a person powered by ototoy blog

霧の万年床〜楠 均のBGM日記

RSS

カレンダー

2020/10
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
       
2020/11
1234567

月別アーカイヴ

カテゴリー

    Blogを公開している友人

    公開所属グループ

      記事リスト 2ページ目

      11月1日

      映画 LODON CALLING(ジョー・ストラマーの生涯)を見る。

      パンクやレゲエが勃興したまさにその頃青春期を過ごしたにもかかわらず、乗り遅れたばっかりに僕は興味がないフリをして、なるべく同時代性の乏しい、たとえば日本の民謡の古い録音やヨーロッパの中世の音楽などを図書館から借り出して聞いていた。どうも自分に対するポーズだったようでほとんど意味がなかったけれど、それでも今でも忘れられない音楽はあるので全く無意味というのでもないけれど。

      で、当時The Clashを無視した罪滅ぼしにこの映画を見に行ったわけではなくて、ラジオから流れてきたサントラがすごく良くて、それはクラッシュの曲ではなくて、レゲエやフォークやアフリカや中南米の音楽だった。この人は音楽が大好きな人に違いない、こういう人が選曲したカセットテープが欲しい、今時カセットはないだろうけどそういうのってカセットで流すと最高だった。(民謡や中世の音楽はどこかカセットに馴染まなかった、ような気がするけどそれも後知恵か。)カセットはなくても(あっても困るけど)CDくらいあるだろうと思って映画館に行った。音楽がやはり良くて、というか音楽の流れ方、響き方が良く、クラッシュの音楽もとてもいい。昔よりずっと肚に響く。フツーに音楽の才能があるということより、音を聞く耳があるということはやっぱりすごい。

      結局サントラは買わなかった。パンフを買って、そこに書いてある曲のリストを見て、必要な曲だけダウンロードするという手があると気付いたからで、こうすればサントラに収録されなかった曲も聴けるということで、まだやってみたことはないけど僕の家族をはじめ世界中の人が当たり前にしてることだから難しいことではないだろうと、ロンドンコーリングのPVさながらの雨の降る中家に帰った。

      歩きながら得したような損したような妙な気分になった。やっぱりサントラで聞いてこそジョー・ストラマーからカセットを直接もらった感じがするんじゃないか。曲が少なくても要らない曲があってもそれはストラマーが選んだのだからそのまま飲み込む。それは別にストラマーでない誰かが選んだものでも、その人との一期一会を噛みしめる最も有効で、最もその時を楽しめる方法なんじゃないだろうか。と思う一方で、そうは言っても所詮CDな訳だし、それはネットでいくらでも拾えるわけだし、この先ストラマー氏と焚き火を囲んでじっくり一期一会する時間を持つあてもないし(ストラマーは晩年焚き火を好んだという話)。

      若い頃すれ違いはしたけど気に留めなかったことの意味はやっぱり意外に大きい。パンクやダブやニューウェーブを今の方が楽しめる気がするのはそれはそれで楽しいけど、まっさらな若い頃に出会うのとは意味合いが違っていて、それは単に中年で鈍感になっているということに加えて、ネットみたいな底引き網で世界中の音楽をごっそりさらうことができるという現代的環境の緊張感のなさも関係していると思う。でもそのことを否定するつもりは毛頭なくて、どうせ中年の摩耗した感覚には部屋に居ながらにして網をかけられるというのはまことに有り難い。ただ、映画の中でストラマーがラジオを通じて次々に曲を発信していたけれど、たとえば地球の裏側で高校生がカセットに夢中で録り溜めるというような音楽の受容の仕方が多分あって、そこでの音楽の独特の鳴り響き方(ラジカセ全体がブリブリ唸るように脳も揺れていた)というものは、ひょっとしたらパンクムーブメントそのものより大事かもしれなくて、カセットが滅亡したからと言ってそのことまで忘れる必要は特になくて、むしろ反対に様々な響き方を記憶にとどめて自由に呼び出すことをネットと併用できたらもっといい。クラッシュだけでなく当時の音楽を今聴いて愉しいのは、響きそのものを思い出すためかもしれない。いろんな響きを記憶しておくとボケた後も人生楽しかろう。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年11月14日 23時45分 | 更新日: 2007年11月17日 17時25分
      | コメント(0) | 固定リンク |

