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霧の万年床〜楠 均のBGM日記

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      2006年10月13日

      秋晴れ。 

      連日の秋晴れに閉口しています。

      そそられるところが多くて、じっくり落ち着いて何かに取り組むことができません。

      家族が買い物に出るとか、どこそこに行くとか言うと、用もないのについていきます。目前の義務はほおって、気がつくと長めの散歩や、ご町内サイクリングをしている。

      これではいけないと思い、早めに寝て、早起きして宿題を片付けようと机に向かうのですが、夜も明けぬうちから頭を使うのは健康に悪いような気がして、ぐっすり眠っている犬を叩き起こして短い散歩に出ます。

      すると東の空は見事な朝焼けで、

      「ああ早起きして良かった。なあ犬よ、お前も嬉しかろ。」

      と言われて、犬は迷惑そうに渋々ついてきます。

      見事な朝焼けは5分のうちに消えて、本格的な朝の気配が訪れます。

      公園の木々に小鳥が密集して、やかましいほどに鳴き立てます。これが夜中だったらさぞかしコワイだろうな、と思いました。

      つくづく、人間も鳥もTPOだなと思います。

      微笑ましい行動も、場とタイミングが違えば狂気の沙汰になる。

      鳥や犬はおおかたTPOに沿って律儀に生きているようですけど、

      人間は外しっぱなしでコワイ。

      しかるべき条件に沿って滞りなくモードを切り替えていけば、世間も人間も丸く収まるような気がするのです。宿題は、したくなったらするとか。(そんなことありえないか、宿題である以上。)

      人間にも自然界にもいろんなモードがあるけど、モードがいったん切り替わると後戻りできません。楽しい酒席に邪魔が入ったらもうさっきまでの馬鹿話では盛り上がれないし、あんなに暑かったのに今はもう秋。(でも昨日は蝉が鳴いてたなあ。)

      モードに従って、カチッとスイッチが入ってパキッと行動できたらいいのに、そうはいかないので困る。

      動物はうまくやっているのだろうか。繁殖期や冬眠があるのはとてもいいことだと思う。競争の激化とか、大変なことはいろいろあるだろうけど、気分はすっきりすると思う。

      覚悟を決めて生きるしかない。

      抜け道がいろいろあるとすごく複雑で面倒なことになる。

      それで救済されるということや(たとえば、高校に入るのに内申書が重視される傾向が出てきて、試験に失敗した子にもチャンスが与えられる)、経済効果や楽しみが増える(プロ野球がプレーオフ制度を導入したせいで、やたらと大事な試合が増えました)ことはあっても、厚塗りの化粧みたいなものでどうも嘘くさくなる。嘘というより空しいというほうが近いでしょうか。だって、確かに改善されるところはあるけど、新しい弊害もまた確かに生じる。帳尻はどうかと言うと、一歩進んで二歩下がる人生はワンツーパンチ、ってとこじゃないでしょうか。(慰めをいえば、明日は三歩進めるかもしれない)

      無駄なことはやめて、もう一歩も動かないでじっとしていればいいと思うけど、それだと退屈するんだろうか。それとも、目の前に何か問題があるとそれをなんとかしようと思うのが人間なのだろうか。

      (仮にそのせいで三日後に全体が破綻するとしても)目の前のほころびを繕うことが絶対的急務と認識されるのだろうか。

      息子が1才くらいのとき、この子がビルの屋上から降って来たら、反射的に手を伸ばして身の危険を顧みずなんとか救おうとするだろうと僕の腕が言い張るので驚いたことがありました。その現場を想像してみても、脳内の涙腺につながるヒロイックな部位は1ミリも刺激されませんでしたので、それは愛情(というようなこみいった感情)に先立つ反応だと、僕は実感しました。(子供が海に落ちたという場合を想定すると、これは僕は手出ししない。水が苦手な僕は、人を助けるどころか100%確実に自分が溺れ死ぬことがわかっているから、反射的に飛び込まないことを選択するでしょう。野生に曇りがなければ、一瞬のうちに損得勘定するでしょう。子供が空から降る場合は、自分が死んでも子供が助かることがあり得ると踏んでいるに違いない。そのように自他をごちゃ混ぜにしての損得判断のことを、愛情と呼ぶのかどうか、僕は知らない。ちなみに、その後息子をプールに通わせて、万が一の時には自分の命は自分でなんとかするように、更に僕が海に落ちた時には彼に助けてもらえるように、手は打ってある。)

      それからしばらくして、博愛ってあるなと思ったことがありました。

      自分の子供だから命に代えても反応する。でも同い年の子を見たら自分の子がその子にだぶるから、怪我くらいですむなら反射的に手が伸びるだろう。そうして救いの輪は、密度がどんどん薄まりつつも、外へ外へ、より他人へと広がっていく。(薄まっていくのは博愛じゃないか。薄愛?)

      このエセ博愛の大きな問題点は、対象が自分の子と同い年の子に限られるという点です。かつて、我が子同様いとおしく思えた街角の乳飲み児や、サルなみの幼稚園児たちを、以前ほどにはかわいらしく思えなくなっていることを告白しなければなりません。まあそれでもサルなみにかわいいとは思う。子を持つ以前には感じなかったことなので、エセとはいえ、博愛の効果はあった。(でも博愛主義っていうくらいだから、やっぱり博愛は意志なんだよね。僕のはせいぜい博反応とか博反射どまりですね。)

      話はそれましたが、緊急事態にまず対処する(後のことは考えない)というのは大事なモードのひとつなんでしょうね。文部科学省もプロ野球も野生の命ずるところに従っているだけなのかもしれません。

      ああ、長い無駄話で秋の空が台無し!

      注:写真はイメージで本文とは関係ありません。

      | Posted By XNOX クスノキス 投稿日: 2006年10月13日 17時31分 更新日: 2006年10月14日 9時50分

      コメント

      お月様も綺麗ですよ。
      私のデジカメじゃうまくとれませんでしたが。

      私の連日のライブ通いも野生の命ずるところに違いないと思っています。
      by いけ - 2006年10月14日 0時52分
      どんなに長い長いお話も、
      吸い込んでしんとしている秋の空。

      久しぶりにバイトも無く、
      ぼーっと過ごす秋晴れの日々です。平和だなぁ。
      by ながとも。 - 2006年10月16日 20時44分
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