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recommuni四方山話毎日大量のメールに目を通し、書く。ネットワークやパソコンにトラブルがあると大半の仕事が止まってしまうような社会に、いつのまにかなってしまった。たまにそういうトラブルがあると、はて、電子メールというものがない時代にどうやって仕事をしていたんだろう?と感慨にふけったりしてしまう。
それはそんなに昔の話じゃない。1995年に会社で、社員ひとりひとりにパソコンが欲しい、と要望を出したら、とんでもない、と一蹴されたという経験がある。当時はデスクの島(いくつかくっつけてるでしょ)ひとつにパソコンひとつという状態だった。文書を清書したり、ちょっとしたチラシをデザインするという程度でしか使っていなかったのだ。一人一台があたりまえになった(=メールを使える環境)のは1997年以降くらいではないか?
だけど、このごろrecommuniでの音楽配信の許諾交渉業務で、メールでなく電話を使うことも多い。recommuniはユーザーから配信希望があるとその音源の権利者にコンタクトをとって許諾交渉をする。権利者のメールアドレスがわかる場合はまずメールを送るが、電話番号しかわからない場合や、メールをしても反応がない場合、電話をする。
ひさしぶりにこの、電話の不便さを味わうなー、って感じで、電話して担当者がいる確率は20%。「おりかえし電話ください」と言ってもしてくれるワケないから、つかまるまで何度もしなければならない。担当者がつかまったとしても、初めての電話、しかも「レコミュニ」なんていうちょっと言いにくい、知らない人にとってはワケのわからない相手からで、さらに近頃は「振り込め詐欺(どう考えても「オレオレ詐欺」のほうが覚えやすいよね)」も流行ってるし、警戒心丸出しの相手もいたりして、だけどその気持ちも解るだけに、話すのにやたら気を使う。
そもそも電話は好きじゃない。かけてもいなかったりと効率が悪いのと、かかってくるのはこちらの状況はおかまいなしなので、時と場合によってはえらい迷惑だ。とは言え、だいじな用件かも知れないので出ないわけにもいかない。
まあそのへんは携帯電話によってだいぶ合理的になった。留守電に入れておけばそのうち聞いてくれるだろうし、かかってきた電話も相手がわかるので、知らない番号には出なきゃいいし、だいじな用なら留守電を残すだろう、と放ってもおける。
ボクは電話がキライなので、携帯電話を持ったのはすごく遅かった。周りから、仕事上どうしても持ってくれ、と頼まれるくらいになってからやっと持つようになったが、持ってからボクの考え方が逆だったのを知った。電話がキライなら早く持つべきだったのだ。
こんな時代でも、おもに電話を使う人もいる。知り合いにも、メールを出してもそれに返信はしないで、必ず電話をかけてくる人がいる。そういう人はたぶんキーボードで文字を打つのが面倒なんだろう。メールで返事が来るときも文がとても短い。
そういう人がけっこうたくさんいるらしいことは、文字入力がなるべく要らないような機能がいろいろ開発されることでわかるが、それらはどうもボクには中途半端に思える。
大竹しのぶがやっていた携帯電話のCMで、ボイスメールというか、しゃべった音声データをメールのように相手に送れる、というのがあったが、留守電でいいんじゃないかと思う。
そうかと思えば、最近NECが携帯電話でしゃべったことを文字に変換してメールできるソフトを開発したという記事を見た。音声認識技術はずいぶん前から開発されていると思うが、まったく定着していない。変換された文字が間違ってたらそれを訂正するのが手間だし、まったく間違わないことはおそらくありえないからだろう。NECのこのソフトもきっとモノにはならないだろうと、ボクは予言しておく。
だけどそもそも、携帯電話という「電話」の発展上に、メールやらネットワークやらデジタルコンテンツやらいろんなものが乗っかって、情報からエンタテインメントまでそこに集約されてきているという事実が、「電話好き」の多さを物語ってるんだろうな。
電話嫌いはやはりマイノリティですか。
2005.01.30
福岡智彦
【ゲーム】と題したこの四方山話の中で、「DSは重力を関係させたり、振るとか叩くとかといった動作を取り入れたゲーム機らしい」と書いたが、それは「ゲームボーイアドバンス」の機能で、DSはタッチスクリーンが特徴と間違いを指摘された。すみません。そう言えばCMで宇多田ヒカルが「タッチ!」って言ってたか。
それはそうと次男が自分のお年玉で買おうと予約していたPSPが今日入荷した。大喜びの彼はやはりお年玉の範囲でひとつだけ買ったゲームをさっそく始めたが、1時間もしないうちに、ガンダムみたいなロボットが戦うその『ARMORED CORE FORMULA FRONT』というゲームがつまらない、とぼやき始めた。よく情報を集めもしないで買うからだ、と窘めたが、子どもにとって5,000円は大金だ。メーカーも最初の対応ゲームくらい面白いのを厳選して発売すべきではないだろうか?
