでオススメされている「アレクセイと泉」という映画を観にいってきた。(http://harmo
新宿区の経王寺というお寺の本堂でその映画の上映会があった。(お線香の香りがほのかに漂う中で映画を見るっていうのもいいなぁと、妙に感心してしまった)
この映画、福岡さんの解説にもあるように、チェルノブイリ原発事故がその背景にあるわけだが、そういった環境破壊ちっくな訴えかけはまったく感じられない。環境破壊とはむしろ無関係にさえ思えるような村人たちの生活ぶりを終始見せることによって、文明による環境破壊の問題をもっと深層心理に焼き付けようとする映画作りの技法なのかも知れない。
でも、僕はこの映画で描いているものはもっともっとシンプルなものではないか、と感じた。なにかわからないけど、もっとずっとピュアなもの。なにかグサリと刺さってくるというか、胸キュンってなる感じ。
たいてい僕はそういった感覚について「なんでだろう」ってあまり分析しないタイプで、今回のように何か胸に刺さった感じを刺さったままにしておくことが多い。(というかそういう分析があまり得意でない)
ただ、この日は上映会の後、作家の田口ランディさん(http://www
水の持つ力。実生活の中での水との関わりというより、我々生物が太古に発生したところとしての水との関係。なんかそういう根源的なものをランディさんが語ってくれた。
僕は人の話に感化されやすい性質だけど、ランディさんの話はそういうものとは違う異常に納得感があった。なんかこの映画のテーマにだけでなく、(ちょっとおおげさかもしれないが)ずっと昔から持っていたなぞが少し解けたって、そんな衝撃すら覚えた。
この映画にしても田口ランディさんにしても、表現者ってすごいなって強く思った一日だった。みなさんにもぜひ見てもらいたいです。
ところで、ランディさんが水の話をする中で、屋久島の話がよく登場した。今回のような人の中の何かと地球とのつながりのような話をされる方の多くは、なせがこの屋久島に影響を受けている。いちど行ってみたいと思う。
もうひとつ。
ランディさんのお話の中で僕がちょっとうるうるしてしまった話をもうひとつ。ランディさんが何かの取材で渋谷川の源流から最下流まで探索する話。
「ダイヤモンドのようなしずくから始まる源流のその美しさに対し、ヘドロのような下流のその汚さ。でもそれは水が汚いのではない。H2O(エイチ・ツー・オー)としての水はあくまできれいなものであり、その水が一生懸命汚物を運び、浄化しているのである。『水は常にきれいなのだ』」(T_T)
(2004年06月24日の日記)
昨日のつづきだよん。
■■■いよいよ二人目の出産。。。
そんな大騒ぎの一人目出産から2年。もちろん二人目も自宅出産に挑戦。今回はいけそう。本当は自宅出産の場合は大抵、助産婦から事前に色々と心構えや段取りなどレクチャーを受けるのだが、うちは妻が助産婦。「もうわかってるよね」って感じでレクチャーなし。妻はわかってても僕は・・・。そんな懸念が後ほど現実のものとなるなんて。
それは突然やってきた。まだ朝早い少し暗い頃、妻が「そろそろかも」と言った。お願いしている助産婦さん(今回も神谷さん)に電話しようということになり、応援に来て、近くのホテルに泊まっている妻の母にも電話を入れ、僕たちはその時を待った。
が、なにか様子がおかしい・・・。
妻が「もう生まれるかも」って。「やっぱレクチャー受けとけばよかった」と僕。(自宅出産の場合、もしも自分たちで産むことになってしまったときの手はずも教えてくれるものらしい。) 誰しもが思うように、僕が最初に思ったことは「やはり、お湯沸かすのかなぁ?」。そんな問いかけも妻に一蹴され、自宅出産キットなるものを用意してくれと指示された。自宅出産キットとは、シートやら脱脂綿や手袋(あの手術なんかで使うやつ)なんかが一つのかばんに入っていて、事前にその家庭に置いておくもの、のこと。(一般的かどうかは知らないが・・・)
妻の指示通りになんやかんやとセッティングし、リビングに敷いたシートの上に妻が四つんばいに。「もう頭が見えていると思う」と妻が言うので、見てみると確かに頭のてっぺんが直径5cmぐらい見えている。妻もかなり苦しそうだ。そうこうしているうちにやっと頭が首のところまで出た。
恐らく普通の男性ならこのシーンで卒倒するに違いないだろう。僕の場合は、もともと血を見ることも手術シーンなんかも全然平気の上、結婚以来、妻から専門書の写真やビデオなんか見せられているということもあり、こんな状況でも意外に冷静になれた。むしろ、四つんばいの妻から首まで出ている赤ちゃんの頭を手で支えながら、ひとり妙な心配をし始めた。「寝室でひとり寝ている長男が起きてきたらどうしよう・・」「お義母さんそろそろ来る頃かな。玄関の鍵持ってたっけ・・。この状況で、ピンポ〜ンて鳴ったらどうしよう」
普通、頭が出ればあとは一気に行くところなのだが、この子はかなり大きく、肩が引っかかってそれ以上出てこない。タダでさえ出産時の赤ちゃんて全身内出血したような赤黒い状態なのに首が締め付けられてそのドス黒さがさらに増して、マジヤバそうに見える。赤ちゃんの口から泡が吹き出てきた。僕はさすがにあせってきた。そんなところに妻が「赤ちゃん、泡吹いてるでしょ」「そこのガーゼでぬぐって」って。「なんでわかるの?」と思ったが、ちょっと安心した。要するにまぁそういうものだっていうことか。
実はこの間妻は僕にどう指示しようか考えていたらしい。助産婦なら、こういうとき赤ちゃんの頭をこっちに向けてぐっとこうすれば肩が抜ける、って方法を知っていて、妻はそれをどう言えば僕に伝わるかを考えていた。でも結局無理そうだということで、妻はイキむしかないと思い、そこから思いっきりイキんだ。頭を押さえていた僕の右手にググッと出てくる気配が伝わってきた。少し肩が見え始めた、と思ったら、ズバババッ〜〜って一気に赤ちゃんが飛出してきた。右手で止めて左手に受けたって構図。
次の瞬間見たものは・・。おにんにんがない! やった女だ。そして妻に「女だよ」って。この出産で何が一番感動したかって言うと、普通は「女の子ですよ」って教えてもらうところを、自分が誰よりも最初に性別を確認できたところだ。もちろん夫婦ともに次は女の子が欲しいと思っていたというのがあったからだろうけど。
その直後、ようやく義母が到着。さらにその直後長男起床。そして神谷さん到着。当然みんなびっくりするわな。また、僕がへその緒を切って、神谷さんに体重を量ってもらうと、4030g。やっぱ大きかった。
まあ結果メデタシメデタシということで、そんな娘ももう3才。随分なまいきになってきた。「お前のこと取り上げたのパパだぜ。」って、心の中で思うが、もちろん言わない。
以上が事の一部始終である。僕にとって、もちろんこの二つの出産は感動物語だ。なので他の人にも自宅出産や自然分娩を勧めたりするのだが、妻はあまりよろしく思わない。
「そういったことは流行や人の勧めで決めるものではない。リスクなどちゃんと認識した上で自分で決めなきゃいかんのよ」と妻。うんうん、それはよくわかる。でもまぁそう固いことはいいっこなし。経験談はみんな聞きたがってると思うよ、ってな感じで、事あるごとに人に話すわけ。そしてうるさがられる。(>_<)
ジャンジャン