      10月31日

      仏人マニュ君の関西演奏旅行より帰還。僕は途中から新幹線で乗りつけて(関西圏だけ車移動して)3回だけライブやって、ほんで新幹線でバイナラというナンパなことであったが、エマーソン、石井マサユキのお二人は、超多忙を縫ってマニュ君を乗せて完全車移動全600回公演というハードな旅をした。そんな僕が疲れたを口にするのは申し訳ないが疲れた。けれど全く充実していて、若い頃大学行ってる暇があったら、こんな生活を2年間くらい続けたらセックスピストルズやビートルズになれたかもしれないと思うほど刺激を受けた。

      しかしなんで見ず知らずの(正確には、見ず知らずだった)仏人、それも僕と息子のちょうど中間くらいの齢の若造のために、日本を代表するベテランが3人も雁首揃えて粉骨砕身の上スケジュウルを合わせ、無謀とさえ言える旅に出たのかっつーと、それは3人ともマニュ君の才能に惚れ込んだからでありましょう、おそらくは。それから、ライブの度にエマーソン氏が強調していたように、「なんつーか、いいかんじの奴なんでー」ってことです、おそらく。

      マニュ君の音楽は、・・・と一言で言えないので詳しい言及は避けることにしますが、かなり複雑でストレンジなのに、難解というよりはそこはかとない愛らしさやユーモアさえ感じさせるのは「いいかんじのやつ」故か。

      ドラマーとして、つき合い当初困惑したのは彼の音量と音色に対する強いこだわりでした。楽器と見なされない音に執着したり(僕が段ボールをこすっているのを目撃した彼は、僕をストレンジ仲間と思ったのだろう)、限界ぎりぎりまで音量を抑えることを要求された結果僕はスティック代わりに箸を使うことになったり、それも菜箸では音が大きいということで割り箸を持たされたり。それでも彼は不満げで、空気を叩くマネをしたらやっとにっこり微笑んだ。スティックというのは重いのは大変に決まってるが軽すぎるのもまた大変で、それで空気を2時も間強打していると手首の変なところにギリギリと負担がかかって、一度ならずねじ切れて落ちたボトリと。その音がマニュ君、いたくお気に召したようだった。そうして無理難題にいやいや応えているうちに、彼がいたずらにややこしいナゾナゾをふっかけている訳でないことが分かってきた。型通りでなく常にその場に一番ふさわしい音を探しているのだった。

      どのライブも素晴らしかったけれど、京都の夜はママミルクの生駒さんのアコーディオンソロが聴けてこれには、息を飲んだ。(「ミルクならぬ息を飲んだ」と書きたかったのに馬鹿だと思われるのがいやで、「ミルクならぬ涙を飲んで」思いとどまった。)他にこんな歌い方を知らないと思った。次にエマーソン氏がソロ演奏を執り行った。まるで冴え冴えとした秋の月を見るような、それを古人が入魂の一句に読むその現場に立ち会うような、そんな演奏だった。エマ氏は現実から逸脱することを自らに慎重に戒めながら、ついに宇宙の彼方に浮かんでいる。

      そうそう、11月15日にマンダラ2でマニュ君のライブを行います。僕とジャンミシェルのツインドラム、ツインドラムとは思えぬ音の小ささです、乞うご期待!(ジャンは竹ぼうきの先ッポをちょん切ってブラシのように使います。素晴らしい音色、そして完璧なボリュームコントロール。達人です。)もちろん、石井マサユキ、エマーソン北村の両氏出演なさいます。マニュ君の友人ドンニノさん、そして米系邦人オニキユージさんが対バンです。すごくおもしろいでしょう。ぜひ見にきて下さい。いいかんじのヤツなんで。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年11月13日 22時47分 | 更新日: 2007年11月13日 22時49分
      | コメント(2) | 固定リンク |

      10月8日

      かうひいや三番地閉店する。

      栗コーダーの栗原さんと店で待ち合わせて互いに悲しみを語り合う。立ち退き宣告を下した大家は、極悪人のような言われ方をする。しかしここのマスターは実にクールで現実的なお人柄で、もう何日も前からマスターの周囲を蛾のように飛翔してはまるでこの世の終わりのような騒ぎの僕らには頓着なく、淡々といつもの仕事をいつものようにさばいておられる。このあたりがまた僕のようなファンをいっそう夢中にさせる。

