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Lamblashのメルボルン改めTokyo公開語録

2005年10月30日

Do you miss your country? 2 

引っ越した先、今の実家のある場所はとても保守的な土地柄で、

私達一家はいまだに、他所者扱いである。

都会の人が妄想する「いい田舎のご近所づきあい」なんて、ない。

大学進学でその町を去った時も、別に何の感情もわかなかった。

大学生活は破綻寸前に楽しく、ホームシックなどおこる間でも無かった。

地元で仲の良かった友達は、みんなその町を出てしまってるし、

残ったかつてのクラスメートは大方もう家庭を持っている。

私がその町に帰っても、『東京の大学まで行ったのに、

いい年してオーストラリアなんかまで行って遊んで帰ってきて、

結婚もせずに売れ残ってる、ただの負け犬にしてダメ人間』なのだ。

帰ってもおそらくそのレッテルに大凹みしてウツになり、

両親を困らせてしまうし、自分もイヤだ。

戻るにしても、「これってダメ人間の典型だよね〜!」と笑って済む、

友達も少ないけどいる、東京に戻りたい。

仕事も住みかもないけど、実家に帰るより何百倍もマシだ。

何より実家は退屈すぎて、たぶん耐え切れない。

そうだ!ホームシックはないけどクラブシックは甚大なの。

でもクラブの場合、いいフロアが出来れば世界中どこも一緒だから。

テクノロジーのおかげで、みんな元気でやってるのは手に取るようにわかるし、

みんなが日々を生きてるのと同様に、私も日々を生きている。

メルボルンにいて、十二分に楽しくやっている。英語も全然話せるようになったし。

新しいところにいるのは、いつでもとても楽しい。

…って、最初の質問に対してほぼこんな答えをいつもしてたんだけどダメですかね?

本心だし、前向きでいいと思ったのに。

人生は旅行と一緒。

私の旅は、好奇心が"Loneliness" を全て覆ってしまっている。

"Loneliness"が、もしかして強い"Love"への欲求につながるのだろうか、と昨日考えた。

一人で寂しい>誰かと一緒にいたい>誰か探さなきゃ!

その証拠に、

4人きょうだいで育った、私の数少ない地元友達の1人は、愛知県の大学に進学し、

途中タイにも一年留学していたが、いつも定期的にホームシックに悩んでいた。

そんな彼女は、大学を卒業する2ヶ月前に結婚し、今1歳の女の子の母親である。

(そういえば彼女の結婚&妊娠のおめでたい報告を聞いた時、私は会社の人達と

 中国料理屋で遅い夕食を食べてる最中で、しかもあらかた食べ終わってから

 あんかけの底に沈むゴキブリを発見、とんでもなくおめでたくないオチがついた)

Lonelinessを子供時代にすっかり捨ててきてしまった私には、

強いLoveを探すのはどうやら難しそう。

| Posted By lamblash 投稿日: 2005年10月30日 2時11分 更新日: 2005年10月30日 2時11分

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Do you miss your country? 1 

"Do you miss your country?"

私はこの質問に"No”と答えていた。昨日まで。

でも、これってリップサービスだったのかな、と今ごろになって気づいた。

全ての、国を離れて暮らす外国人に対する、定番の話題。

みんな、ありがとう。そして今までごめんね。

明日からはYeeeees! I miss it sooooo much! I wanna eat Sushiiiiii!

Ooooh, my Muuuum!(crying)

…って感じで答える事にする。こんな答えを期待してたんだよね?

だが実際のところ、本当にホームシックなど感じない。

(そしてさほど寿司も好きではない)

ホームシック的なものは、10歳の時に全部置いてきた。

一人っ子にして両親共働きの私は、小学1年生のときから鍵っ子だった。

家に親がいないという事実を、当然のように受け入れていた。

近所にいっぱい友達もいたし、遊んで帰ってしばらくすれば両親は帰ってくるし。

両親ともに学校で働いてるので、親の赴任先によっていつか転校しなければ

いけない事は分かっていたのだが、それがちょうど4年生の終る頃だった。

3歳から住んでいた、海沿いの小さな町を去らなければいけない。

仕方ないと分かっていたのに、耐えられず大泣きした。

父にごめんねと謝られ、余計に大泣きした。

3学期早々にその話を聞き、親に「まだ誰にも言わないでね」と言われていたので、

そこから、抑えられない悲しみを隠して、普通の顔で過ごす日々が3月まで続いた。

クラス替え、また一緒だといいねとか、

夏休みに遊びに行く計画とか、

好きな子に告白するかどうかとか、

もう全部出来ないと分かってるのに、話を合わせなければいけない。

そんな話になるたびに、無かったことにしてる傷をえぐられてしまい、

家で泣いた。

飼っていた猫を置いていかなければいけない事実も、拍車をかけた。

でもあの時、彼女はきっとその事情を分かってくれていて、

未だに私のそばに一緒にいてくれている気がするんだけど。

やがて、そこからもっと大きい町へ引っ越したわけだが、

友達はいないわ、前住んでいた町をバカにされるわ、給食はまずいわで、

本当に帰れるものなら帰りたかった。いうなればホームシックだ。

今ならそれこそmixiやらメールやら携帯で簡単に連絡がとれるだろうけど、

あの頃は、もう殆ど全てを諦めなければいけない状態だった。

新しい環境に対して否応なしにポジティブにならなければいけない、

という状況に追い込まれたのだ。

これがたぶん、私がホームシックを感じなくなった一番の原因だろう。

結局、その町からすぐ隣にある町に、以前親が買った土地があり、

そこに家(今の実家)を建てたので、その町には9ヶ月だけいて、

クリスマスの日に慌しく引越しをした。もう何とも思わなかった。

両親は、また私に謝った。そのとき私が親に言った言葉。

「私、人生は旅行と一緒だと思うことにしたから大丈夫。」

| Posted By lamblash 投稿日: 2005年10月30日 2時9分 更新日: 2005年10月30日 2時11分

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