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recommuni四方山話今日、別のところで週一で書いているブログをアップしたんだけど、験しにこっちでも載っけてみよう。いきなり音楽と関係ない話で恐縮だけど…
【故・林会長に恥ずかしいぞ】
なんじゃ、こりゃ!ちょっと腹立つくらいつまらなくて、これが書かずにおらりょーか……折りしも吉本の林会長が亡くなった翌日4日の夜のことである。吉本芸人中心のお笑い番組があった。暮れから正月にかけかなりの量の番宣もあり、ずいぶん力が入ってるので見てみた。「史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ'05」という番組だ。
雨上がり決死隊、ガレッジセール、キャイーン、ココリコ、さまぁーず、ロンドンブーツ1号2号、ドンドコドンの山口智充(なんで一人なんだー!?)といったそうそうたるメンバーが、相方をチェンジして(これは司会のダウンタウンが抽選で選ぶ)、新ネタを作って披露し、コンテスト形式で最優秀者には500万円の賞金が授与される、という企画。
まずボクがつっ込みたいのは、相方を換える前に本来のコンビでネタをやろうよってこと。この顔ぶれはイヤになるほどしょっちゅうテレビで拝見するが、普通にコンビで漫才ネタをやっているところを見たことがない。この中でネタを見たことがあるのは司会のダウンタウンだけ、しかも大昔、彼らがまだ新人だったころ。そんな、普段ネタをやらなくなってしまったお笑い芸人が、相方を換えてネタをやることにどんな意味があるのか?
それでもまあこれだけのメンバーが、いつものバラエティのようなその場かぎりのトークでなくちゃんと考えてネタをやるならと、多少の期待感を持ちながら見たのだが……ひどかった。
あれだけ番宣をやっていたから見た人も多いと思う。まずネタの中味がひどかった、どれもこれも。そしてパフォーマンスもひどい。みんな妙に緊張していて、テンションだけムリやり上げるからうるさいだけ。
スケジュールが忙しくてネタ合わせや稽古の時間がなかったことを、くどいほどメイキングビデオで見せたりして、言い訳にしか思えない。あの緊張も相方が違うからではなくて、ひさしぶりにネタをやったからだ、きっと。
最優秀賞の500万をとったのはココリコの田中とさまぁーずの三村コンビだったが、どこがよかったのかさっぱり解らなかった。少なくともボクは1秒も笑えなかった。
暮れのM-1も今回はどうも低調だったが、それでも優勝したアンタッチャブルの1回目のネタはおもしろかった。下の息子と一緒に笑い転げた。その500万のコントの100倍はおもしろかった。ネタの練り具合と稽古の分量が圧倒的に違うのだと思う。
みんな昔はそういう修行をいっしょうけんめいやっていたんだろうけど、忙しくてやらなくなり、すっかり腕が衰えてしまったということか。でもそれはないでしょ。おもしろくない芸人には価値がない。見る人=客をバカにしている。
笑いにもいろいろある。日常のほとんどの笑いはその場かぎりのものだろう。笑っている人にその理由を聞いて説明してもらってもまったくおもしろくないという事実がそれを証明する。でも、練り上げられた笑いというものも存在する。落語や漫才はその代表のはずだ。そしてそれはシロウトには及ばない世界でなければならない。話自体のおもしろさプラス、それを演じる技量もあってはじめてほんとの笑いが生まれる。ほんとの笑いは決して軽いものでもいい加減なものでもなく、芸術と同じく、崇高な人間の営みである。
故・林会長は吉本の東京進出の立役者で今日の吉本帝国を築き上げた人だが、基本(お笑い芸人としての力量)に厳しかったとも聞く。故・林会長の遺志を継ぐためにも、テレビに出ずっぱりの芸人さんたちは、どうか自分たちが芸術の担い手であることを忘れないでほしい。
「遊佐未森と似ている」とよく言われるらしい。声質そのものが似てるんだなぁ。声は顔の骨格とかが関係するから、声が似ていると顔つきも似ていることが多い。で、人相判断なんてものがあるくらいだから、顔つきの似た人は性格や運命も似ているのだろう。つまりはきっと感性も似ているのです。そう言えば遊佐未森の歌にも「紅茶」はよく登場するし、「ココア」という曲があるぞ。
と書いたけど、ご本人のコメントを読むと、ユカさんは小学生の頃から打ち込みになじんでらっしゃるとか。遊佐さんは初めてマックでシーケンサーに向かったとき、10分で頭がクラクラした、らしいので、そこは似てないことを発見。
それはともかく、これとってもいい曲です。せつないメロディー、胸キュンものです。
この方の存在をレコミュニではじめて知ったのですが、すごくおもしろい。独特です。
アイヌと沖縄、民族的ルーツが同じだという説もありますが、沖縄は音楽があんなに豊富で洗練させているのにアイヌの音楽ってよくわからないというのが不思議だったんですが、アイヌの音楽もやはりよいです。
陳腐な表現だけど、大地と森の匂いがします。
河井英里さんもその実力のわりにあまり知られていないシンガー。「ワーズワースの冒険」というテレビ番組の主題歌「シャリオン」を歌っていた人、と言うと判る人もいるかな。ともかくこの圧倒的に力強くて、でも透明な、声のシャワーを浴びたら病みつきになるよ。
当初1997年に発売されたミニアルバム『青に捧げる』の4曲目。タイトル通り、悠久の水の流れのようにゆったりとした時の流れと空間の広がりを持った曲です。
「天使の歌声」なんていう表現がありますが、この人の声をボクは「天上声」と呼んでいます。「天使の歌声」だと透明感のあるかわいい声なのでしょうが、この人のは透明感はありつつかわいいというのではなく、天上から降り注ぐような壮大なスケールを感じさせてくれます。
オリジナル制作は7年前の1997年。私が制作ディレクターをしました。当時AEL(アエル)というインディーズを作って、そこでリリースしたんだけど、何の力もないレーベルなのになぜかジワジワ売れていました。渋谷のHMVで平積みにしてもらったことも。
そのレーベルがあえなく解散して数年後、今度はSo-netの「廃盤復刻化計画」という企画にピックアップされて、EARTHRISE RECORDSから復活。今も根強く支持されているという作品です。
アレンジの大島ミチルさんはサントラやゲームで膨大な量の仕事をされている人ですが、ストリングスの使い方がとてもポップで粋だと思います。
この曲はアルバム中もっともアップテンポな曲。最初から最後まで猛烈なテンションで風が吹き抜けるようです。