      三番地で出されるものはコーヒーをはじめすべて美味しく、そこでかかる音楽はすべてグッドミュージックであり、そこにある本も調度も植物もすべてその場にふさわしく、絶対的にフィットしている。金ぴかや華美や過剰さとは一切無縁。質素だがしみったれたところが微塵もない。この店に於いてマスターのやることにはひとつの間違いもない。神だ。奇跡だ。そういう店だった。

      この店からは実にいろんなことを教わった。たとえば、仕事において人はプロにならなければいけない。何よりも眼力と技術!そして自分の嗜好に徹底忠実であること。が、しかし!現実との間に厳しく折り合いを付けること。ものは大切にしかし決して溜め込まないこと(自分にとっての有用と無用を峻別すること。それがどんなに困難であっても!だって人生は短い。)。むろん無駄な愛想笑いなどしない。などなど、どれも自分に大きく欠落している事柄であり、この店に行くことはいつしか僕にとって心の調律のような意味合いを持つにいたり、マスターは僕のあこがれとなった。

      互いに三番地の信奉者であることは知っていて、でも普段はあまり出会う機会のない栗原さんとは狂ったようにメールし合って、これ以後自分たちは何を拠り所に生きてゆけばいいのか、或いはスタバ辺りで苦虫噛みつぶしながら大勢に流れ続ける自分と世を呪って余生を送ることになるのか、意見を交換し合った。むろん答えは出ない。三番地のコーヒーこそ僕らの答えなのだから!

      そんなわけで、ここんとこ会う人ごとに三番地がなくなるぞ大変だ!と大声で訴えているのだが、反応はさっぱりだ。無関心、無理解が透けて見える。まるで三番地のことなど知らぬと言いたげな様子でさえある。理解に苦しむ。 

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年11月8日 22時16分 | 更新日: 2007年11月8日 22時16分
      | コメント(9) | 固定リンク |

      8月25日。

      コーヒーを飲みにいった。

      マスターが、エグベルト・ジスモンチ凄かったですよ、とおっしゃる。何をやっているのやらさっぱり分からなかった、と。

      同じジスモンチのライブをみたタカハシ・ケンタウロス氏は、どこからが楽器でどこまでが人間なのか見分けがつかなかった、とおっしゃる。ギターを弾く指先からハーもニクスが立ち上るのだそうだ。ギタリストならずとも興味をそそられる現象ではあるまいか。

      ジスモンチはモンチッチの親戚だろうか。どうやら進化して肉体が楽器と化してしまったらしい。日野日出志の漫画のように恐ろしい話ではあるまいか。

      精進も凄いに違いないが、体質というのもあるんじゃないかと思う。たとえば他人の意志に流されやすいとか、流動的で液状化しやすいとか、やたら人に媚びるとか、こびりついて焦げ付くとか、発情しやすいとか、蒸発しやすいとか、幽霊化するとか、意志以前に体質の所為であることが意外に多いのではないか?それといっしょで、楽器化しやすい体というものは多分ある。

      ドラマーを名乗る以上、僕も太鼓達と同化するというおそらくはめくるめく経験を1度はしてみたいと希望するとする。そして目前の木魚の腹をポクポクなどと叩いてみる。しかしどうだろう、叩けば叩くほどに体がぎくしゃくしてきて、「ぎくしゃく」という砂をこすりあわせるような不快ではないが滑らかでない音響がポクポクを凌駕するほどに大きくなり、歯石とか結石みたいに体内に沈殿・堆積して、やがて体全体がかちかちに石灰質化していくような気がする。しかしこれも石化しやすい体質と自覚した上で、その方向で精進するという道はあるだろう。

      話のついでですが、木化しやすい体質の「木子」という女のひとの歌を10月21日にムリウリで披露できたらと思っています。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年10月9日 11時49分 | 更新日: 2007年10月9日 11時49分
      | コメント(2) | 固定リンク |

