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霧の万年床〜楠 均のBGM日記2025/4 | ||||||
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昨夜BS2「寅さん」全部放映企画の最終48話目終了。ほとんど見てしまった。勢い盛んな時代から文字通り死の直前まで。あーもあった、こーもあった、ツェーもあったゲーもあった。途中、シリーズ自体もこちらの気持ちも緩んでしまったこともあったけれど、その後持ち直し1本1本の趣向の違いがわかるようになり、そうするとシリーズを通じた起伏が感じられるようになり、そうするとだめな時もだめなりにいいと思えるようになる。そうなると実に楽しい。(そうか阪神ファンもこの気持ちか。)僕が好きなのは池内淳子のやつと都はるみのやつ。リアルタイムで見てなくて良かった。渥美清が亡くなった時泣いてしまったろうから。寅の衣を着たあの人の芸をこそ惜しんで。有名な主題歌は毎回歌い直していたと思う。いつもちょっとずつ違っていた。ナット・キング・コールの「プリテンド」と並ぶ完璧なスタンダードナンバーだ。
BGM日記といっても音楽のことじゃなくて暮しの背景に聞こえる音のことを書くのかと思ったとW(ワイフの略)。私もそのつもりでおって、今にそのようになるであろう(か)。この日記の発端となった「ごはん日記」の作者いしいしんじさんの「麦踏みクーツェ」という小説の中に盲学校の一風変わった音楽の授業の様子が出てくる。原っぱに仰向けになってしばらくじっと耳を澄まし、各々が聞こえたものを発表する。中には流星が天空をよぎる音を聞いたなんてことを言い出す奴も出てくる。これは大ボラだったのだが。注意深く見たり聞いたりする状況に身を置くことは大切と思ふ。まだデジタルのビット数が粗いうちにその隙間の感覚をせいぜい磨いておくべし。楽聖ベートーベン、なんてことを覚えるのが教養だと思われていた時代のしっぽに僕は育ったが今でも学校の授業は五十歩百歩みたい。美しい国なんて唱えてみてもねえ。寺子屋みたいに読み書き計算に集中した方が子供も先生も楽だし、単純なことはそう長い時間はできないからあとは好きなことをすればいい。
ネットで見たらデイブ・シャペル君は映画にもたくさん出ているからチョ名人に違いない。家族は「武士の一分」を見に出る。僕はXNOXのカラオケ作り。気が狂いそうになる。映画を見に行けばよかった。突然の豪雨に犬狼狽。犬が狼狽?犬と狼は親戚だもんな。狼狽の狽の字を唄と誤って覚えていたことに気付く。小唄、端唄、長唄があるから狼唄(ろうた)があってもいい。虎唄(とらうた)、魚唄(ぎょうた)。
1月は映画月。TVに飽きた、小さい画面にも飽きた、ということもあるが、家族が二人とも1月生まれで誕生月は僕も含めて1000円ぽっきりなのだ。「鉄コン筋」も見たし、今夜は「ブロックパーティー」だ!どんな映画かしらないけど。デイブ・シャペルという漫談家がブロンクスの街中で野外ライブを企画し、ミュージシャンを集め自らラウドスピーカーを手に街角や故郷で街宣する。蝶のように舞い、蜂のように刺すのにアリとはこれ如何に。シャペル君はボクシングはしないけど、しなやかな頭脳の持ち主で老若黒白の別なく友好的で本業のばかばかしいお笑いもよどみなくスピードがある。ファンになる。ヒップホップの生演奏ちゅうのはカッコいい。バンドがいい。ラッパーは誰が出てきても区別がつかない。でもステージを降りるとそれぞれキャラがいい。エリカ・バドゥとローリン・ヒルはもっと聞きたかった。ハイチ出身のワイクリフというおっさんが、ブラスバンド部の学生を前にオルガン弾きながら歌うカリプソっぽい聖歌(?)、
