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recommuni四方山話中部国際空港が開港したが、並行して話題になっているのが「南セントレア市」。中部国際空港の愛称?「セントレア」(「CENTRAL JAPAN INTERNATIONAL AIRPORT COMPANY,LIMITED」の「CENTR+AIR」らしいんで略称とも言える)にちなんで、愛知県知多半島の美浜町と南知多町が市町村合併して生まれる新しい市の名称候補だが、内外から猛然と反対されて、一旦撤回という事態になっている。
反対する気持ちはよーく解る。特に昔から、ひょっとしたら先祖代々住んでいる人、これからも住み続ける予定の人たちには、たとえば苗字が変えられるに近い、アイデンティティーに関わることだろうから、だいじな問題である。
旧地名の地域に住む人たちにはその名前に対するこだわりがある。合併して他所の町の名前になってしまうには抵抗があるかもしれない。かと言ってくっつけると長ったらしい。くっつけるにもどちらが上かという問題もある。
地名ではないが、東京三菱とUFJが統合して、「三菱東京UFJ」という銀行名になるらしい。長い。この順番にもいろんな思惑があるのだろうが、やめてほしい。
つまりはエゴとエゴのぶつかりあいで、無難な妥協点に落ち着かざるを得なくなる。地域の「売り」である中部国際空港=セントレアの南に位置するから「南セントレア」としたワケだが、どうも落ち着きが悪すぎる。ちなみにセントレア空港があるのは常滑市で、空港の所在地は常滑市セントレア一丁目1番地という住所になっている。つまりここですでにセントレアは町名である。
山梨県の「南アルプス市」にはあまり反対はなかったそうだ。元々日本アルプス、南アルプス山地という呼び名が定着していたからだろう。
無難な妥協点ということでひらがなもよく使われる。あれも好きじゃない。「さいたま市」とは何だ!それと「南セントレア」や「南アルプス」もそうだが、既存の定着している地名に西とか東とかつけるパターン。住んでいる人が気を悪くしたらごめんなさいだが、ボクが最悪だと思うのは「西東京市」。保谷市と田無市がくっついたところだ。ここまで個性がないというか意志が感じられない地名もすごい。第一、西と東の混在が居心地悪い。東京の東だったら「東東京市」にしたのか?
なぁんて怒ってたら、「中央アルプス市」や「東さっぽろ市」ができるというウワサも飛び込んできた。「東さっぽろ」なんて方角とひらがなのダブル攻撃だ。しかもすでに札幌市白石区に「東札幌」という地名があり、非常にまぎらわしいそうだ。
そもそも合併があるからこういう問題が起こるので、なんでこんなに市町村合併が流行ってるんだ、という政治の話もあるが、そこはまだ語るに足る情報を持ってないのでここでは置く。
なんでもっとちゃんと考えようとしないのだろう。地名はその地の風土や歴史や文化と密接に結びつき、それらを後ろに背負っていくものである。単なる場所の呼び名ではない。古くからの地名にはそれなりの謂れがある。その地の特徴に希望を加えるなどして、たとえば偉い坊さんが名づけたとか、そういう由緒というかありがたいものがあると思う。わかりやすいとか親しみがもてるとか、そんなことばかりが重要か?単純に学識経験者に任せればよいとは思わないが、やはりいろんな知恵を集めて深く検討を重ねる必要があると思う。
と書いてきて、なんて保守的な意見なんだろうと自分でおかしくなった。「新市名」を討議する町の議員さんたちよりボクのほうが保守的なんだろうか?先ほど「エゴとエゴのぶつかりあい」と言ったが、住民のエゴではなく、おもに議員さんのエゴだろう。仮に合併後「美浜市」になるとしたら、南知多町に住んでる人はイヤなのだろうか?ボクなら「南セントレア市」よりはよほどいいな。美浜市になったら旧南知多町の議員さんは肩身の狭い思いをするとか、議席が減るときにそちらから減らされるとか、そんなつまらないことが理由なんじゃないだろうか?
「南セントレア市」命名反対!かと言って「南中部国際空港市」ももちろん反対!!え、誰も言ってないって?