      8月18日。

      昨年末のこと、スタジオでこみねさんが突然ヨガのポーズをなさった。言うまでもなくこみねさんは普段から魅力的な御婦人でいらっしゃる。そして言うまでもなく不意のことというのは何によらずいやらしい。だから魅力的な御婦人による不意のヨガのポーズが正視に堪えないほどイヤらしいものになるのは言うまでもないことである。そういう大自然的道理に乗せられて、僕は息を荒くしながらそのポーズをまねてみた。これは僕一人の浅はかな助平心ではなく、スタジオにいた男は皆この深遠なる道理に従ったのだった。しかしこの浅はかで深遠な行動はすっかり錆び付いた僕の左肩に思いもかけぬ衝撃をもたらし、肩はちぎれて床に落ちた。ぼろん。

      落っこちた腕を拾ってともかく家に帰ってくっつけて、以来数ヶ月特に仕事もなく、おかげで十分すぎるほど肩を休ませることができたのだったが、さすがに何もしないで鼻くそほじるばかりでは家族の視線も日に日にきつくなるばかり、意を決してドラムの練習をすることにした。毎朝仏壇に手を合わせて蚊取り線香に火をつけた後そのまま木魚と欠け茶碗叩いてしばらく念仏唱える、とまぁそんなようなことを珍しく勤勉に続けたところ、痛みが着実に増してそのうち腕が上がらなくなってしまった。なるほど、どうりでちっともうまくならない。おあとがよろしいよーで。てれてんつく。

      医者に行ったら90分間待たされたのち、いきなり放射線を浴びせかけられ、痛いというのに腕をぐるぐる回され、怪しい注射を打たれ、マイクロウェーブ治療と言うから要するに電子レンジの熱戦を浴びせかけられ、ほうほうのていで逃げ帰ってきた。二度と行かないと言うとただの浴びせかけられ損になります、と女房が言うからそれも悔しいじゃあねえか、と何度か通ってそのたんびにほーほー言って帰って来てさすがにばからしくなってやめた。

      それでも放っとくのは不安だから、今日は趣向を変えて鍼にいってみた。行ったらいきなり五十肩だと言われた。でも原因はかくかくしかじかですと怪しいポーズのことを話したら、原因はどうでも五十だから五十肩で、これが七十の人に言えば喜ばれるし四十の人に言うとがっかりするから四十肩だと言ってやるので貴方の場合その点ぴったりで良かったねと嬉しそうに言うからついつられて笑った。笑うべきではなかった。そんないい加減な診断があるものか。外科の方ではもう少し難しいことを言われましたがと食い下がると、それぁそうだがそれを五十肩というんですと一笑に付された。またつられて笑った。こちらが笑うことではなかろう。世が世なら切り捨てている。でも人が笑うとつい追従して訳もなく笑うのである。進化途上のサルである。学習しているのだ。

      それにしても痛みに対して名称が軽過ぎやしないだろうか。ぎっくり腰もそう。3度目のぎっくり腰には10年間も悩まされたが、人を10年も悩ませておいて「ぎっくり」とは何ごとか。「ぎっくり」では電信柱の影からいきなり女学生にこんにちはと声をかけられたほどの衝撃も感じられない。(まぁ砂かけばばあでもいいのだが。)原子心母とか恐怖の頭脳改革とか危機とか二十世紀の精神女子大生とか昔のプログレはすごかったな。こけ脅しが利いていた。五十肩やぎっくり腰をアルバムタイトルにして海の向こうにお返ししたいくらいだ。まぁでもそれは勇気がいる。原子心母並みに話題を呼ばなくては面白くも可笑しくもないだろう。どう訳すかも課題だ。そんなことより肩の痛みだ。知人から枇杷灸がいいと聞いた。いいどころかこの世の極楽と聞いた。譬えて言えば、体の内部が温泉につかっているような感じだと聞いた。妖しい秘密の器具を耳に当てると、耳の穴から心地よい熱気が頭蓋骨内の迷路のように複雑に入り組んだ細い洞窟の隅々にまで行き渡るのだそうだ。我を失うらしい。この世のあらゆる快楽の最上位に位置するらしい。肩はさておいても試してみたいと思った。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年9月27日 14時11分 | 更新日: 2007年9月27日 17時39分
      | コメント(9) | 固定リンク |

      8月17日。

      上野でインカ・マヤ・アステカ展。

      息子が夏休みの研究発表をでっち上げようと言うのだ。炎暑のさなか、電車賃を使って上野まで足を運んだその苦労を評価してもらおうという卑しい意図が見え見えである。僕も子供の頃からそういう卑しいことばかり考えていて、気がついたらダメな人間になっていた。