「金曜に大統領になり、土曜に暗殺され、日曜に埋葬され、月曜にはいつもの仕事にもどる」という歌詞で、これがすごくいい。(シャペル君もこの人も有名人だったりして。知ってる人が読んだらアホと思うかな。)
隣りに座ったBboy風のお兄ちゃんの全身から煮詰まったタバコの臭いが沸き立つように臭っておって、頭が痛くなりかけたがそのうち慣れた。翌日の夕刊にくさや作りの名人の談話。「どんなきつい臭いも4、5時間(4、5日だったか4、5年だったか思い出せないけど)経てばまったく気にならない。人間の感覚なんてそんなもんですよ(笑)」とあった。(笑)。
近所でスパゲティ。小さな店でおじさん(といっても多分僕より若い)が一人で切り盛りしている。無愛想だがいい仕事をすると尊敬しかかっていたのだが、この日はだめ。(気のせいか少し愛想が良かった。)毎日のことでプロって大変だ。
近所の映画館で「敬愛するベートーベン」を観る。なぜだか息子が見たいというので。「アマデウス」のモーツアルトはおならしたり馬鹿笑いしたり転げ回ったり、とてもまともとは言えなかったが、ベートーベンも誰彼なくかみつくし、うら若き女性の前で裸で行水し最後に尻まで見せて大笑い。負けていない。第九はあのメロしか知らない。夕焼け小焼けも改めて歌ってみるとすごくいい曲だけど、あのメロも改めて聞くとおどろく。和声なしに静かに入ってくるとこなんか息が詰まる程だ。そこがあんまりいいのでそのあとどんな大騒ぎがあっても別に気にならない。
藤原真理バッハ無伴奏全曲演奏会。おお。
その同じ建物内の小部屋でフォークギターをかき鳴らす。
ピックで弦を揺さぶっているうちに気持ちよくなってきて、ストラップをして立ち上がって、壁際のカーテンを引いたら鏡が現れたのでいよいよ気持ちが昂ぶってきて気がついたら3時間経っていた。XNOXのために予約したのに何の練習にもならなかった。でも、ギターを肩からぶら下げてかき鳴らすと腹を中心に全身が振動するということを初めて知った。なるほどねー。ディランもバーンも拓郎も剛もテツ&トモもタローもヨシコもこの快感を味わっていたのか。いや、なんだか得をした気分。
レコーディングスタジオでBECK氏を聴く。ドラムサウンドの参考にしようということで。スネアドラムの音が美しく自然である。のに、生々しく聞こえるように緻密な処理を施されているようにも聞こえる。デジタルモザイク職人が作った壷だろうか。こういうのもバ−チャルっていうんだろうか?本当はどういう音だろうか。昔ジャズ喫茶なんかに行くと、たとえばライドシンバルの音なんか生々しくてというか目が覚めるようないい音でそのとき思うのは「やっぱエルビンさん凄いわ」じゃなくで「この(巨大な)JBL凄いわ」だったような気がする。少し齢をくうと今度は「あの当時のマイクは違うね」なんて知った風な口をきいたような気がする。当たり前だけどオリジナルのエルビンさん本人が凄いもんだからどうとったって凄いことにはなる。でもカメラと同じでマイクで録るってことは絶対に見たまま、聞いたままの音ではない。一度、スピーカーを蹴破ってケーブルをたどってマイクまで到達して、そこからよいしょとスタジオに降り立って、目の前のエルビン氏だのリンゴ氏だののサウンドを直接この耳で受信したいと思わないでもない。ただ、スタジオに降り立ったはいいが勢い余って床に倒れ伏したその状態で聞いてしまう、あるいは天井の鉄パイプにセーターが引っかかってしまって宙吊りの状態で聞いてしまうなどの事態も想定される。せっかく本物を目の前にして口惜しいかぎりである。臨場感を感じたければ、リンゴ氏のセットの真正面あるいは真後ろに立ち、数歩後ずさりしたい。「レコード芸術」に触れたい場合は許可をもらってスピーカーの前で聞きたい。でもひょっとしたら、リンゴさんと同じスタジオにいられる喜びだけで、天井から逆さ吊りになりながら天上の音楽を耳にしているかも。いい音って確実にあるのに定義できない。
