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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2007/10 | ||||||
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映画 LODON CALLING(ジョー・ストラマーの生涯)を見る。
パンクやレゲエが勃興したまさにその頃青春期を過ごしたにもかかわらず、乗り遅れたばっかりに僕は興味がないフリをして、なるべく同時代性の乏しい、たとえば日本の民謡の古い録音やヨーロッパの中世の音楽などを図書館から借り出して聞いていた。どうも自分に対するポーズだったようでほとんど意味がなかったけれど、それでも今でも忘れられない音楽はあるので全く無意味というのでもないけれど。
で、当時The Clashを無視した罪滅ぼしにこの映画を見に行ったわけではなくて、ラジオから流れてきたサントラがすごく良くて、それはクラッシュの曲ではなくて、レゲエやフォークやアフリカや中南米の音楽だった。この人は音楽が大好きな人に違いない、こういう人が選曲したカセットテープが欲しい、今時カセットはないだろうけどそういうのってカセットで流すと最高だった。(民謡や中世の音楽はどこかカセットに馴染まなかった、ような気がするけどそれも後知恵か。)カセットはなくても(あっても困るけど)CDくらいあるだろうと思って映画館に行った。音楽がやはり良くて、というか音楽の流れ方、響き方が良く、クラッシュの音楽もとてもいい。昔よりずっと肚に響く。フツーに音楽の才能があるということより、音を聞く耳があるということはやっぱりすごい。
結局サントラは買わなかった。パンフを買って、そこに書いてある曲のリストを見て、必要な曲だけダウンロードするという手があると気付いたからで、こうすればサントラに収録されなかった曲も聴けるということで、まだやってみたことはないけど僕の家族をはじめ世界中の人が当たり前にしてることだから難しいことではないだろうと、ロンドンコーリングのPVさながらの雨の降る中家に帰った。
歩きながら得したような損したような妙な気分になった。やっぱりサントラで聞いてこそジョー・ストラマーからカセットを直接もらった感じがするんじゃないか。曲が少なくても要らない曲があってもそれはストラマーが選んだのだからそのまま飲み込む。それは別にストラマーでない誰かが選んだものでも、その人との一期一会を噛みしめる最も有効で、最もその時を楽しめる方法なんじゃないだろうか。と思う一方で、そうは言っても所詮CDな訳だし、それはネットでいくらでも拾えるわけだし、この先ストラマー氏と焚き火を囲んでじっくり一期一会する時間を持つあてもないし(ストラマーは晩年焚き火を好んだという話)。
若い頃すれ違いはしたけど気に留めなかったことの意味はやっぱり意外に大きい。パンクやダブやニューウェーブを今の方が楽しめる気がするのはそれはそれで楽しいけど、まっさらな若い頃に出会うのとは意味合いが違っていて、それは単に中年で鈍感になっているということに加えて、ネットみたいな底引き網で世界中の音楽をごっそりさらうことができるという現代的環境の緊張感のなさも関係していると思う。でもそのことを否定するつもりは毛頭なくて、どうせ中年の摩耗した感覚には部屋に居ながらにして網をかけられるというのはまことに有り難い。ただ、映画の中でストラマーがラジオを通じて次々に曲を発信していたけれど、たとえば地球の裏側で高校生がカセットに夢中で録り溜めるというような音楽の受容の仕方が多分あって、そこでの音楽の独特の鳴り響き方(ラジカセ全体がブリブリ唸るように脳も揺れていた)というものは、ひょっとしたらパンクムーブメントそのものより大事かもしれなくて、カセットが滅亡したからと言ってそのことまで忘れる必要は特になくて、むしろ反対に様々な響き方を記憶にとどめて自由に呼び出すことをネットと併用できたらもっといい。クラッシュだけでなく当時の音楽を今聴いて愉しいのは、響きそのものを思い出すためかもしれない。いろんな響きを記憶しておくとボケた後も人生楽しかろう。
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