      ともあれ、暑くてぼーっとして小人閑居して悪事もナメクジも宝くじもない有様だから、のこのこついてゆく。

      行ってみて分かったのだが、年代順に並べるとインカ・マヤ・アステカではなく、マヤ・インカ・アステカだ。年代順ならリンゴ・ジョン・ポール・ジョージと言うべきところを普通ジョン・ポール・ジョージ・リンゴと言いならわしてきたのは何故か。ロックバンドの場合おおかた予測はつくけれど、インカマヤとなるとどうなのか。マチュピチュのあるインカは巷の関心も高くカリスマ性もあってジョンとポールみたいなものだということだろうか。

      状態のいいミイラが今回の目玉のひとつだ。なるほど間近で見ると表面の質感が若狭イモに似ている。

      信仰に関わるあれやこれやが強烈だ。たとえば生け贄とか、ミイラになった王様担いで大名行列とか。村から1歩も出ることがなかったであろう農民たちがこれらをどのように受け入れていたのかとても興味深いけれど、当然のように普通の人々の声も姿も記録に残っていない。謎めいて魅力的なアステカ文字もおおかたの人には何の関係もなかったのだし、世界遺産マチュピチュだって当時の王様の私領だった可能性が高いらしくて、庶民にとってはやれやれまた殿様の道楽が始まったよということだったかもしれない。違うかもしれない。

      王を頂点とする国体はまったく揺るぎなく一体だったろうと思う一方、アステカの終わり頃人々はさすがに生け贄にうんざりしていたという記述もある。そりゃそうだよな、と現代に生きる僕は思う。でもそれを記述したのはたぶんスペイン人だと思う。我々の侵略は虐げられた民の解放を同時に意味していたと近代以降の国家なら言うし、当時のスペイン人の中にだって本気でそう考えた人はいたかもしれない。でもアステカの農民にとってはスペインもアステカもあさってもなくて、歴史に残る為政者どもの大騒ぎこそが迷惑で、それさえなければ字なんかなくたってそこそこ楽しく暮らしていたのかもしれない。まぁあくまでそこそこだけど。

      大昔の宗教儀式を残虐とか非道とか言うことはむつかしい、と現代人である僕は感じる。同様に、ヨーロッパ人による南米の侵略だって今の視点から裁くことなんてできない、と言われれば半分はそう思うけど半分はそう思わない。

      大雑把に言えば、時代が下れば下るほど情報は増えて視点は複数になり、人間の行動は批判的に検証される機会が増えるだろう。時代が同じでもアステカとスペインでは手にしていた情報の量と質(というか性格)が全然違うから、まぁ、アステカに比べればスペインは自分のやってたことの意味を知り尽くしていたんじゃないのと思われてもしょうがないし、だからニール・ヤングが「コルテスは人殺し」と歌いたくなったのも彼がアステカ顔であるからという理由ではおそらくないと思う。

      でも、現代人から見れば当時の世界はグローバリズムのハシリでまだまだ若くてナイーブで、掴み合いや殴り合いは当たり前のことだったろうと想像されるし、そんな事言ってる現代人にしてからが50年100年経てばあっというまに俯瞰されているわけで、何という野蛮な世界に生きていたと言われること必定で、実際身辺を見渡せばナイーブなことだらけでああこれがやがて歴史の検証を受けるのだろうなと思い当たることもいくつかあるくらいだから、本当に幸せとは馬鹿騒ぎと無縁のところで自分の手ではかなく力強く手にするよりほかないのだとアステカ文字の存在すら知らずに死んでいった無数のアステカ人を思いながら感じた。

      暑気払いのつもりが益々暑苦しくなった。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年9月23日 14時58分 | 更新日: 2007年9月27日 18時5分
      | コメント(0) | 固定リンク |

      8月16日。

      TVでキムタクと共演。

      と言っても同じフレーム内に同時に映っていたという厳粛に物理的なレベルの話で、親しく言葉を交わしてメルアド交換ののち肩を組んでスマップの曲を歌い踊ったということではなく、キムタクの肩の向こう300m後方で一瞬見え隠れしていたというに過ぎないことは言うまでもない。