セオ・パリッシュを初めて聴く。デトロイトといえばモータウン、テクノといえばYMOという超レトロなイメージしか浮かばない人間にデトロイトテクノとは何事か。しかし、しっくりきてびっくりした。他人がやっている音楽を鑑賞するという感じではなく、まるで自分の中からふつふつと湧き上がってくるような静かな興奮。黒いカリントーが一直線に何百本も何千本も並んでいる。カリントーアート。光ったりしないでむしろ光を吸い込むような真っ黒いカリントー。僕もセオ・パリッシュのように、背をパリッシュ伸ばして歩きたい。
この人の名前を友人から教えてもらったのはもう3年以上前のこと。胸に留めてから実際耳にするまでにフツーに3年はかかる。年が明けてある音楽ソフトを立ち上げてみたら、買ってから3年以上経過していてびっくりする。去年の出来事のつもりでキムチ鍋の話をしていて、息子にそれはおととしのことだと指摘されびっくりする。いちいちびっくりするのは、3年経ったら子どもからヒゲの生えた高校生になっていたという若い時の経験があるからだ。そんな未熟時の経験にいつまでも惑わされるものかいな。いちいちびっくりしてはいられない。
明日中にレンタルCD店にCDを返さなければいけなくてアタフタする。たくさんある。聴いてないのもある。だいたい借りた途端に聴く気がしなくなる。電車に乗って返しにいくのは面倒なので宅配便を利用する。でもそのためには不要なCDを10枚以上同梱して店に買ってもらわなければいけない。迷った末、若い頃のアレサ・フランクリンがジャジーな曲やブルースを歌うCDも放出することにした。ジャズっぽい曲は天童よしみが歌っても変わらないだろうというくらい似合わない。けれどリズム&ブルースになると途端にインクレダブルになる。無駄のない筋肉から極上のパンチが次々に繰り出されてこちらは恍惚のサンドバッグ状態になりながら「もっと打って!」と哀願している。いろんな官能の有り様があると納得させられるひとときだ。でも歯をくいしばって放出。
特にいいのは姑息にダビングするが経験から言ってそんな風に残してもまず聴くことはない。一期一会。合掌。
新年第一弾がいきなり3週間も前の話というのもなんですが、正月には正月らしいことをというワイフのWさんの主張で寄席に行く。すごい混雑で入ろうかどうしようか迷っていたら春風亭昇太とケーシー高峰とテツ&トモがやってきてTV中継が始まった。
モニター越しに爆笑問題と話しているらしい。久々に見たテツ&トモの寒そうなジャージ姿、末長く続けて欲しいと胸中合掌。
せっかく来たのだからやっぱり見てこうということになり、木戸銭大人一人3500円也。(ガラスのブース内の銭番のおじさんの前には一万円札がわさわさ舞っていてめでたいことこの上ない。万札をたたむ暇もない程忙しいちゅうことか、景気よさを強調する作戦か。)
中は意外に狭く、立ち見でいっぱい。人垣に隙間を見つけてそこからのぞくように見る。PAがしょぼくて、ていうか肉声が聞こえるようにとの寄席的な粋な配慮からわざと音量を押さえてあるのか、芸人の声が聞き取りにくい。芸人はあちこち年始に駆けずり回っているようだし、客も初詣の延長のつもりでじっくり噺を聞こうという構えでもない。落ち着かない。でも、次第に場に馴染んでくるにつれ、こちらの聴覚が調整されてなんとか聞こえるようになる。顔も名前も知らない年配の落語家が独特の間合いでじっくり語り始める.そのテンポ感に客戸惑うが、ほどなく語り口と声音に引き込まれる。(このじいさんジョアン・ジルベルトか。)胸中喝采。TVに出なくてもすごい人はいるものだ。
新年に寄席のざわめきと芸人の声。初耳づくしでめでたさひとしお。