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recommuni四方山話

2006年09月23日

町の時計屋 [四方山話]

先日、近所の町の本屋が2軒も立て続けに閉店してしまったことへの一抹の寂しい気持ちを書いたら、poliさんから「再販制度に守られてぬくぬくと商売をやってきた本屋やレコード屋に同情の余地などない」と、手厳しく批判されてしまったのですが、今度は「町の時計屋」の話です。

カシオのGショックが止まったままに放置してあったのを今日、電池交換に行こうと思い立ったのだが、思い立ってみると時計屋さんって少ないなということに気づく。ともかく駅前のショッピングセンターにあるのは知ってるので、そこに行って「電池の交換お願いします」と差し出すと、そこのおかみさんが、「ああこれたぶんできないんですよ」と言う。日本でポピュラーでない外国製の安い時計とかならできないことがあるのは知ってる。でもカシオのしかもベストセラーのGショックができないなんてそんなバカな…と思ったもんだから、「え!なんで??」とちょっと強めに言ってしまった。

「カシオはできるのとできないのがあるらしいから…カシオのお店に持っていってもらったほうが…」。「らしい」って!それでも時計屋?でもできないというものをムリにやらせるワケにもいかない。内心ムッとしながらあきらめた。

実はボクの父方のおじいちゃんは時計屋で、それを長男である叔父が継いで、子供のころそこにしばしば遊びに行ってたんだけど、そのころ時計屋というともちろん新品も売るけど、時計修理屋という意味合いが強かったように思う。叔父はカウンターの中でいつも時計の分解や組み立てをやっていた……。

ショッピングセンター以外の時計屋というと近所では、ほんとに小さな、並んでいる商品が何年前から同じ?と思うくらい、寂れた店しか知らないんだけど、一応そこにも行ってみた。

おお、タイムスリップ!そこにはまるで叔父のようないかにも職人さんという風体のおじさんが座っていた。時計を差し出して「駅前の店でこれは交換できないって言われたんですけど」、と言ったが、おじさんは受け取ってさっそく小さなドライバーでベルトをはずし、工具で裏蓋を開けながら、「なんで交換できないって?」と訊く。「いや、カシオのはカシオに持っていけって」。「開けてもみないで?」と苦笑した。いや、確かにそうだよね。

裏蓋を開けるとすぐに電池は交換できた。こんなことをやってくれない時計屋って何?なんかさっきの店に対する怒りが湧いてきた。あれはダメだ。

でも、止まってたのは電池のせいじゃない、とおじさんが言った。電池はまだ使える、「ムーブメント」が故障していると。さすがのおじさんも昨今の電子時計の中身まではいじれない。元通り裏蓋をはめ、ベルトをつけて返してくれた。その作業の手間もあったし、電池も新品の封を切って入れてみてくれたりもしたので、いくらかは支払おうと思って訊くと、「いや、いいんですよ」と受け取ろうとしない。お礼を言って出た。

昭和30年代にタイムスリップしたような小さな時計屋、そもそも時計産業も大斜陽で、一部の高級時計かスウォッチのようなファッション系かに特化するしか生き残る道はないような中、よくまだもっているなー、と感心してしまうような店だけど、なんとかやっていってほしいな、と思った。

| Posted By 福 投稿日: 2006年9月23日 15時12分 更新日: 2006年9月23日 15時13分

コメント

うはー、名指しで手きびしい反撃が待ってた(笑)。
スウォッチなど、たしか電池もベルトも交換できないんですよね(ほとんどの店で交換を拒否されると言った方が正しいかな)。
電池切れで捨てろと言われているようなもの。
たぶん大量に捨てられているだろうし、捨てられない私の引き出しに、そんな時計が大量に眠っています。
そんな浮かれた資源のムダづかいの反面、高額なヴィンテイジ時計をコレクションするブーム(としか思えない)が続き、そういう時計をきちんとリペアできる職人さんはどんどん減っていくばかり。

