a person powered by ototoy blog
かたおかいくおの日記2005/5 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 |
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 |
29 | 30 | 31 | ||||
2005/6 | ||||||
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
(2004年06月27日の日記)
福岡さんのblogでオススメされている「アレクセイと泉」という映画を観にいってきた。(http://harmo
新宿区の経王寺というお寺の本堂でその映画の上映会があった。(お線香の香りがほのかに漂う中で映画を見るっていうのもいいなぁと、妙に感心してしまった)
この映画、福岡さんの解説にもあるように、チェルノブイリ原発事故がその背景にあるわけだが、そういった環境破壊ちっくな訴えかけはまったく感じられない。環境破壊とはむしろ無関係にさえ思えるような村人たちの生活ぶりを終始見せることによって、文明による環境破壊の問題をもっと深層心理に焼き付けようとする映画作りの技法なのかも知れない。
でも、僕はこの映画で描いているものはもっともっとシンプルなものではないか、と感じた。なにかわからないけど、もっとずっとピュアなもの。なにかグサリと刺さってくるというか、胸キュンってなる感じ。
たいてい僕はそういった感覚について「なんでだろう」ってあまり分析しないタイプで、今回のように何か胸に刺さった感じを刺さったままにしておくことが多い。(というかそういう分析があまり得意でない)
ただ、この日は上映会の後、作家の田口ランディさん(http://www
水の持つ力。実生活の中での水との関わりというより、我々生物が太古に発生したところとしての水との関係。なんかそういう根源的なものをランディさんが語ってくれた。
僕は人の話に感化されやすい性質だけど、ランディさんの話はそういうものとは違う異常に納得感があった。なんかこの映画のテーマにだけでなく、(ちょっとおおげさかもしれないが)ずっと昔から持っていたなぞが少し解けたって、そんな衝撃すら覚えた。
この映画にしても田口ランディさんにしても、表現者ってすごいなって強く思った一日だった。みなさんにもぜひ見てもらいたいです。
ところで、ランディさんが水の話をする中で、屋久島の話がよく登場した。今回のような人の中の何かと地球とのつながりのような話をされる方の多くは、なせがこの屋久島に影響を受けている。いちど行ってみたいと思う。
もうひとつ。
ランディさんのお話の中で僕がちょっとうるうるしてしまった話をもうひとつ。ランディさんが何かの取材で渋谷川の源流から最下流まで探索する話。
「ダイヤモンドのようなしずくから始まる源流のその美しさに対し、ヘドロのような下流のその汚さ。でもそれは水が汚いのではない。H2O(エイチ・ツー・オー)としての水はあくまできれいなものであり、その水が一生懸命汚物を運び、浄化しているのである。『水は常にきれいなのだ』」(T_T)
コメント