      画面を見ていて面白いのは、2人(というのは僕とキムタクのことだが)は同じ画面に映っていながら同時にそこにいるという風には見えないということだった。その時隣りにキムタクその人が立っていて一緒に画面を見ていたが、現実のキムタクは同じ空気を吸っている感じがしないほど現実離れしていて、彼はそれほどまでに大のスターなのだと言ってしまえば話はそれまでだが、彼のひんやりとした彫像のような雰囲気が彼を人間離れした存在に見せていることが妙に引っかかった。

      どう引っかかったのかと言うと、人間離れした彼がTV画面の中ではまったく現実感溢れる人間そのものに見えるということが引っかかった。僕にとって「まるで彫像のようだ」と感じられたキムタクがTVの中で生き生きと歌い踊っているとき、当の僕は同じ画面の中でどう見えていたかと言うと、いやー場違いで貧相だった、おつかれさん!と言ってしまえば話はそれまでだが、その限りなく薄い存在感が僕を人間離れした存在に見せていることが妙に引っかかった。

      イヤになるほど人間そのものであるこの自分が、一旦TVに入ってしまうとどこからか引っ張ってきて無理矢理はめ込んだ画像のように見えている。薄い色合いのシャツと緑白色の顔色のせいか、現に生きている個体(個性)という感じがしない。はかない。

      はかない、と言う以上に単にうすらぼんやりとした気配のようなものにしか見えない。どこからか引っ張ってきたとしてこの画像はどこから引っ張ってきたのか。やはりあの世だろうか。

      やはりあの世だろう。あの世でも食い詰めた幽霊がうまい話があると聞かされてこの世に一晩舞い戻り、TVでエキストラの愛想笑いをして日雇いのギャラをもらって帰っていったということだろう。

      幽霊のくせに俗気が抜けなくって真っ直ぐ家に帰らずにどこぞの赤提灯で一杯、なんてことになる。「いやーキムタクとTVに出てさー」なんて見知らぬ人を相手にやけに饒舌である。ところが生前酒が飲めなかったのをうかつにも忘れていた。草木も眠る丑三つ時の、しかし新橋あたりともなれば人の往来だけは絶えることのない道ばたにしゃがみこんで、ウンウン唸っている。吐いてしまえば楽なのに、はかない幽霊だけに、どうしたって吐かない・・・。

      てれてんつく、つくてん。お後がよろしいよーで。

      オチその2

      帰って来るんじゃあなかった、こんな浮き世に。と、つぶやく幽霊思い出す。

      あーそう言えば、昨夜のTVのゲストは加藤和彦さんで歌は「帰って来たヨッパライ」。どーりでギャラがトッパライ・・・。 

      おあとがよろしいよーで。てんつく、てれつく、てんてんてん・・・。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年9月22日 22時50分 | 更新日: 2007年9月22日 22時53分
      | コメント(0) | 固定リンク |

      8月12日。

      早めに寝る。午前3時に起きて公園にペルセウス流星群を見にいく。壮大な天然のショーであり、且つ無料ということであり、家族を叩き起こして無理矢理連れて行く。川の字に寝て1時間余りひたすら夜空を見る。獅子座流星群の時は偶然に千葉の浜辺にいて、泊まり客のおじさんから今夜は出るよと聞かされて外に出たらたいそうな数だった。ジャコビニの時は父親に叩き起こされて家の窓から見たら、まるで花火みたいに夜空の一点から噴き出していて異様な光景だなあと思いつつ寝ぼけたままだった。今夜はそれに比べるとショーというには少し物足りない数だった。期待して用意した時はこんなものかもしれない。そのかわり、この酷暑にあっても地べたを吹き抜ける夜風は涼しいことを知る。

      若い娘さんたちなどのグループが何組かいらしていて、思い思いにおしゃべりしたり音楽を鳴らしたり携帯で話すなどしている。その遠慮のなさに最初は戸惑い、立腹すらしたが、時間が経ってそれらがとぎれとぎれになってくると、闇と馴染んで虫の声と混じって天然の音に聞こえないでもない。ひときわ低くて太い娘さんの声が、とても饒舌に朗々と独り言を言い続けている。奇妙だなあと思っていたら、声のそっくりな二人連れだった。驚いた。闇ということもあり、口調も内容もまったく素な感じ。女子トイレにでも潜入せぬ限りそのような会話を聞く機会はないだろう。得をした、ということなのかよく分からない。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月27日 11時0分 | 更新日: 2007年8月27日 11時0分
      | コメント(2) | 固定リンク |