確かに時代は正しい方向に向かっていないのかもしれませんし、職人さんがいなくなってもいいなどとは口が裂けても言えません。

ただ、私はこうも思います。
大量生産大量販売大量消費大量廃棄の時代に、(同じ商品が)ちょっと高かろうと地元の個人商店で買うぜいたくを許容できるほどの余裕を持った人がどれほどいるのか。
そう、カカクドットコムがある時代に、それはちょっとしたぜいたくなんですよ。
そして、そういう時代を選び取ったのは誰あろう我々なんじゃないでしょうか。
by poli - 2006年9月23日 21時7分
こんにちは。
初めてコメントしてみますー。

Gショックは他の時計よりも電池交換がやっかいと
きいたことがあります。
海にもぐったり山にのぼったりする時に
本来使う機能があるからだそうで、とくに防水タイプは、いい加減に交換できないとか。

町の時計屋さんも知識なく開けたわけではないとは
思いますし、ショッピングセンターの時計屋さんも
ちょっと説明が不親切かなーとは思いますが
本来Gショック自体はメーカー側の”職人意識”だったり”責任感”だったりにもとづいて電池交換をしてるんじゃないでしょーか?

それを”消費”で終わらせてしまうのは
使う側の気持ちひとつな気もします。

本筋は時計の電池交換のことをおっしゃりたいわけではないとはわかってるんですけど
Gショックの名誉の為に(笑)コメントしてみました。
しつれーしました。
by ぱんのすけ - 2006年9月25日 15時41分
最近,年齢のせいか肌が弱くなり腕時計をすると手首が荒れるので腕時計をやらなくなりました。汗をかく季節はダメですね。
最近まで使っていたスウォッチは,電池交換して使ってました。ものによっては電池交換できるようですが,ベルトは特殊な切り方しているからダメでしょうね。

一般に町の時計屋さんで扱っているメガネなんかの場合ですが,従来は標準がメーカー預託在庫となっており,エンドユーザーに対して売上げが計上されるとメーカーからの仕入れとエンドユーザーへの売上げ同時計上される仕組みになっていました。これらの業種の営業マンのやることは販売することではなく,その前提となる営業店を探し,自分の商品群を置かせてもらうことだったりします。こんな具合で町の専門店というのが成り立っていましたが,これは粗利の高さで長い商品回転日数をカバー出来るというところでそういう商売が成り立っていました。再販制度というようなものではありませんが,「富山の薬売り」を思い起こさせるような業界慣行です。
そういえば,医家向けの薬に関しても卸では「庭離れ」などという業界慣行から,仕入れて自分の在庫になっていても病院などに販売され,資金化されるまで,支払い義務がないということが業界慣行であったりしました。薬価防衛上メーカーの価格統制維持機能から,末端価格までをメーカーが支配していたから成り立つ制度でした。これも,卸を大きな薬箱と考えると,つい最近まで「富山の薬売り」制度が生きていた証でもあります。もっとも意図はまるで異なるところにありますし,今はどうなっているのかは知りませんが,高い粗利の業種では今でも成り立ちうる制度です。
青山商事が一世を風靡した専門店大量販売時代に,これらの業種でも大手小売点でそれらの大量安値現金仕入れを促進し,大きな価格差を武器に販売しはじめ,売切り系の小売店が多くなったように思います。
時計屋さん,眼鏡屋さん等は検眼・レンズの加工等があって初めてエンドユーザーに売買でき,その後の調整を含めて商品のライフサイクル全体を商売の背景とし,その中から新たな製品販売の機会も発生する,所謂「フィッティング・ビジネス」のようですが,最近はそれが出来ない専門店の方々も多くなり,ライフサイクルの管理で事業をするというのが難しくなっているのかもしれませんね。
あるいはこのあたりに新たな事業機会があるのかもしれません。
by yooorky - 2006年9月25日 15時59分
ぱんのすけさん、コメントありがとうございます(って遅っ!)。

基本的に製品の高機能化にともなって、人の手が入りにくくなっていきますからね。ブラックボックス化していって、ユニット毎、もしくは全体取り替える方が早くて安いということになる。どうしても職人さんの出る幕はなくなってくる。

でも時計職人はまだいいんでしょうね。今朝の朝日にスイスの時計の生産高が去年史上最高を記録して、時計職人、これは製造職人の方ですけど、が足りなくて困っているという記事が載っていました。
by 福 - 2006年10月4日 11時3分
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