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recommuni四方山話駅前商店街にかつては2軒あった本屋さんが、1軒はレンタルビデオ屋に転身した後、先月店仕舞い、更にもう1軒のほうも、改装かなと思ってたら閉店と貼り紙があってびっくりした。
アマゾンなどネット通販の盛況の陰で、こういう町の小さな本屋さんはどんどん潰れていってるんだろうなー……。
コメント
けっしてアマゾンのせいばかりでもないと思いますよ。
だって、現実に最も売れ筋の週刊誌や月刊誌などの雑誌類(マンガも含む)をアマゾンで買っている方々は皆無でしょう。
いつだったか、テレビのドキュメンタリーで見た話では、大手卸が仁義を破って、駅前(だったか駅ビルだったか)にその鉄道系列経営の大型書店を出店させたことだ、なんてやってましたけど、話をナナメから見てみると、最近までは卸が一駅に一店舗しか出店させないように調整し、値引きもせずベストセラーだけを並べておくだけで経営が成り立っていたという話ですから。
地域の学校の教科書の納入まで引き受けて、別に大した経営努力も必要としていなかったという、町のレコード屋以上に恵まれていたといってもいいんじゃないでしょうか。
レコード商組合同様、書店組合も再販制度廃止に強力に反対してますし、なんだかなぁって感じもします。
レコミュニ代表の福岡さんがこのエントリーでは、と思ったので、このリンクでも差し上げておきます。
津田さんのところの最近の記事です。
http://xtc
いや別に町の善良な本屋を潰したアマゾン憎し、なんてこと思ってるわけじゃないですよ。
ボクも本やCDはほとんどアマゾンで買ってますし。
でも単純に殿様商売だから潰れてあたりまえ、経営努力が足りなかったから自業自得、と言うのもなんだかせちがらいじゃないですか。
小さな本屋ですから、ボロ儲けしていたわけでもなかろうし、殿様商売が成り立つ世の中というのも、ゆとりがあるというかのんびりしているというか、それはそれでよかったのではないか、とボクは思うのですよ。
その本屋、なんと創業80年で、駅前のその場所でも50年やってきていたらしいです。
それなりに苦渋の選択があったと思います。
その、知らないドラマをちょっとだけ想像して感慨にふけった、というそれだけのことです。
>地域の学校の教科書の納入まで引き受けて、別に大した経営努力も必要としていなかったという
ってところがちょっとかちんときました。
や、今のことをいっているわけではないというのはわかっているのですがなんとなく。
どんどん余裕がなくなっていってやーなかんじの世の中ですね。
制度に手厚く保護されても消えていくというのは、その業態の限界なんだろうと思いますし、やーな感じの世の中にしているのは、他の誰でもない我々(そう、その本屋でバンバン本を買わなかった我々)なのです。
私は、おふたりのここでの言葉の中に、それを見出すことができません
私は、人の消費行動にたいへん興味があります。
1円でも安いことにこだわる人や、品揃え、品質、営業時間やその店の店員の対応、ひとそれぞれライフスタイルによりこだわることは違います。
そして、その中で勝ち抜いていかなければ、商店はたたむしかありません。
本当はたたむ必要などない、と思いたいですけれども、シャッター商店街を見れば、現実としてそれは認めざるをえない。
町から個人商店が消えていくのは、他の町の誰でもなく、その町の住民がそこで物を買わなくなった(生活においてその物を必要としなくなることもあるでしょうし、他にもっと好みの店ができる場合もある)からです。
私だって感傷を持ち合わせていないわけじゃありませんが、どんなに愛着のある店だって私のために続けてくれとは言えません。
私の住んでいる町の商店街はシャッター通りにこそならないものの、既に個人商店はあらかた消え去り、跡地に入居するのは、ほとんどファーストフードやドラッグストアなどのチェーン店、そしてゲームやパチンコの拡大です。