2005.02.20
福岡智彦
eEYO(イーヨ)の1stアルバム『BLUE+BLUE』の3曲目。
間違いなく「和」なんだけど、いかにもの「和」では決してない、つかもうとするとするりと抜けてしまうのがeEYO(イーヨ)の個性だ。
CDでは続く「ニッチ」という曲とメドレーになっている。
eEYO(イーヨ)の1stアルバム『BLUE+BLUE』の2曲目。
山口順は、ボクが知ってる中では板倉文と並ぶ最もユニークなギタリストだ。
このアルバムすべてそうなのだが、声とドラムマシーンとベース以外はエレキ・ギターのみ。それでいてこれでもかというほどの多彩なサウンドがめまぐるしく展開される。
それを彼は、たとえばシンセ・ギターなど使わずに、(失礼ながら)安い、古いエフェクターと1本のテレキャスター(だったよな、たぶん)のみで紡ぎ上げたのだ。まるで宮大工の如く、静かなれどたゆまぬ情熱で。
世田谷線に乗る用があったので、小田急を豪徳寺で降り、世田谷線の山下に向かう。お昼時だったので蕎麦でも食べようと思ってたら、小さな中華料理屋の前に「ラーメン200円」と書いてあるのが目に入る。ああそうだ、この店、ずいぶん前だがテレビで紹介していたなぁ、今時こんな値段ということで。
思わず入ってしまう。おじいちゃんが「いらっしゃい」と機嫌よく迎えてくれる。おお、この油くさい湿った暖かさ。石油ストーブである。狭い店内で、客が吸っているタバコの臭いも混じって、懐かしい感覚とともに一瞬ウッと息が詰まりそうになる。
ここでまずはともかく「200円ラーメン」だろうと思うが、ボクの悪い癖でいつもちょっとだけ迷って判断をミスる。「もやしソバ 300円」とあるのを見つけて、つい「もやしソバ」と言ってしまう。
すぐに訪れる軽い後悔感を打ち消すために店内を見回す。テーブルもイスも安物、薄汚れた店内、壁になぜか「ボーリング新聞」が2枚も貼ってある。お店の人が同好会にでも入っているのか。「ハウスボールの選び方」なんて記事をヒマつぶしに眺める。指へのフィット感がだいじなのだそうだ。きつくてもゆる過ぎてもだめ。親指穴に親指を入れ、ボールを回してみて、少し指に当たりながら、でもスムーズに回るのがよいとのこと……。
タバコを吸いながら新聞を広げていたとなりのテーブルの人に、ラーメンが運ばれてくる。これが「200円ラーメン」か?つい横目でチェック。直径2cmほどのチャーシューがせつないが、見た目には立派な東京ラーメンだ。でも麺の量が多そうだから大盛りかな?
やがてボクにも「もやしソバ」が運ばれてきた。わぁ!ほんっとに麺ともやしとスープだけの純然たるもやしラーメンだ。あんかけになっているところに若干愛嬌が感じられるがそれ以外は、何の邪念もないストイックさで、「通常のラーメン+もやし」というイメージを抱いていたボクは少々がっかりしたが、でもここまでシンプルなもやしラーメンに、曲がりなりにもお店でお目にかかるのは初めてなので、その驚きを味わえたってことで相殺かな。
そしてなかなかうまい。スープはあっさり東京風で、全体にしつこくなくあきがこない。うん、これで300円はやっぱ激安だよ。
ところで、食べながらメニューをよく眺めてみると、全部が全部めちゃくちゃ安いということではない。たとえば餃子なんか350円だ。ライスは並で200円。なんとラーメンとライスが同じだ。つまり「200円ラーメン」は目玉商品、客寄せパンダ的な役割で、赤字覚悟で提供しているのかもしれない。それにしては安さをことさらアピールするワケでもなく(表の看板も単なるメニューリストだからね)、商魂も邪心もまったく感じられないのだけれど……。
食べ終わったとなりの客が立ち上がる。店のおじいちゃんが「はい、ラーメン大盛り、300円ですね」と声をかける。やはり大盛りだった。だけど大盛りでも300円なのだぁ。
もう一度わざわざ来たいと思うほどではないが、今度来るときは絶対に「200円ラーメン」を食べよう。
2005.02.13
福岡智彦
「くじら」というバンドの元スタッフ…元EPICの宣伝マンで現在某コンサートホールの支配人・F氏、元EPICの宣伝マンで現在某レーベルの取締役・S氏、元マネージャーで現在某放送局の営業マン・K氏、元音楽出版社のスタッフで現在同音楽出版社の制作部長・G氏、それにボクというメンバーで、半年に一回くらい「くじらの会」と称して飲み会をやっている。
