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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2007/4 | ||||||
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文句なしのお天気。こんな日に部屋にこもっているのは文句なしの愚か者。でも世の人々が季節に浮かれ、文句なしの生命讃歌を歌い上げるこのような日こそ河原乞食は立てこもって陰々滅々と文句だらけの企みに没頭する。という訳で、雨戸を締め切った真っ暗な部屋に河原で拾ったシンセを並べ、ろうそく一本灯して曲作りに励む。ところが何をやっても不思議に的外れで、無闇に高揚するあの瞬間が一向に訪れない。どうしたことだろう。そこで調律の狂ったギターを手に小さい声で呪いのように呻いてみた。お、まるでベッ君が乗り移ったかのような鼻声がいかしてる。花粉症も悪くない。悦に入ってムームー唸っていると、Wが障子紙の破れ目から片目だけのぞかせて「具合でも悪いの?」と声をかける。「いやいや、新曲だよ。ムームームー、ほらベッ君みたいだろ?」と僕が言うと、障子の穴の目は見開かれたまま暫く無言でいてそれから何事もないように消えた。どーとゆーことはない。高揚感がないからといって、他人に褒められないからといって別にどーとゆーことはない。むしろ気分転換になる。のべつ無闇に高揚していたら気が狂ってしまうし、心臓にも悪い。褒められてばかりでは人生退屈なばかりだ。それに他人は自分の都合でものを言うだけで、芸術の真の価値に気付くのはいつも死んでからなのだし。だからどーとゆーことはない。どーとゆーこともないが休憩も悪くない。そう思って一歩部屋の外へ出てその明るさにのけぞる。目玉親父もひるむ。雪目なのだ。Wは出かけるらしい。広尾で定期検診という。「サングラスがないと歩けないよ」と目玉が言うと別についてこなくていいと言う。それはそうだろうが何かあったら妻を励ますのが目玉親父の役割だろう。股引脱いでよそ行きに着替えて外に飛び出す。わーやっぱり外はいいな。目玉親父跳ねる。玄関先で期待に目を輝かせた犬がアハアハ舌を出して喘いでいる。ざんねん!君はお留守番ね。こんな日に屋内にこもって仕事をしている気の毒な人々のことを思いアハアハ笑いが止まらない。
広尾というのは縁のない土地で都内の知らないところを歩くという観光気分。商店街も裏道も面白い。寺が多い、坂も多い。Wの検診のことは忘れて親父すっかり日に焼けた。やー晩飯がうまいぞ。今夜のおかずは目玉焼き。
コメント
昨夜はどうもありがとうございました。
おかげさまで、
お腹の中の人もゆったり鑑賞していた様子です。
いやほんとに楽しい一夜でした。
ご主人と協力して、良いご出産を!