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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2006/9 | ||||||
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段取り段取りと毎回しつこいですが、段取りの話は今回で終わりです。
さて、段取りのさなかにエリントンを聞いたために脱線した話を前々回いたしました。
脱線した軌道を修正して、翌日無事に仕事先に向かったのでありますが、そこで私は意外な経験をいたしました。
リハーサルであれレコーディングであれ、耳栓なしにはもはや演奏できないと随分以前にこの場をかりてこぼしたことがあります。長年の耳の酷使によって耳が疲弊して大きな音量に耐えられなくなったせいだとその時は結論したのでした。ところがこの日私は耳栓なしでかつてなく気分よく、音楽的くつろぎを感じながら演奏することができたのです。
なぜだろう?理由をあれこれ詮索した末に思い当たったのは、前日音楽鑑賞に耽ったことでありました。後先を忘れて音楽を聴くことによって心身がほぐれハナウタまじりの楽しい気分に私は浸されておりました。全身が音楽を友と認知し、感覚から澱が洗い流されて、乾ききっていた鼓膜はフレッシュな音楽をいっぱいに含んだスポンジのようになって指先でつまむとじゅっとジュースが滴るほどでした。(それは明らかに馴染み深い耳垢とは別種のものでした。)その結果世間に対する警戒心や気後れ、あるいはいいとこを見せようという功名心から開放されていたのだと思います。すると不思議なことに、音量を上げなくても音楽が聞こえてくるとまではまだ確信を持っていえませんが、少なくとも私はいつもと正反対にどんどん音量を下げていって耳に負担をかけることなく録音をつつがなく終えることができました。この調子でいけば、近い将来ヘッドフォンをしなくても音楽が聞こえるようになるかもしれませんね。
帰る道すがらの電車内において、浮かれて私は次のような結論を導き出しました。どうぞひとつ聞いてください。
「演奏することにつきまとっていた感覚的障害(違和感)を、音楽鑑賞が取り除いてくれた」のではないだろうか?
これを、「感覚的障害と思い込んでいたものが、実は心理的障害だった」という話にしたくないのは、それが実感と違うからです。
私はドラムプレイヤーであり、「XNOX」において自作自演芸を目指す身であります故、ぼーっとしているとき以外はなるべく創作しドラムに励むようにと神様からユルくご指導を受けています。
(ところがこの神様のユルさもあってか、ボーッとする時間があまりにもボーダイで、仕事というといつも火事場の馬鹿力頼りというか、火事場泥棒のように追われるように逃げるように大慌てで進めなければいけなくなるのが常です。火事場泥棒はなぜいつも火事場泥棒的なのか。火事場泥棒の心理に分け入った音楽評論家の意見を聞いたたことがありませんが、火事場泥棒こそ日頃から音楽鑑賞して、いざという時に備えるべきでありましょう。ハナウタのひとつも歌ってこそ、普通なら見つけることのできない金庫の中のダイヤモンドや焼き栗を易々と発見し、さながら自分のために神様が用意してくださった誕生日のプレゼントであるかのように、それら盗品を喜びのままに持ち去ることもできるというものです。たぶん。)
そのせいでここ何年も音楽鑑賞をなおざりにしてきた、のみならず音楽鑑賞を積極的に軽視する傾向さえあったのでした。
BGMは途切れずにあって、すごい音楽なのにBGMにもなるという重宝な音楽もあって、そういう意味で音楽に不自由した覚えはないのですが、ながらでなく、利害でもなく(その音楽から何か盗んでやろうとか)、虚心にスピ−カーと面と向かうということはなかなかしなくなった。(もちろん音楽の無限たれ流しを可能にしたテクノロジーも大きく関与しています。)私の感覚(耳)が危機に陥ったのは、ほったらかしにされていた音楽からのしっぺ返しだったかもしれません。
コメント
楠さん○○歳のお誕生日おめでとうございます。
いつまでも素敵な低血圧の楠さんでいてくださいませ。
おいしく食べていただけましたか?
妻に言われるまで誕生日だということを忘れていました。
僕も血糖値を上げるために今日はケーキでも食べようかな。
楠さんにとって、淡々と進化する1年でありますように。
耳と音楽からもちょっと早い祝福が届いたのかもしれませんね。
これからもたくさんの祝福がありますように!
お言葉に甘えて気長に頑張ります。
こんなにたくさんの人から誕生日を祝ってもらったのは、小学校1年のとき以来です。
長生きするものですね。