もちろん、ボクはやってないから判断はできない。とっつきは悪いけど奥深いゲームなのかもしれない。だけど息子がやっている画面を肩越しにチラと見たところ、ロボットの装備などの設定をする画面で、いろいろ選んだあとに、「・・・に反映する」という文言があって、つまり選択した装備を決定するということだろうが、子どもに「反映する」はちとむずかしい。そんなところからもこのゲームはダメかもしれない、と思ったな。
人のフリ見て我がフリ直せ。音楽配信サイト『recommuni』は解りにくいという声が多い。まあ子ども相手ではないから、ロボットゲームほどではないだろうが、やはり解りやすいほうがよいのは当然だ。当然だとは思うが、これがなかなかむずかしい。
説明文を書くのは簡単だ。そして説明文をじっくり読んでくれれば、理解できるはずだ。だけどまずたいていの人は説明文を読もうなんてしない。できれば、説明されなくても直感的に行動すると一通りのことができて、慣れるに従って自然に、より高度な理解に達していく、てな具合になっているのが望ましい。
昨日、ブラウザの「戻る」「進む」を「ALT+左右の矢印キー」でできる(ただしWindowsね)ということを教わった。そんなの常識でしょレベルなのかもしれないが、それまでブラウザの左上についているボタンをマウスでクリックするだけだったボクは、その便利さにちょっと感動した(右ボタン・クリックで選択という手もあるが、Macが長かったせいかどうもあまり右クリックを使おうとしない…)。矢印のボタンがあれば「戻る/進む」なんだなと誰でも直感的に解る。そして慣れてくると、ちょっと複雑な操作法を覚え、もっと便利に使えるようになっていく。こういうことなんだろうな。
『recommuni』では一昨日から「ランキング」が見られるようになった。ダウンロード数はもちろん、レコメンドの数とかレコメンドの文字数(!)とかの順位が、週間や月間で判る。こうやって機能はどんどん充実していってるのだが、いろんなことができるようになればなるほど、やはり複雑度は増していくので、解りやすさとの追いかけごっこみたいなところではある。
このランキングでも、「レコメンドの文字数」を「レコメンド長」という言葉で表現しているのをどうするか?解りにくいか?という議論も少しあった。「レコメンド文字数」としてもよいのだが、「レコメンド数」に対して「レコメンド長」という対比がなんか気に入ってそのままにした。ここは想像してもらいたいなと思うんだけれど、やはり解りにくいだろうか?というよりそもそも『recommuni』を知らない人は「レコメンドの数のランキング」っていったい何のこと?と思うだろうな。
かくしていつ果てるともなく苦闘は続いてゆくのである。
2005.01.23
福岡智彦
昨夜はSMEの連中と飲んだ。
bitmusic(音楽配信)は破竹の勢いだそうだ。着うたがすごいからね。着うたフル、これはSMEはまだ洋楽しか提供していないそうだが、やはり売れているようだ。着ムービーも好調、と携帯だとなんでそんなにバカすかダウンロードするんだろう?
PCのほうも調子いいらしいが、これはSME本体のCDの売上が好調だからだね。
PSPを初めて触った。トロとおしゃべりするのとリッジレーサーをやらせてもらった。画面はめちゃキレイでスムーズである。メモリースティックに入っている音楽も聴かせてもらったが、iPodより音質はよいかも。iPodもビットレートによるけどね。
うちの次男がPSP欲しくて予約入れてるんだけど、ときどき貸してもらお。
さらにPSPを見せてくれた友人はiPodも持っていて、なんとiPod仕様のリュック(Burton社製)を持っていた。背中にiPodが入り、ケーブル類は生地の中に配線されていて、右のストラップに再生、ストップなどの操作系のスイッチがついており、左のストラップにヘッドホン接続端子がある。こういう周辺の充実がさらにiPodの人気を高めるんだね。
今日は午前中avexに行ってきた。エライ人ばっかり4人が応対してくれた。
中でもいちばんエライ人が説明半ばで「これ、おもしろいじゃん。何の問題もないよ」と言ってくれたので「お、やった!」と思ったのもつかのま、「だってインディーズ向けでしょ?ウチ関係のインディーズだったらどんどんやるよ、きっと」と続いてガク。
「メジャー音源も含めて」というこちらの要望はすっとかわされてしまったが、サービスモデルについて4人とも気に入ってくれたのは確か。まずはavex内でできる部分(レーベル)を検討して回答してもらえることになった。よしとしよう。
人生はワンツーパンチ(なんでパンチだー)、だね。3歩進んで2歩下がる…。
昨日はNHKに行ってきた。レコミュニでレコメンドされている音源で、昔NHK-FMで放送されたライブ音源とかラジオドラマというのがあるので、その許諾交渉。
NHKサービスセンターの人が3人、話を聞いてくれた。それなりにおもしろがってくれたけど、NHKとして配信ビジネスはまだまだこれから。