      ダニと日野日出志と水木さんがウォー。

      猛暑の中、ダニ猛然と繁殖。ホコリ1gにつき7000匹。うじゃうじゃと畳を埋め尽くす。(のが私には見える。)数年前の夏にひどい目にあった。以来、ダニは問答無用の天敵となる。何がどうひどいって、とても公の場で語れるものではない。皮膚がおぞましいことになる、としか言えない。どうしても知りたいという方は、日野日出志という漫画家の七色の亀の物語を読んでいただきたい。ダニとは無関係なお話だがイメージはぴったりである。体中から七色の膿が噴き出して止まらなくなった少年が、やがて池で七色の亀となって発見される、という以上のことはおぞまし過ぎて申し上げられない残念だが。呆然とするほど気持ちが悪く、その上悲しくておまけにカラフルでもあるという、夏の読書にお薦めしたい1冊だ。(単行本化されているか知らない。)

      毎年夏が来ると、ダニに対する警戒心が他のあらゆる情熱を凌駕する。この暑さの中で何も手を打たなかった日には、ある朝私は寝床の中で七色亀だか七色仮面だか七色蛙だかに変身して、家族の恐怖と憎悪の的となり、その非常識な叫び声によってあえなく頓死するだろう。そういえば蛙は愚かなる婦女子の忌み嫌うところであるのに、虹は暫くうっとりと目を楽しませた後、音もなく蒸発しては愚かなる家族にも喜ばれるかもしれない。ちょっと字をいじっただけで何たる扱いの違いであろう。蛙になってぎゃあぎゃあ騒がれるのは堪まらないが、うっかり虹などになってみすみす家族を喜ばせるのは更に心外だ。とにかく虹でも蛙でも、ある朝「七色(の何か)」になってるのだけは勘弁してもらいたい。「くわばらくわばら(一体どういう意味だろう)」そう念じながら畳の目という目をしらみつぶしに掃除する。しかしダニはしらみつぶし程度ではつぶせない。それ程に小さく強靭であるので「しらみつぶし×2」という作戦に出る。「×2」はハードな作戦なので、体中の水分が畳に落ちてじゅっと音を立てる。室温計はあろうことか40度を示している。ここはタクラマカン砂漠かと思う。意識を失う前に事を急がねばならぬ。次に沖縄産の月桃(げっとう)という植物から抽出した液体を散布する。月桃は人にやさしくダニにきびしいと聞く。惜しげもなくドバドバ撒く。そう言えば、ドバイでは6月に50度を記録したという。ドバドバである。

      さて、物干から取り込んだ布団は焼きたての煎餅のように熱くなっている。この煎餅布団に対しても作戦「×2」を実行する。既に気は遠くなっているが、掃除機内の灼熱地獄の中で100万匹のダニたちが昇天している様を想像するとヌスラッと笑みがこぼれる。あらぬ方から亡くなったヌスラット・アリ・ファテ・ハーンはんの声が突然聞こえてくる。そして稲妻のように私の背中を打つ。罪深き者よ、己の残虐を深く恥じよ。そう歌っているのか?(いずれにしても掃除機をかけながらラジオを聞くのは止めよう。音がケンカして狂死しそうになる。)

      さて、完璧に仕上がった布団を椅子の背にかける。その日の天候や時間帯によって湿度が異なるのでそれによって窓の開け具合、布団の位置を微妙に変える。一連の作業に疲れきって死んだように眠る。と、とっくに日は暮れ、「あっ」と叫んだ時にはせっかくの布団が陰惨な湿り気を帯びているではないか。全身から血の気が引く。家族たちは何をしている、暢気に野球中継を見ている。一体どういう神経か。大作戦の意味が全くわかっていない。全隊一丸となって取り組まねば勝利は覚束ぬ。お前たちが無責任なばかりに、これこのザマだ。ああもう、ちょっとこの布団に触ってみなさいよ。取り乱して涙声がうわずる。家族は「わー焼きたての煎餅のようにパリパリだ」などと笑っている。計り知れぬ鈍感さ。もう勘弁ならぬ。ネズミ男怒りの往復ビンタ炸裂、ビビビビ。目玉親父怒りのファルセット炸裂、ヒャヒャヒャ。水木名人おなら炸裂、ナァプ〜ン。(そうだ、今夜は水木さんのTVドラマ「鬼太郎の見た玉砕戦」を見なくては!)嵐のような叱責のすべてを聞き流しソーメンを食べていた家族が、「うちの布団は高松塚古墳より大事にされてるね」と言う。虚を突かれた。以後我が家では布団を国宝と呼ぶことにする。

