a person powered by ototoy blog
霧の万年床〜楠 均のBGM日記2025/4 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | |||
2025/5 | ||||||
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
熱まで出始めた。怪しい秘術に通じたヤブ医者め。道であったらかわず掛けをお見舞いしてくれるぞ。
秘術のせいでやる気というものが一滴残らず蒸発。そこで伏す。起きて阪神ー巨人戦。気がつけば3日続けて見ている。この齢になって野球とは。最後にダイヤモンドを駆け抜けたのは35年前、帽子を脱いで万来の歓呼に応えた。空想の中で、世界中から惜しまれて引退した。だからオレはもういいっつーのに、同居人たちが夜な夜なグラウンド整備に精を出す。おしっこに起きると、Sは投球練習をしている。Wは下柳氏のホームページを覗いている。頭がヘンだ。近頃こっちまで頭がヘンになって、中継前からテレビの前で茶碗叩いている。今日のように無気力でいると、野球に対する偏見も消えてこの上なく面白い。つるつる見る。
背中に鋭い痛み。寝違いというにはあまりに痛い。肩甲骨の下に短刀が突き刺さっている。動くとそれがグリグリ揺れる。ヤブ医者の呪いだろうか。
阪神下柳投手先発。下柳氏は山を追われて遠くカムチャッカから海を渡ってやってきた中年の熊だ。傷んだ毛並みが濡れそぼって最近はエサにありつけずあばらが浮いている。金満巨人打線に打たれる。元気が戻ったらこのワシが鉄砲担いで仇討ちに行く。
中央道から巨大な富士山を見る。雪をかぶって真っ白け。
いよー、日本一。偉容。異様。
昨日はヤブ医者巡りでひどい目にあった。同じ金を払うなら七福神巡りでもするんだった。
そこで伏す。BGMはミクロストリア。ブーンとか、チッチッとかいってる。楽屋でも昼寝にはミクロストリアだ。周囲の会話や雑音によく溶ける。こういうのもエレクトロニカというんだろうか。ミクロストリアはかなり前のものだ。最近のエレはどうなっているのだろう。指南役のキ氏が東京を去ったのでさっぱりわからない。下北沢のONSAはエレなBGMがかかっていて昼寝に最適だったのに今はない。好きな店がコツ然となくなるショックは大きい。中道商店街から篠ノ井というそば屋が消えた時の衝撃は一生忘れることがないだろう。跡には自由が丘から来ましたなんとかいうチャラけた食堂が建ちましたとさ。それをいえば、荻窪の丸福。脱税事件後、おやじは随分ピリピリしてらした。それでも僕は好きだった。年に一度しか行かなかったことを心から悔やむ。
エレクトロニカにポップがつくと急に眠れなくなる。寝床を奪われた犬みたいに所在なくウロウロする。とりあえず「音楽」らしい形を求める性急さに尻をつつかれ、心臓がちくちくする。耳ざわりがよければ心が安まるというものではないみたい。ギュイ〜ン、ツボチツボチ、シャヂッ。おやすみー。
シンゾウの痛みが二日続く。不安にかられ医者に行く。
看板にいろんな「科」が書かれてある近所の病院。ベテランの看護婦さんに症状を訴える。看護婦さんは血圧を測りながら「顔色が黄緑色ですがいつもそんな?」と聞くので「ハイ」。看護婦さんの眉間にぎゅっと力が入る。死体安置所を思わせる地下の暗がりでX線写真と心電図。医者の診断を待つ間、文春の土屋教授のエッセイで大いに笑う。それを見た先ほどの看護婦さん、眉間のしわをいっそう深くして、心なしかぞんざいに僕の名を呼ぶ。診察室で、僕より若いくせに白髪でギョロ目の医者に問診を受ける。あちこち遠慮なく触ってくる。ニタニタ笑っている。そして「筋肉痛じゃないですか?」と言う。心臓が止まりそうになる。「誰?この俺が?筋肉痛?おいおい筋肉痛で医者に行くトンマがどこにいる。トンマな君んとこにはそんなトンマが日々大勢押しかけてるか知らんが。人を見てものをいいたまえ。忙しいと痛み、暇になると痛み、風呂に入ると痛み、煙草を吸うと痛み、酒を飲むと痛む。そんな筋肉痛がどこにある?」そう言いたかったがなるべく人の好い顔をして「そんなこともあるんでござんすかねえ。へへへ。」と感心して見せた。医者は続けて「写真はきれいだし、心電図も問題ないし、血中の酸素濃度なんて100%ですよ。ははは。」と破顔する。一体何がおかしくてそうニヤつき、しまいにはバカ笑いするのか。私は金を払って笑われにきたのではない。屈辱でシンゾーが痛む。ヤブ医者め、いつか懲らしめてやる。そう言ってやりたかったがいかにも安心を装って「すっかりお手を煩わしちまいまして。」と頭を下げてその場を去る。怒りはなるべく溜め込んだ方が復讐のカタルシスが大きいと、かつてハリウッド映画から教わった。おもてに出て看板を検分して驚く。循環器、という項目が一番最後に投げやりに書かれてありしかも剥げかかっている。いかにも付け足しである。なるほどヤブな訳である。近所で済まそうとしたのがよくなかった。
そぼ降る雨の中、少しだけ足を伸ばして別な病院へ行く、今度は看板を確かめて。混雑していないのが気に入った。土屋教授のエッセイでひとしきり笑おうと思ったら、何せすいているのですぐに名を呼ばれた。経験豊かそうな齢のいったお医者が、花粉症なのか、マスクごしに失礼と丁重にことわって、あれこれ訊ねたり測ったりの後、うーむと唸る。「どんなですか」と聞くと、「心臓の痛みが丸一日続いたとしたら、あなたはとっくにこの世にいないでしょうなあ。」とのたまう。先ほどまで思慮深げであった目が不真面目にうわついている。耳を疑ったが、老人相手に暴動起こすわけにもいかず、今日のところは潔く引き下がることにする。釈然としないが、家族を安心させるために全快祝いということにして「てんや」で天丼をおごる。捲土重来!てんどんちょうだい!