先方「NHKは音源の流出を非常に嫌がるので、DRM(コピーコントロール)がないのはOKできないでしょう」
ボク(心の声)『流出って…放送してる以上録音もできるし、なんぼでも流出しほうだいでんがな』
ボク(実際)「配信しなければ流出は防げるどころか、かえって違法なファイル交換などでやりとりされる可能性を高めます。われわれはそういう違法なやりとりを防ぎたいんですよ。」
てな話をいろいろしたけど、結論としては「お堅いNHKとしては当面許諾はむずかしい」とのこと。
でも、3人の中でも一人けっこう前向きで、興味を持ってくれたと思う。
レコミュニが盛り上がってそれなりの実績を誇れるようになったら、またプレゼンしに来ます、と捨て台詞を吐いてきた。
ススムヨコタさんのアルバムから1曲ずつレコメンド。これはアルバム『laputa』から。このアルバムは全体的に、一定のリズムものは排除されていて、音のコラージュの面白さに徹している。
この曲も、イメージは抽象的だが、とても映像的な楽しさを感じる。
この曲が収められているアルバム『Will』は全編さまざまな気持ちいいドラムサウンドが展開する。
グルーブも音色もそうとう吟味されていて、ドラムにはちょっとうるさいボクも好きな音がいっぱいある。
実在のドラマーでいちばん好きなのが、元Tower Of Powerのデビッド・ガリバルディなんだけど、その音色とフレージング、グルーブを髣髴とさせるような小気味よいドラムを聴かせてくれるこの曲をレコメンド。
お笑いの話ばかりで恐縮だが、気になることは書いとかないと。
2003年からの大お笑いブームはまだしばらく続きそうだが、最近の朝日新聞に、このブームは日本テレビの『エンタの神様』が作ったように書かれていた。え!?ちょっと待った。それは完全に間違ってますからぁ!
確かに波田陽区や友近や青木さやかはこの番組から売れたかもしれないが、今回のブームの火つけ役は何と言ってもNHKの『爆笑オンエアバトル』である。観客の採点で出演の10組のうち上位5組だけがオンエアされるというこの番組は、若手芸人のオーディション的な空気もあって、純粋に一所懸命にやっているネタを見ることができるまっとうな番組だ。今はお笑いと音楽の2バージョンを交互になっているが。音楽のほうは二度ほど見たがつまらなかった。
ボクはこの「四方山話」の#26で、『エンタの神様』の批判をしている。日付は2003年11月23日である。これはたしか『エンタの神様』が始まってまだ間もないころだった。いっぽう『爆笑オンエアバトル』はそのずっと以前から放映されている。
ネットで調べても番組開始時期は判らなかったのだが、2000年5月には番組と連動した最初の単行本が出ている。オンエアを収録したDVDのたとえばアンタッチャブルのものも「2000年4月30日放送」分から入っている。
いつ更新されたか判らない古い記事に「……まだここから全国区に飛び出す程の芸人は誕生していないが、……」なんていう記述があった。言うまでもなく、テツ&トモ、はなわ、長井秀和、ダンディ坂野、マギー審司、ますだおかだ、ハリガネロック、ユリオカ超特Q、ドランクドラゴン、いつもここから、パペットマペット、など今回のお笑いブームの立役者たちはほとんどこの番組から誕生したわけであり、「誕生していない」という記述は、この番組が、彼らがまだ売れていないころから彼らのお笑いを伝えていた、ということの証拠である。
『エンタの神様』はむしろブームを短命にしてしまう「癌」じゃないか、個人的にはむしろそういう認識であった。「四方山話#26」で書いた「もうすぐ「お笑いブーム」は終わってしまう、と確信する。」という予言はまったく当たっていないが……。
天下の朝日新聞が事実を曲げてもらっては困る。そのような記事がいつのまにか「日本お笑い史」となって残っていってしまうのだろうな、とボクは、ここに「歴史」というものの本質を見たような気がした。
たかがお笑い番組のことで大げさな、なんてバカにしないで。一時が万事。三大紙のような巨大メディアが書くことは、「事実」でなくとも「史実」になっていってしまう(かもしれない)ことの、すごく解りやすい現在進行形の例がこれですよ。
一方、旧日本軍の慰安婦制度を裁いた「女性国際戦犯法廷」を取り上げたNHKの番組が自民党の安倍晋三、中川昭一の指摘により内容を大幅に改変されたという「事実」がNHKのプロデューサーによって内部告発された問題で、朝日新聞はそもそも「慰安婦問題」追求路線なので、それを大きく取り上げ両議員の行為を批判しているが、両議員およびNHK幹部がそれに対しそんな「事実」はないと、逆に朝日に抗議をしている。
どう考えてもこれは内部告発のほうが「事実」だと思う(じゃないと告発しないでしょう…)が、そちらに立った朝日対権力の中枢にいる大物政治家二人+NHKの連合軍。どちらに勝ち目があるのだろうか?そして何が「史実」として残っていくのだろうか?
