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recommuni四方山話渋谷駅から乗る井の頭線はいつも混んでいる。特に夏は暑いし臭いしイヤになる。そんなとき、限られたスペースに数が多すぎると魚は共食いを始めるという話を思い出す。都会の中心部は明らかに人の数が多すぎる。人間はさすがに共食いはしないだろうが、「誰でもいいから殺したかった」みたいなイライラ型の犯罪が近頃多いし、ものすごい形相で怒鳴りあったりしている光景はけっこう目にする。
満員電車や雑踏の中では、日常的に誰しもが相当イライラ来てると思う。もしたとえば、電車内でぶつかってきた人に「気をつけろよ」とでもボソッと言ったりしたら、間違いなく「なんだとぉ」となり、少なくとも殴り合い寸前まで行くことは確実そうな、そんな不穏な空気がいつも漂っている気がする。なんだか荒んでいる。
自転車を駅前の駐輪場に止め、チケットを買おうとしたら、販売機に先約のおばさんがいた。通勤時で、電車の時間が迫ってるから、心の中では舌打ちをする。ちょっとイラっとしていたら、買い終えたおばさんがボクを見て、
「お待たせして、どうもすみません」と言ってくれた。
「あ、いえ…」と返したつもりだがモソっとした声で、聞こえたかどうか。
おばさんの一言で、ボクのイラつきなんか、今ハヤりの「ちっちぇーなぁ」という気分になった。こういう言葉なんだよな、必要なのは。言葉ひとつで人の気持ちは全然変わる。
このケースで、おばさんが無言で立ち去ったら(そういう場合が多いけど)、ボクはイラっとしたまま、まあ10分後には忘れる単なる平凡なひと時だろうし、もしボクがイヤなヤツで、おばさんに「早くしろよっ」なんて罵声を浴びせたとしたら、おばさんは非常に気分を害しただろうし、怒ってわざとゆっくりしたかもだし、気の強い人なら「余計なお世話だよ」なんて言い返したかもしれず、こちらも不愉快さがエスカレートしただろう。
言葉は気持ちを表す、と考えるのが普通だが、言葉が気持ちを動かすのは確かだから、まず言葉、「すみません」とか「ありがとう」、たとえ本気で思っていなくても、それを言うことで相手の気持ちがなごみ、それがこちらにも返ってくる。逆もまた真。イヤな言葉は人間関係を簡単に破壊する。
アメリカとかへ行くと、ちょっとぶつかったり、ぶつかりそうになったりするだけでも、「Excuse me」を連発し、何かちょっとでもやってもらうと「Thank you」を連発する。おそらく「握手」と同様、多民族国家の人間関係をスムーズにするための習慣だと思うが、多民族ではない日本も、これだけ人が密集している以上、潤滑油としての「すみません」と「ありがとう」がすごく必要になってきていると思う。
やはり通勤時のこと、バスで、小学生の男の子が降りるとき、大きな声で「ありがとうございましたっ」と言うのを見た。運転手さんもマイクで「どうもありがとう」。これでイヤな気分になる人なんていない。他の乗客もみんな、少し晴れやかな気持ちになったんじゃないかな。
なんだか道徳の時間みたいなこと言ってるようだけど、でもいつもこういう言葉をかけあっていたら、きっと「誰でもいいから殺したい」ような人はいなくなると思うよ。
2005.09.11
福岡智彦
コメント
今の僕達の国はあまりにも言葉を使わなくなりましたよね・・・
大したことではないという事が出来なくなっているのは、悲しい事です。
最近「ごめんなさい」
も気持ちが入っていないと、
馬鹿にされた気になってしまったりする自分がいます。
そろそろ
原点回帰ですかね・・・