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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2006/9 | ||||||
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段取りが苦手なことは前回書きました。苦手意識というものは、失敗体験をいくつも重ねることによって更に強化されていくものです。私の言う段取りというのは、具体的に言えば必要なドラムセットを過不足なく用意するというもので、それを聞けば何も知らない素人さんはナニそれって小学生が時間割どおりに教科書やら揃えるのといっしょじゃん、とかおっしゃるに決まっておる。まあね。おおむねその通りである。だが違っているのは時間割にないオプションを自分で考えなければいけないことです。たとえばスネアはどれ、タムは何個、シンバルはどうだとか、本日はそれにマラカスでもひとつくっつけて賑やかにやらかすか、とかそういうことである。これは大方どうでもいいと言うか、いくつ持って行っても使うのはひとつであるとか、持って行ったはいいが半分は使い物にならない不良品であったとか、そういう結果に終わるものだ。しかし大方そうであるからと言って万が一ということは常に可能性としてある。可能性としてあるかぎり手を抜かないのがプロフェッショナルというものであって、そこらを歩いている素朴な小学一年生などといっしょにされては叶わない。
そうして揺るぎなく手を抜かず万全を期してもなおかつ漏らしが生じるところに苦手の苦手たる所以があるのである。今年一番痛かったのは、バスドラムを叩くためのビーターという棒の先に大きめのお団子をひとつ付けたものを忘れたことです。シンバルもタンバリンも人にくれるほどたくさん持って行ったのに、ビーターがなければドラマーは・・・エーと・・・後家も同然です。そのこころは、夫(音)がない。・・・。さて、スタジオにいたすべての人に頭を下げてまことに済みませぬがビーターの余分、持ち合わせはございませぬかと問うても持っている人はいない。世の中にビーターを鞄に忍ばせて毎日持ち歩く人は僕も含めてざらにはいないことを確認した後、知り合いの正義の味方に電話で泣きついたところ、たまたま何本か転がっているから今すぐとりに来なさいと言う。さすが正義の味方。作業をどれほど遅らせることかと暗澹たる思いでしかしワラにもすがる思いでタクシー走らせその方のもとへ駆けつけてみたらば目とヘソの先くらいの近さで命拾いとはこのことでありました。おかげさまで今でもその時の仕事仲間から絶縁されずにおります。とこう書いているうちに、この件に先立つ数ヶ月前、ペダルを忘れた件を思い出しました。常に、古い失敗は新しい失敗に覆われていくものです。ズンズン響くバスドラムがバンドサウンドのエンジンであるならば、それを鳴らすためのギアであるペダルは車で言えばアクセルである。どうりで形も似ている。タクシーやバスの運転手がアクセルを忘れて仕事になりますか。いや、ならない。この時は横浜のみなとみらい地区での仕事で、みなとみらいに楽器屋はあるまいと絶望していたら1軒だけあって、そこに1本だけあったペダルを購入してことなきを得た。念には念をいれたにもかかわらずこのような結果であることが、私の苦手意識を日々強化しているのです。我が家でもっとも段取りが得意な妻(多分全然自慢にならないと思う、気の毒だけど。)は、いっそのこと道具目録を作成して赤ペンでチェックせよとか、同種のものを一カ所に集めておけとかいろいろな忠告を(かつては)くれたものだが、それらはどれも当たり前すぎる堅実な内容であって、当たり前で堅実なことが実践できるならば世の中にメタボリック症候群は存在しないし、英会話を夢見ながら失意のうちに死んでいく年間50万人(推定)の日本人もまた存在しない。内蔵脂肪を燃焼させ、英会話を習得することが人々の仕事(あるいは生業)であればまず間違いなく人々はそれをやり遂げているに相違なく、つまりは私も我が家の倉庫番を生業とすることができれば、先に書いたような失敗は万にひとつもあり得ないのである(断言はできないけど)。現実にはそうでないから、彼らメタボラー&年間50万人と私の悩みはつきないのです。
コメント
多摩川河川敷でしょうか
ボクの最悪の思い出は、クスちゃんもご存知の、「くじらマルチテープ忘れ事件」。1988年のことだ。
ロスへミックスダウンをやりに行くのに、マルチトラックのテープを家に忘れたんだね。当時のマルチテープは幅5センチ、直径約30センチの極大テープで、しかも1本に2曲くらいしか入らないから、全部で5本。それを忘れてはどうしようもないから、前夜に玄関にどーんと積み上げておいた。
で、当日、パスポートは?みんなの分の航空券は?着替えは?洗面用具は?電源変換アダプターは?…と念入りにチェックをしながら、マルチの束が目に入らなかった。言い訳というか思い訳に過ぎないかもしれないけど(そう考えるしかありえないのだけど)、寝室のドアの陰になって見えなかったのかもしれない。
気づいたのは箱崎からのリムジンバスの中。トランクもチェックインして、やれやれ後はもう寝ていても成田に着く、と忘れずに持ってきたカセット・プレイヤーで音楽を聴き始めて…しばらくしてから背中に悪寒が走った。忘れた!
今ならすぐに携帯電話だろう。それがない時代だった。簡単に計算しても、成田に着いてから誰かに連絡して持ってきてもらうのでは遅すぎた。当然だがリムジンバスは成田までノンストップである。
冷や汗で融けそうになりながら運転手さんに、なんとかドライブインで停まって電話をさせてくれ、と頼んだ。ただならないボクの様子に同情してくれたのだろう、停まってくれて、ボクは電話ボックスに駆け込んだ。
長くなるので割愛するが、誰に持ってきてもらうかなどそこですったもんだあって、時間がかかり、運転手さんはだんだん鬼のような顔になってくる。なんとか段取りをつけて、もう米搗きバッタのようにペコペコしながらバスに戻り、乗客すべてに深々と頭を下げた。
会社のデスクの人にタクシーで持ってきてもらって、結局は事なきを得たのだが、あれはボクの人生最悪の悪夢だ。
で、未だに理解できないのは、なんで忘れたんだろってこと。自分でも解らないくらいだから人にも解るはずがない。そのときも同行のメンバー全員からあきれられた。歳とともに記憶力は二次元方程式のカーブで衰えていってるが、88年と言えばボクもまだ30代前半の働き盛り、記憶力が人より鈍かったという自覚もない。
でもそこでなんとかする(なる)という経験も悪いことではない。ピンチに強くなることは間違いない。この数年後、さらにタクシーにマルチテープを忘れたことがあり、いつもは領収書を習慣のようにもらうのに、そのときに限って、酔っ払っていたこともあり、もらわず、どこのタクシーかも見当がつかなかったが、奇跡のような勘で、翌日無事に奪還した。
実はここ2ヶ月で携帯電話を2回電車に忘れたのだが、1回目は翌日、2回目はその日のうちに出てきて、失敗の挽回には妙に自信めいたものまで感じている。これはこれでやばい。
前回の写真は多摩川の河川敷ではなく北海道の湧別川の河川敷で撮ったものです。早朝息子の釣りに付き合って、僕はすることがないので寝転がっていました。
福ちゃんへ
そういやあの時は大変でしたね。でも僕は初めてのアメリカで観光気分でそれどころじゃなかったよ。ごめんね。回数は僕が上だけど一回の忘れ物の重みでいうと福ちゃんがずっと上ですね。
そういえば、榎本喜八の本が書評に載っていました。確かに非常に面白そうですね。かなり前の話だけど。