S(息子)が「バッテリー」という話題の映画を見るというので、よっしゃ、全快ついでについて行く。2時間近く野球少年たちの汗を鑑賞する。
誤解のないように書いておきます。三崎も城ヶ島もとてもいいとこです。三崎の商店街には日本の町々から失われてしまった懐かしい空気がそっくり残っているし、城ヶ島は不思議スポットです。しけてる、というのは僕なりの親愛をこめた表現です。三崎のとなりの諸磯も素敵で移住したいくらいです。三崎出身の水様、城ヶ島大好きの草君、どうかご理解を!
三浦半島の先っぽの漁港、三崎に宿をとる人にはよくよくの訳があるに違いない。たとえばマグロの密漁とか。私ら一家にそのような大望はない。ではなぜ三崎なのか。熱海という案もあった。時代から取り残された熱海で湯につかり、終日浴衣を着て怠惰に過ごす。これはよい。しかし値が張る。終日浴衣で過ごすためには風通しの良い木賃宿であってはいけないからだ。それに熱海で木賃宿では気持ちも落ち込む。そこで三崎だ。三崎にそもそも高級宿は存在しない(と思う)。どこに泊まっても同じようなものだからどこに泊まっても寂しくない。海はあるが海といったって港である。およそ人を観光へ駆り立てる要素はない。目と鼻の先には「城ヶ島の雨」の城ヶ島があるが、これとて磯で小一時間遊んだらそれきりすることはない。江ノ島を小さくしたような場所で、商店食堂街もあっけらかんとして野望が感じられず、しけている。しけた町に目的なく滞在するというのはとても贅沢だ。限られた人生の貴重な時間をわざわざ無意味に過ごそうというのだ。僕はその企てに酔った。犬は車に酔った。無学な子供にはその企ての意図が理解できるはずもなく、彼の頭には謎だけが残った。(あるいは、なぜディズニーランドではないのか!なぜジャワ島やハワイ島ではないのか!金がないならないで、なぜおとなしく家で甲子園を見せてくれないのか!という怒りが。)今はそれについて語る暇はない。それよりも君の母さんの裏切りについて話そう。無意味にして無為であるはずの旅に、W(妻)は密かに「目的」をしのばせた。あけてびっくり玉手箱とはこのことである。前夜から一転して気持ちよく晴れた朝を迎え、さて昼食にはやはりマグロかねなどとありふれたことを言ってると、ニコニコ顔のWが「実はねイー店があるのよ。知る人ぞ知る、とっておきの、うまくて安い。しかもしんちゃんの行きつけ、大推薦の店まるいち!」と言ってしんちゃん(いしいしんじさん)の本のページをひらひらとはためかす。うーむ、またしても出たな,
いしいしんじ(敬称略)! しかし、知る人ぞ知るとっておきの、とれたての地魚を食べさせる食堂は魅力だ。三崎ではマグロ以外にもうまい魚がいっぱいとれているに決まっているのであって、お定まりのマグロを、お定まりの有名店で、ボラれるのを覚悟でというのよりは断然興がのる。しかもしんちゃんの推薦付き。妻にとってしんちゃんは旬の大スター。大スターが座った椅子に座って大スターのお薦めのメニューに舌鼓を打つというのはミーハー冥利に尽きる。僕はしんちゃんのミーハーではないが、かつて太田幸司やジャネット・リンのミーハーだったことがありミーハー心は痛いほどわかる。そしてミーハー心のある人間は他人のミーハーにも簡単に伝染する。というわけで、折からの空きっ腹にも駆り立てられた我々は「目的」へ、すなわち食堂「まるいち」へダーッと突進した。ところが「まるいち」の店先に手書きでこう記されているではないか。「定休じゃないけど休ませてもらいます。あしからずー。」ズーにアシカはいないということか。我々は犬も含めお預けを食らった猫のように去りがたく、未練たらしくうろついて本物の猫に笑われる。しっ、しっ。
こうして無目的の旅は目的の侵入によって頓挫する。未開の地が文明とアルコールによって滅ぶように。
巨大なものが大好きなピアニストであり、且つ古の英国紳士のようなユーモリストである草君に巨大な東京タワーのふもとで会った。
僕「どう、元気なの?」
草君「いや、べつに。」