2005.01.16
福岡智彦
今日、別のところで週一で書いているブログをアップしたんだけど、験しにこっちでも載っけてみよう。いきなり音楽と関係ない話で恐縮だけど…
【故・林会長に恥ずかしいぞ】
なんじゃ、こりゃ!ちょっと腹立つくらいつまらなくて、これが書かずにおらりょーか……折りしも吉本の林会長が亡くなった翌日4日の夜のことである。吉本芸人中心のお笑い番組があった。暮れから正月にかけかなりの量の番宣もあり、ずいぶん力が入ってるので見てみた。「史上空前!!笑いの祭典ザ・ドリームマッチ'05」という番組だ。
雨上がり決死隊、ガレッジセール、キャイーン、ココリコ、さまぁーず、ロンドンブーツ1号2号、ドンドコドンの山口智充(なんで一人なんだー!?)といったそうそうたるメンバーが、相方をチェンジして(これは司会のダウンタウンが抽選で選ぶ)、新ネタを作って披露し、コンテスト形式で最優秀者には500万円の賞金が授与される、という企画。
まずボクがつっ込みたいのは、相方を換える前に本来のコンビでネタをやろうよってこと。この顔ぶれはイヤになるほどしょっちゅうテレビで拝見するが、普通にコンビで漫才ネタをやっているところを見たことがない。この中でネタを見たことがあるのは司会のダウンタウンだけ、しかも大昔、彼らがまだ新人だったころ。そんな、普段ネタをやらなくなってしまったお笑い芸人が、相方を換えてネタをやることにどんな意味があるのか?
それでもまあこれだけのメンバーが、いつものバラエティのようなその場かぎりのトークでなくちゃんと考えてネタをやるならと、多少の期待感を持ちながら見たのだが……ひどかった。
あれだけ番宣をやっていたから見た人も多いと思う。まずネタの中味がひどかった、どれもこれも。そしてパフォーマンスもひどい。みんな妙に緊張していて、テンションだけムリやり上げるからうるさいだけ。
スケジュールが忙しくてネタ合わせや稽古の時間がなかったことを、くどいほどメイキングビデオで見せたりして、言い訳にしか思えない。あの緊張も相方が違うからではなくて、ひさしぶりにネタをやったからだ、きっと。
最優秀賞の500万をとったのはココリコの田中とさまぁーずの三村コンビだったが、どこがよかったのかさっぱり解らなかった。少なくともボクは1秒も笑えなかった。
暮れのM-1も今回はどうも低調だったが、それでも優勝したアンタッチャブルの1回目のネタはおもしろかった。下の息子と一緒に笑い転げた。その500万のコントの100倍はおもしろかった。ネタの練り具合と稽古の分量が圧倒的に違うのだと思う。
みんな昔はそういう修行をいっしょうけんめいやっていたんだろうけど、忙しくてやらなくなり、すっかり腕が衰えてしまったということか。でもそれはないでしょ。おもしろくない芸人には価値がない。見る人=客をバカにしている。
笑いにもいろいろある。日常のほとんどの笑いはその場かぎりのものだろう。笑っている人にその理由を聞いて説明してもらってもまったくおもしろくないという事実がそれを証明する。でも、練り上げられた笑いというものも存在する。落語や漫才はその代表のはずだ。そしてそれはシロウトには及ばない世界でなければならない。話自体のおもしろさプラス、それを演じる技量もあってはじめてほんとの笑いが生まれる。ほんとの笑いは決して軽いものでもいい加減なものでもなく、芸術と同じく、崇高な人間の営みである。
故・林会長は吉本の東京進出の立役者で今日の吉本帝国を築き上げた人だが、基本(お笑い芸人としての力量)に厳しかったとも聞く。故・林会長の遺志を継ぐためにも、テレビに出ずっぱりの芸人さんたちは、どうか自分たちが芸術の担い手であることを忘れないでほしい。
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