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recommuni四方山話

2005年 03月 27日

四方山話その九十三【記憶力】 

会社の近所に、道に面して水槽をいくつか並べている民家がある。そのひとつに鯉がいる。それが水槽の半分以上もあるような大きな鯉だ。身体の向きを変えるのも一苦労しそうで、なんて可哀想な、ととても気になる。ストレスたまるだろうなー。広い池や川で思う存分泳ぎ回りたいだろうなー。

でもどうなんだろう。人間ならカプセルホテルに閉じ込められているようなもので、間違いなく気が変になるだろうが、それはたぶん人間には欲があり、想像力があるからだ。「ファインディング・ニモ」なんか見たせいか(「シャーク・テイル」はまだ見てないけど)、どうも擬人化して考えてしまう。

ウチにもまったく平凡なフナ(?)が1匹だけいる。知り合いが多摩川で釣った魚を5匹、子供たちのためにくれたのだが、次々と死んで、なぜか1匹だけ長生きしている。10cmくらいの小さなヤツなので、水槽はまあ充分に広いとは思うが、それでも多摩川は恋しくないかとか、この小さな水槽の中の一生ってどうなんだろう、なんてことをよく考える。だったら多摩川へ返してやればいいようなもんだけど、わざわざ行くのも億劫でそのままになっている。

「ニモ」に、記憶力が弱くて何でもすぐ忘れちゃう熱帯魚がパパの相棒として活躍するけど、まあ魚の脳ミソなんてあの程度のものだろう。……生物学的な裏づけまったくなしだから、間違っていたらごめんなさい。

自分にとっては異様に狭い空間に閉じ込められているんだけど、そのことをまあこんなもんなんだろうな世の中は、てなもんで特に不服もなく、餌はくれるだろうから、とりあえずそれを食ってどよーんと生きているのかもしれない。

毎日同じ景色、同じ暮らしでも、記憶がないんで毎日新鮮、目が覚めるたびにあれ?ここはどこだろー?とワクワクしてたりして。それとも毎日、狭いことを忘れてガラスの壁に頭をぶつけ、いつも痛い思いをしているか。

記憶力がない状態、とても想像しきれないけど、ハッピーで平和だろうな。「おめでたい」ってことだけどね。悩みはないけど大きな喜びもない。

人間が、知識に知識を重ね科学や文明を発展させることができるのはもちろん記憶の力だし、今ある状態に飽きて、別のより大きな喜びを求めるのも記憶があるから。一方、恨みや憎しみも記憶によって肥大していき、ついには戦争となる。

人間のすばらしさも愚かさも、記憶力がその源と考えると興味深い。

ボクはというと、だんだん記憶力が減退してきて、平和な人間になりつつある。

2005.03.27

福岡智彦

| Posted By 福 投稿日: 2005年3月27日 21時56分 更新日: 2005年3月28日 15時19分

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