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a person powered by ototoy blog
recommuni四方山話今日の夜は寒かったぁ。
1月2月はこっちも覚悟してるから、ぜんぜんしのげるし、基本的にずっと寒いから、単純に防寒すれば平気なんだけど、この春先、昼はポカポカしたりだから、暑いのもヤなので軽装で行く、でも夜になって今日のような寒さだと、かえってきつい。
したがってボクがいちばん嫌いな季節は今、つまり春先と、秋の初め(逆にいつまでも暑いから)。
昨夜「おかめ」で、常連の一人だけど名前を知らない人から、今発売中の「TITLE」という雑誌が「ロックで旅するイギリス」という特集で、なかなか音楽的に充実しているのを見せられ、別の常連、F氏には「パッチギ!」という映画は実によかった、と聞かされ、帰りに本屋で「TITLE」を買い、「パッチギ!」のDVDをレンタルしてしまった。
実に「おかめ」は「リアルrecommuni」である。
で、「パッチギ!」を少し観て寝よ、と思って再生し始めたら、これがほんとにおもしろくて、泣けて、最後まで観てしまった。
時は1968年。主人公が高校三年生だから、ボクよりちょっと上の世代=団塊の世代がもろドンピシャの時代感覚だから、若い子たちにはちょっとピンとこないかもしれないけど、近くて遠い国・韓国と日本の関係をすごくリアルに考え(感じ)させられた。
井筒監督、テレビで偉そうなことしゃべってる目立ちたがり屋のおっさんかと思っていたら、たいした監督である。
感心したことのひとつは、関西弁が実に自然だということ。ドラマには妙なアクセントやイントネーションの「エセ」関西弁が多いからね。ま、京都弁よりは大阪弁って感じだったのが惜しいところだけど。
これが、クレイジー・キャッツのというか植木等のデビュー・シングル。
発売された1961年は、ちょうど彼らとザ・ピーナッツによる伝説のバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」が始まった年でもあるそうだ。
若い方は(相当歳の人も?)知らないだろうが、この曲には、右ヒザを曲げてその前で右腕をブラブラさせるフリがついていて、子供だったボクたちも真似したもんだった。
たしかにポールの影響大ですね。
近ごろ少なくなったまっすぐなポップ!?
声もよいし。
個人的にはサビのメロディがもう少しはじけてほしいな、と感じました。
でも、他の曲も聴いてみたいです。
やったー!!
植木等の2曲がOKになったぞーい。
http://recommuni
http://recommuni
日本音楽史上最強のコミックソング群がrecommuniのカタログになるなんて。こんなうれしいことはない。
宮川泰さんのお葬式に行ってきた。
宮川さんには仕事で少しお世話になった。
くじらのデビュー・アルバムに入っている「パノラマ」で、他は打ち込みも多いし、これは対照的にオーケストレーションなサウンドにしたかった。最初萩田光雄さんにお願いして、でもそのときはなんか斬新なことをしたいと思っていたから、「たとえばストリングスだけでやるなんてどうですかね?」なんて乱暴なお願いをしてしまったら、萩田さん、真面目な方だから悩んじゃって「オレにはできない」って断られてしまった。そこでじゃあ大御所に、と生意気にもすでに大先生だった宮川さんにお願いしたのだ。たしかくじらのメンバーもいっしょにどこかの喫茶店で打ち合わせしたと思う。さすがにストリングスだけなんて無謀だとボクも反省していたので、「アルプスって感じで」って希望だけ言ったんだけど、「じゃあホルン出していいか?」とか先生上機嫌で、われわれのような若輩相手にすごーく気さくに応対してくださった。
当日のレコーディングは、新宿御苑にあるテイクワン・スタジオの中でもたぶん歴史に残ってるんじゃないか、と思う。狭くはないが、やはりロック、ポップス主体のレコーディング用で、オーケストラ向けではないスタジオなので、上下階のふたつのスタジオをいっぺんに使って、フル・オーケストラの録音をした。おもしろかったなぁ。
「宇宙戦艦ヤマトのテーマ」がいちばん売れたんだろうか、何かというとそれを言うが、ああいう曲は宮川さんの真価じゃないと思う。数多くの名曲を残されているが、なんと言っても園まりさんが歌った「逢いたくて逢いたくて」。サックスの清水靖晃さんもピアノに向かうと必ずそれを弾きながら、「名曲だよなー」とつぶやいていたように、日本ポップス歌謡曲を代表する名曲だと思う。
お葬式の献花の儀式が行われる中、その「逢いたくて逢いたくて」が会場に流れ、ボクは胸がいっぱいになりました。
最初に聴いたのはずいぶん前(2001年)だが、軽く歌っているようなのにすごく存在感があって、きれいな英語なんで日本人と思わなかった。
で、地方に住んでいて(松江)、活動もしてなくて謎につつまれた存在だった。
発売2002年とあるが、最初は1998年に自主で500枚だけ作ったのだそうだ。それが伝わって、評判を呼び、再発されたのだ。ほんとによい音楽は不滅なのだね。
何度か聴いてるうちにすっかりはまってしまいました。
イントロ〜Aメロのブルージーな感じと、裏腹に妙に明るいサビに交互に攻められて、だんだん頭がグニャグニャしてきます……。
「歴史的迷曲!!」という評価があれば一票を投じたい。
テレビでWBCの決勝戦を観た。優勝おめでとう!