昨日それを下北で開催したんだけど、一週間前に、なんと「くじら」オリジナル・ベーシストのキオト君が、近く東京を引き払って郷里の愛知に帰るという情報が入り、それならばもしスケジュールが合うなら、今回の「くじらの会」をキオト君の壮行会にしよう、ということになり、杉林君、楠君にも声をかけたらみんなOKで、期せずして何年、いや十何年ぶりにアーティストもスタッフも勢ぞろいというパーティになった。
キオト君はいろいろ家庭の事情もあるらしいが、ともかく全然元気で、音楽活動にはこれから、むしろかえって落ち着いて立ち向かえる、と語っていた。
昔はたしかに東京へ出てこないと何もできなかったよなぁ。もうそういう時代ではないかも。
2軒目に行ったら、くじらのみんなも近しい、ライターのKKさんがいて、自然に合流というハプニングもありつつ、夜更けまで久々の親交を暖めたのであったよ。
ひとつの壮大な物語のようです。そしてこの物語の世界では時間がずいぶんゆったりと流れているような不思議なグルーブ感覚に、気持ちよく酔わせていただきました。
ナガノ・ホームレコーディングさんの他の作品もぜひ聴いてみたいです。
eEYO(イーヨ)は吉祥寺曼荼羅2などでライブ活動を続けているが、これは幻のファースト・ミニアルバム収録の1曲。
声とリズム・マシンとベース以外はすべてエレクトリック・ギターのみで作られたサウンド、というとなんとなくハードなものを想像しがちだが、その多彩さ、繊細さに驚くこと間違いなし。
まあそんなことよりも、曲のよさ、詞の世界観の特異さ、ボーカル・イーヨの声の魅力を味わってもらえればそれで充分だけど。
CDはついに売り切れです。もうどこでも手に入りません。
http://harmo
ほぼ毎日地下鉄(東京メトロ)を利用するが、ちょっと前に、おもしろいと思ったPR用のポスターがあった。キャッチフレーズがいいのだ。
・凱旋門より雷門
・ゴンドラより屋形船
・セントラルパークより新宿御苑
たしか、こういうフレーズだったと思う。説明するまでもないだろうが、やれパリだヴェニスだと、海外にばかりあこがれているかもしれないが、どうして東京にもいいものはあるぜ、しかも地下鉄で行けるぜ!と訴えている。
それがある時期どの駅にも貼ってあり、すごく目立っていたのだが、いつの間にか突然なくなった。
で、その後継として登場したのが、次のようなキャッチフレーズのポスター群である。
・自由の女神も凛々しいが、上野の西郷さんも格好いい
・ビッグベンも立派だが、銀座の時計塔もなかなかだ
・ロンドンのパブも渋いけど、有楽町のガード下も捨てがたい。
さて、これら新しいシリーズと以前のものとどちらが好きですか?
ボクはもちろん以前のパターンだ。簡潔で力強く、おもしろくて印象的。新しいほうは、だらだらと長くて語呂も歯切れも悪く、心に残らない。
言葉とハサミは使いようで切れる。以前のものは、雷門や屋形船や新宿御苑がちょっとかっこよく思える。逆に新しいほうは、西郷さんも時計塔もガード下も全然魅力的じゃない。
なぜこんな“改悪”が行われたのか?推測に過ぎないけど、海外旅行を促進したい、たとえば旅行会社とかからクレームが入ったのではなかろうか?そんな宣伝は営業妨害だ、などと。新しいほうの、「どっちもいい」ということをことさら強調したような言い回しには、どうもそのような意図が働いているのを感じる。
だけどもし海外旅行業界がそんな横槍を入れたとしたら、彼らは完全に間違っているとボクは思う。自由競争の原則を逸脱しているという意味でもそうだが、実際それらフレーズは彼らの利益を害するものではまったくないどころか、むしろ凱旋門やゴンドラやセントラルパーク(といったありふれた観光スポット)を別の視点で眺めるきっかけとなるかもしれないのだから。そういうことをまったく自覚していないだろうその感覚は、古いと言うか救いがたい。
それは地下鉄側も同じだ。圧力に屈して、もしくは自主規制かもしれないが、せっかくの名コピーを反故にするなんていけてない。あのコピーを作った人もかわいそうだ。
ポスターに「東京日和」という日本テレビで東京メトロがスポンサーの、東京の地下鉄沿線の名所を紹介する番組名の表記がある。ひょっとしたら日本テレビからの規制かもしれない。
「凱旋門より雷門」と聞いて、人はくすっと笑うだろう。ウィットの笑いである。それは文化である。「へー、そうなんだぁ、凱旋門よりも雷門のほうがいいんだぁ」と思う人がいるか?いるとしたらフレーズを変えることを主張した人たちだ。そういう人たちが文化を潰す。
糸井重里さんたちが次々と名コピーを生んで、コピーライターが脚光を浴びた時代があった。最近名コピーを目にしなくなったなぁ。日本の文化度はあのころより確実に落ちてきているような気がする。
2005.02.06
福岡智彦