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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2006/10 | ||||||
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ラジオからショパンが流れてきました。
ショパンが流れてくる度に、なんてもったいぶって無神経で俗っぽい音楽なんだろうと思ってついラジオを止めてしまうのですが、それってどうなんだろうと今朝は思いました。
ショパンが悪いんではなくて、ここ150年ばかりの間に世界中に蔓延し尽くしたショパンの亜流に冒された僕の耳が悪いんじゃないだろうか。
ショパンの気持ちをストレートに受け止めることができなくなっているのじゃないかしら。
吉田秀和という齢90を越えた音楽評論家が何だか地味な時間帯に番組を持っていて、この方の声は秋の枯葉がかさこそ鳴ったり錆びた木戸の蝶番がきいきい鳴ったりするようなそんな趣きです。
その吉田さんが特集する作曲家がショパンとかショスタコービッチとかリヒャルト・シュトラウスとか、絶対自分と無縁と言うか、なるべく近づきたくないような名前が多く、従って番組を聞こうと思って聞くことはまずないのですが、現実の時の流れから取り残されたような地味な時間帯にふっとこちらが迷い込んでしまうことがあり、間違ってスイッチをいれてしまうとそこから流れてくる音楽の新鮮さにハッとさせられる、というようなことが二度三度あるうちに、自分の思い込みや偏見に対する疑いの念が湧き上がってきました。10年ぐらいかけて。
先入観(刷り込み)は恐ろしいもので、僕の妻はバカラックの「サンホセへの道」を聞くと地方の小都市のしがないショッピングモールが思い出されて「どうにもたまらん」と言います。
自らの思い込みに足下をすくわれないようにするために、時々は吉田さんの番組を聞いてみたいと思うのです。
が、何しろ「現実から取り残された忘れ去られた時間帯」というだけで、正確に「何曜日の何時」と把握している訳でもなく、お年もお年なので気がつかぬうちに番組終了ということもあり得る。
どうぞ長生きしてください、秀和さん。(敬愛を込めて「ヒレカツさん」と私は呼んでいる)。
コメント
金木犀の咲き始めの頃はとある場所の芳香剤を思い出してしまいますが、毎日嗅いでいると、芳香剤の様にきつくはない柔らかい匂いに心がほっこりするようになります。
話変わって、原マスミバンドみてきました!
飛龍頭の時、感動のあまり曲の途中だというのにスタンディング(してないけど着席で)オベーションしてしまいました。恥ずかしい....。