考えてみたらテレビで野球の試合を最初から最後まで観るなんて何年ぶりだろう?
面白い試合だったけど、やっぱ4時間はちと長いなー。
サッカーとかマラソンとか2時間強で、ちょうどいいんだけどね。ドライブも2時間走ったら休憩をとりなさいって言うしね。
この長さも最近の野球人気の低迷に関係してるんじゃないかな?
5回くらいでおしまいにしたらどうだろ?
昨日この曲の話をしていたので、レコメンド。
早川義夫さんの名曲だけど、調べたら、詞は早川さんじゃないのね。
で、このバージョンはフランス語?
独特のふんいきを持った人ですねー、ソラさん。
おもしろいし、とても魅力的です。
ボクが芋焼酎を好きになるきっかけとなったのが「酒の手帳」という焼酎。
10年前、博多に仕事で行ったとき、地元の知人が「面白い呑み屋に行きましょう」と言うのでついていくと、やがて神社に入っていく。抜け道?、と思ったらなんと、その神社の一角に、荻本さんというおっちゃんの呑み屋があった。呑み屋と言っても神社の社務所の台所みたいなところで、看板も何もない。教えてもらわないと絶対にわからない。
酒はただ一種類、「酒の手帳」というそのおっちゃんが作った芋焼酎。しかもお湯割りで呑め、との厳命。どちらかという蒸し暑い夜だったと思うが、ロックや水割りは許してくれない。当時は今のような焼酎ブームのカケラもなく、大ワインブームだったし、ボクは学生時代に日本酒と間違えて薩摩白波を少し呑んで、臭いというかなんと言うか、コリゴリした経験以来、そのときまで芋焼酎は敬遠していた。で、なんの期待もなく、というかむしろ恐々、その「酒の手帳」のお湯割を呑んだら、そのうまいこと!
しかも、すでにビールやら何やらけっこう呑んで酔っ払っていたのだが、「酒の手帳」のグラスを重ねていくうちに、酔ってることは酔ってるんだが、なんだか頭の芯がすっきりしてくるようで、それは酒を呑むことでかつて味わったことのない不思議な感覚だった。つまみも全部おっちゃんの手作りで、自然のものばかり、うまくて身体にやさしい。実に心地よい数時間を過ごした。
それからいつ始まったのか、たまーに、おっちゃんが「酒の手帳」と手作りお惣菜を持って東京で「酒の手帳を楽しむ会」を催してくれるようになった。日曜の昼間っからゆっくり呑み、食べ、語るという楽しい会だったが、なんせ九州から東京にクルマで来る(おっちゃんが一人で運転してくる)のはたいへんだ。いつのまにか、世の中大焼酎ブーム、しかもメインは芋、となり、ちょっとした呑み屋なら芋焼酎の何種類かは置いていてあたりまえ、という時代になったが、なぜか「酒の手帳」はその波に乗れず(乗らず?)、おっちゃんもあまり儲かってないので、ここ2年ばかりは開催されず、地元福岡では月一回やってるのだが、東京ではもうやれないという話だった。
それが、昨日(2006年3月12日)久々に開催された。「もうやれない」と言ってたおっちゃんをやる気にさせたのが、埼玉と横浜に「酒の手帳」をブログで絶賛している人がいたことだったと言う。
だけど、声をかけた友人たちがほとんど参加できず、動員が少なくてまたこれが最後ということになってしまうかもなと思いつつ、行ってみると案外たくさん集まって、30人くらいはいたかな。場所は大田区産業プラザという施設の和室。畳というのが、リラックスできて、実にまたよいね。知らない人ばかりなんだけど、呑んでるうちにいろいろおしゃべりして知り合いになっていく。
紹介された埼玉の人は「ただの呑んべです」って笑ってたが、横浜の人は「横浜焼酎委員会」(!)の人。毎月うまい焼酎の試飲会をやってるそうで、そこに「酒の手帳」をぜひ加えたい、とのことだ。
「横浜焼酎委員会」サイト→ http://www
さらに鹿児島料理のお店をやってる人がいたようで、そこが日曜は定休なので場所を提供してくださるという話もあり、また10月にやりましょう、という宣言が出された。よかったよかった。
ほんとにいいものはちゃんと伝えなくちゃね。ブームになってほしくはないけど。
2/18の日記で、署名協力をお願いしましたが、
http://recommuni
高橋健太郎さんのブログとか読むと、問題は単純ではないようです。