      さて夜が更けて一匹もダニがいなくなった天国のような寝室に異臭が立ちこめ、目が覚める。月桃らしい。名前が示す通り、月の桃のような良い匂いだが、あまりに大量に撒いたためもはやそれは激しく鼻孔を責め立てる毒ガス以外の何ものでもない。天国一転して戦場となる。まったく何が災いするか分からない。水木さんたちの見た本物の地獄を思い、暫く忍従したが猛烈な頭痛堪え難く、ついに逃げ出して台所で水を飲む。もう戦う気力もなく、ただへたりこむ。こんな時にはウォーの「世界はゲットーだ」。そうさ、たとえこの世は天国でなくとも少なくともダニ地獄からは救われたはずさ、というようなメッセージを聞き取る。力強い音楽に慰められる。戦争という名のバンドが残した芯の明るいグルーヴに、歯を食いしばるような窮屈さは微塵もない。未来のダニ退治はこうでなくてはいけない。

      (余談だがダニー・ハサウェイの「ザ・ゲットー」はどう解釈したものだろう。偉大なダニーは実はダニの兄ィだろうか。そしてダニィが月桃を歌うのか。世界は複雑だ。)

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月24日 18時27分 | 更新日: 2007年8月27日 11時15分
      | コメント(2) | 固定リンク |

      山村留学。

      先述した滝上のカフェはひとけのない滝上の中でも更に外れに位置している。正直言って人間相手に経営が成り立つとは考えにくい。しかし、若いマスターは真摯なお人柄で土地に馴染もうと頑張っている。それにしてもなぜこの不利な地で、と僕はシマフクロウのごとく首を360度ひねりつつ聞いてみた。すると彼はキタキツネのように用心深く尻尾を立ててこう答えた。「子供の頃山村留学みたいなことでやってきて以来毎年訪れるようになり、後輩たちのめんどうなど見るうちにこの地に愛着が湧いて、ついに居着いてしまった。」確かに、そこは僕にとっても楽園と思える条件がいくつか揃っている。口をつぐむと本当に風の音しか聞こえない。何ものかに吸いこまれていくような感じがする。目眩がするような快楽がある。フクロウやキツネのみならず、モモンガやキツツキもそう感じるかもしれない。今これを読んでいるキリンや象やあなたも、そう感じるかもしれない。いやもう絶対そう感じる、と、居ても立ってもいられなくなった貴方がたまさか弾き語りシンガーやソリストであれば話が早い。ここには簡単なPA装置がある。ぜひライブを敢行していただき、フクロウやモモンガたちと大いにトリップしていただきたい。僕もいつかそうしてみたい。とりあえず成功を祈る。

      アイリッシュハープ奏者でギリシャ顔で知られるりんたろう君は実は東京の人なのに僕より遠軽に詳しくて驚いた。聞けば彼もまた山村留学体験者で、滝上の人と全く同様の経緯を語ってくれた。彼が、富良野も素晴らしいが自分には遠軽辺りの風がより馴染みます、とメールを下さったのは嬉しかった。農業も観光も成功を収め、潤おっているように見える富良野に比べ、我が故郷はいささか痩せこけて見えはしないだろうかと日頃口にしていたので慰めて下さったのかもしれない。北海道にも色々あって、その色々を内地の色々の方々がそれぞれに愛してくださるのがまた嬉しく、ここに全北海道になり代わって心からの喜びを・・・と書いたところで所詮私は東京暮らし、現役の北海道人ではない。しかし現役であるが故に気付きにくいことがあるのもまた確かで、それを克服するには東京留学が有効だろう。何を大切にすべきか(売りにすべきか)、イメージしやすくなるのではないか。でもみんな帰って来なかったりしてね。その分は内地からの強制連行で補充するとして(松島君は班長ね)・・・。夢は広がる。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月17日 15時59分 | 更新日: 2007年8月17日 15時59分
      | コメント(6) | 固定リンク |