僕「まぁ久しぶりでもあるし、一応握手ぐらいしとく?」
草君「まぁ、握手くらいなら・・・。」
彼とのやりとりに僕が期待する煮え切らなさが凝縮されたようなぬるい握手を交わし、僕らはスタジオに入った。休憩時に出るのはやはり巨大なものの話。久々に見たグラビア雑誌の巨乳に目が釘付けになり「す、すごいね。さ、三十年前といっしょだよ。こ、こういうものは永遠不滅なんだね。」と興奮する僕を明らかに蔑みながら生命の営みについての自説を手短かに披瀝した草君は、しかし巨大なものの話を巨乳レベルで語ってもらっては困る、という内心の憤慨をウィンストン・チャーチルのごとく露わにして矢継ぎ早に繰り出す。ギアナ高地の滝の話、600mを超えるらしい第2東京タワーの話、まだ見ぬ牛久観音の話など。一息ついて、冷めた煎茶のティーバッグを引き上げ、煙草に火をつけると、コナン・ドイルのごとく僕を正面からにらみ据え「富士山が見える最も遠い場所はどこだと思います?」と鋭く問う。忙しい(いや私はそうでもないが)日常の雑事にかまけてつい直視しないで済ませている大問題を突きつけられ、さすがの私もたじろぐ。
「く、草君はどう思う?」
こういう時はそのまま返してみるに限る。日本人の愛国意識にかかわりかねない巨大問題である。慎重さを要する。
僕は、ホームズのごとき屈折した、しかし見ようによっては稚気溢れる勝利の笑みを予想して、草君の表情をうかがう。しかしそこに僕が見たものは、浮気をスクープされたブレア首相のごとき苦渋の色だった。草君は力なく言った。
「実は僕にもわからないんですね。」
「・・・(なーんだ)。」
その後我々は様々な仮説を試みたがどれも決め手を欠き、こうして愛国的富士山問題は宿題として我々に残された。スタジオの外に出るとすっかり日は暮れ、列をなして並んでいた観光客の姿はまばらになり、東京タワーはライトアップされてまるで茹でたてのエビラ(注)のように鮮やかに屹立していた。草君しみじみとため息まじりにつぶやく。「やはり東京タワーはいいですねえ。」
(注)エビラは東宝映画「南海の大決闘」に出演。海辺でゴジラと寛いだ感じの死闘を繰り広げている。
追記。この日(か、あるいはその前後)の朝刊(か、夕刊)に富士山と東京タワーがどのくらい遠くから見えるかという記事が載っていてワトソンは仰天した。しんくろにしても、シンクロニシティ。理論上は、とことわった上で、何県の何々という山と具体的に記されていた。早速ホームズに伝えねばと焦るあまり、地名も直線距離も忘れてしまい、新聞は犬の糞とともに捨てられ、そうこうするうちに日常の雑事の向こうに富士山は日々霞んでいく。
ジム・ケルトナーのように叩いてくれと言われたので、どれどれ参考にケルトナーの比較的新しいプレイを聴いてみるとナー。という訳でニール・ヤングのライブDVDを借りてくる。ケ氏はレノンやライ・クーダーのアルバムその他無数の有名レコードで叩いている超大物です。おおらか、しなやか、あたたか、やわらかの「らからか」尽くしなのに、ひねりのきいた小ワザもおいしくヘンタイのようでもある。(今回の僕への依頼もそういう「らからか」なイメージな訳です。)ところがヤング氏のアルバムに聞くケ氏のプレイは、ひねりとヘンタイという部分を残して後は別人のよう。うるさくて音が固い。類人猿としての進化の道のりを激しく逆行するかのようなヤ氏に対して、一騎打ちを挑む大型爬虫類のごとく暴れております。あるいは爬虫類らしい冷血なビートを顔色ひとつ変えずに刻んでおります。まるで「サンダ対ガイラ」。どうも資料の選択を誤ったようです。
誤解のないように言っておくと、そのようなケ氏のプレイも好きです。そして、もはやホモサピエンスには見えないヤ氏の最近の緩みきった音楽にも、抗いがたく引かれてしまいます。前世で何か弱みを握られていたのか。ついでに言えば「サンダ対ガイラ」は好きな映画でした。でもホ乳類対ハ虫類という図なら「フランケンシュタイン対地底怪獣・・・」あー、名前が思い出せない。