http://blog
(署名受付はもう終わっていますが)
原因はJSPA(日本シンセサイザー・プログラマー協会)の「電気用品安全法に関する活動方針」
https://www
の、
「この方針は電子楽器を扱う専門家の立場から、本法が音楽発展の妨げにならない措置を請願するものです。本法の本施行に反対し法律改正などを求めるものではありません。」
という一節ですね。
健太郎さんの意見は、この法律そのものが酷いのだから、お目こぼし的発想ではダメだ、ということだと思います。
ナショナルの事件などもあり、安全はもちろんだいじなことですが、この法律については矛盾だらけの内容の上、与える影響が大きい、そこが問題なんですね。とても健太郎さんのように調べたり書いたりできないので、また彼のブログを参照させていただきます。
やっと写真撮ってきた。アキバのロック立ち飲み居酒屋「おかめ」の、に貼ってある昔のコンサート・チケットたち。
これはLed Zeppelin×3 年号が書いてないので、何年かよくわからないんだけど、いちばん下のはなんと2,000円!で、1:00PM開場の2:00PM開演!
その上はレーナード・スキナード。
まだ夏には程遠いけど、ようやく寒さも和らいできた。
そんなときにこの曲を聴くと、夏の高い空や蝉の声が浮かんでくる。サウンドも歌もなんか夏っぽい。もちろん蒸し暑い日本の夏というより、さわやかなイメージとしての夏。
小谷美紗子の2年ぶりにニューアルバムより。1曲目。
100sの玉田豊夢(Dr)、山口寛雄(Bass)とともに「odani misako trio」というかたちで共同プロデュースをやっているみたい。
田渕ひさ子(bloodthirsty butchers )も1〜3曲目に参加している。
近頃、階段を上るのが好きになった。自分でも不思議、だって極力エスカレータを選び、エスカレータの右側を上るのもイヤ、ここまでエスカレータがあるのになんで最後のここはないのか、麻布十番みたいに地上に出るまで作っとけよ、なんて心の中でボヤいていた男が、今は永田町のあの長い階段もさして苦にならず、心地よく上ってるんだから。エスカレータがあっても人が多いようだとすぐ階段を選ぶ。鍛えようなんて思ってるワケじゃない。そういうのは気分的に重くなって続かない。
「打撃の神髄 榎本喜八伝」を読んでからだ、この劇的な変化は。榎本喜八は昭和30年代を代表するプロ野球選手。長嶋、王、張本なんかと同時期に活躍し、なんとイチローよりも早く1,000本安打を達成した打撃王なんだけど、あまり有名じゃないよね。ボクも物知り楠ちゃんから聞くまで知らなかった。そんな大打者なのになぜかと言うと、バッティングに人生を捧げるあまりちょっとおかしくなっちゃったんだな。それでなんか球界追放的な感じになってしまったらしい。
だけどこの本で記憶に残ったのは、榎本選手のすさまじい野球人生のことよりも、「足裏で地面を引き上げるような気持ちで『丹田』に気を集中して立つ」という、榎本さんが合気道から学んだ精神集中法、「太ももの前の筋肉ではなく、後ろの筋肉で進むようなイメージ」で走ったり歩いたりすると疲れないとか、「猫は高いところへ上るとき、腰からぐーっと持ち上がっていくようですばらしくムダのない動きをしている」とか、そんなような記述なんだ。
ということで、階段を上るときに「腰からぐーっと身体を持ち上げていくような」気持ちでやってみたら、これがすごく楽チンで、そればかりかなんか身体への刺激が気持ちいいー、と実感し、それ以来階段が好きになったというワケ。単純?
「打撃の神髄 榎本喜八伝」/松井浩:著/講談社/1,800円(税別)
2006.0303
今日も行った。ま、ボクが参加してるバンドのミーティングがあったんだけど。
シュープリームスとマービン・ゲイとジェームス・ブラウンとストーンズ(しかもブライアン・ジョーンズ時代)が次々に出てくる番組の映像と、マディ・ウォーターズとジュニア・ウェルズとドクター・ジョンとジョニー・ウィンターが一同に会している映像を観た。
あ、マイク・ブルームフィールドもいた(これがレアらしい!)