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かたおかいくおの日記2005/5 | ||||||
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(2004年06月23日の日記)
テレビ番組で自然分娩、自宅出産の話題が取り上げられていた。
この話題を聞くと、僕はちょっとうるさい。(友人から「またか」って声が聞こえてきそうだが。。。)
うちなんて二人目は自宅で夫婦二人だけで産んだんだぜ。
で、この俺が子供をとりあげたんだ。
自宅出産は予定の通りだけど、夫婦二人っきりというのはもちろん予定外。要するにお願いしていた助産婦さんが到着する前に生まれてしまったということだ。
「そんなことはあまり人に話すものではない」と、本人自身も助産婦である妻に注意されるのだが、普通こんな経験めったにできるものではない。なわけでこのblogで話さない手はない。
妻曰く、「そもそも昔はみんな自宅出産、自然分娩」「よくテレビで見るような分娩台に乗ってやってるのは、医療側の都合(要は医者が作業しやすい)であって、産婦にはもっともしんどい格好」とか、「『やっぱ安全だから病院で産む』ってのは病院の怖さを知らないから言えること」。まあその業界の人が言ってるわけなので信憑性は高いのだろう。そんなことでうちは子作りよりも前から自宅出産するということに決まっていた。(もちろん僕は意見をはさむ余地もなかったが。。)
■■■まずは、一人目の出産。。。
もちろん一人目も自宅の予定だった。だが、結局クリニックで産んだ。予定日になっても陣痛が始まらず、42週目になってもまだ何も起こらなかった。普通はそれで限界だけど、うちの妻、周りはみんな助産業界仲間。もうちょっと様子を見よう、ということで43週まで待ったが、さすがにリスクが高いということで自宅出産をあきらめたわけである。
病院も必ずしも悪いわけでは当然無い。リスクのある出産では、やはりある種の設備や技術が必要だったりする。僕たちがお世話になったクリニックは、お願いしていた助産婦さん(神谷さんという、妻がもっとも信頼をおいている大先輩)の連携している病院で「育良クリニック(http://www
で、43週で結局もう羊水も少なくなってきて赤ちゃんへの負担も大きくなってきたので、陣痛促進剤を投与することになった。その効果でようやく陣痛が始まり、僕も分娩室に入った。自然分娩では大抵そうだが、分娩台など使わず、産婦(妻)が一番楽で安心できる姿勢をあれこれと試すのだ。うちの場合は、イスに座った僕の両足の間に前かがみで、僕の腰に腕を廻して抱きつくような格好(イメージつくかな?)が一番シックリくるということなり、この体制で産むことになった。
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| O ←こんなかんじ?
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そうこうしているうちに、分娩室は情報を聞きつけた妻の友人たち(みんな助産婦)で人だらけに。。そんな中、促進剤を使うと陣痛も普通より短い間隔でかつ強くなるらしく本当に痛そうだ。妻も堪りかねて助産婦友人に今の促進剤の点滴投与量を××から○○に下げてくれって具体的な数値で頼んだりして。。(プロ同士の会話?!) そして、お産が進むにつれ妻の腕の力も増し、全体重をかけてくる。もう妻の腕の力だけでは自分の体重を支えられない様子。僕も妻の両脇を両手で持って支える。さらに体重がかかり僕も座ったままではもう支えられない。椅子からお尻を少し上げ中腰の姿勢になる。もう腕や脚がガクガク震えだししびれてきた。そこから2時間続いた。ようやく赤ちゃんの頭が見えてきたらしい。が、僕の腕はそろそろ限界になってきた。「ここで手滑らせて離したらどうなるのだろうか」とぞっとするようなことが頭をよぎる。3時間経って「もうだめ」と思ったところで、3700g弱の男の子が生まれた。
そんなこんなで、へその緒を切らせてもらい、みんなでよかったよかった、って感じでその夜は親子三人で畳の病室で川の字で寝たが、次の日がたいへん。妻はもう何事もなかったかのようにピンピンしているが、僕は腰が痛くてその日一日病室で寝込む羽目に。。。
あらら、一人目の解説でこんなに長くなってしまった。
続きはまた明日ということで。。。
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