いやだけど、じゃあタバコ屋がつぶれそうだからといって、いまさら私がタバコを再開する気もないし、再開したところでつぶれるときはつぶれますよね。
同じことが床屋さんにも言えます。
私は町の小さな本屋とレコード屋に特に厳しい言い方をしがちかもしれません。
でもそれは、近くにあっても全然役にたったためしがないからです。
私が求めていたものは、そこにほとんど置いてありませんでした。
福岡さんの作っていたレコードやCDはターミナル駅の大きな店に行くか、たいへん失礼ですけど中古屋で探した方が早かったりしました。
30年も前からの現実です。
30年前の例を挙げておきましょう。
YMOのレコード初期2枚は、発売日当日、町の小さなレコード屋に1枚入荷していたかどうかって感じだったんです。
店主は存在さえ知りませんでした。
もちろんチャクラやくじらなんて置いてあるはずがないのは、想像に難くないでしょ?(笑)
新宿の帝都無線や馬場のムトウや荻窪や吉祥寺の新星堂や池袋西武のディスクポートなら、絶対あるのにね。
この時代、そういう店ならいち早く潰れますよね(^^;、きっと。
勝ち抜いていけなければ消えるのは当然、なのでしょうが、一抹のさびしさを覚えるのが人情ですよね。
でもそれを悲しんだり怒ってるしてるわけじゃ全然なくて、世の中がガラガラと音を立てて変わっていくような今の時代を、全体としては非常に興味深く思っています。
福岡さんご存じでしょう? 再販維持下での卸(取次)がそれを認めなかったのは(笑)。
独特の色を出すことさえ認めようとせず、全国一律価格をいいことに、全国一律の品揃え。
まるで金太郎あめのようなレコード店や書店しか存在していなかったことを。
でも、その態勢を絶対維持しようとしてるのが、レコ商組合や書店組合です。
大規模店舗で大量販売できる店だけが、若干のリスクを背負ってでも、YMOやチャクラやくじらを応援できたんですよね?
返品を受けてもらえないのを承知で、リスクを背負って独自色を出す小さな店など皆無に等しい。
コロムビアのベターデイズなんてレーベルは、帝都無線の本店(新宿紀伊国屋の中にあった)に行くと、特典グッズにライヴの招待券まで付けてくれて大プッシュでしたけど、私鉄沿線の小さな駅前の店でそんなことやりたくてもできなかったでしょう。
事実、坂田さんのアルバムなんてどこの店も1枚も入荷していなかったはずです。
私はいま、町の小さな書店やレコード店が生き残っていることさえ奇跡に感じます。
レコードはバブル崩壊後にミリオンセラーが頻発してたし、書籍は雑誌があったからここまで残ってきたのかも知れませんが、バタバタつぶれていくのを目の当たりにしても苦笑するのみです。
と言うか、売れ筋を取っていればやっていけたので、あえてそんな冒険をしようと思う人は少なかったんでしょう。
たしかに、poliさんの言うように、よく今まで潰れないでやって来れた、というほうが当たってるかもしれないですね。
ただ、はたして時代は今正しい方向に向かっているんでしょうか?
再販維持が文化振興の一翼を担ったという側面も否定できませんし、日本に刹那的ではない文化自体を根付かせられない一因だったと言われたとしても、それも否定できない気がします。
ただ、文化振興の役割を担うはずだった書店やレコード店が、経済と言う大きなシステムの中でいつの間にかその役割からはずれていて、それでも護送船団方式に近いそのシステムでは、役割が終わっていることを指摘されてもシステムを手放せなかった。
町の書店やレコード店のオーナーがすべて、文化になんか目もくれず儲けだけを考えていたとは思いません。
地域の文化振興に尽くした方もたくさんいたでしょう。
けど、制度の中で(知ってか知らずか)骨抜きになっていく方々もいたはずです。
だから書店組合もレコ商組合もいまだ再販維持絶対死守の立場をとるのではないでしょうか。
再販維持なんかしなくても、アマゾンが全国(どころか世界)一定の価格を保証してくれる時代なのに。