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蜩音楽帖2025/6 | ||||||
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中村好伸さんからCDリリースのお知らせメールが来ました。
5月20日全国一斉発売とのことです。
個人的には「jawasong」がウレシイ。
豊橋のライブのときうっとりしながら聴いた曲です。そのときご本人から直接頂いたCD-Rでは10分ちょっとのトラックですが、いつまでも聴いていたいような、本当に気持ちのいい曲です。
今日夕方、マンキツでフィガロジャポンの新しいのを読んでいましたら、BECKと小山田くんの対談などが載っておりほお、と思いながら楽しく読んでおりました。
そして読み進めていくと今度は音楽のピックアップコーナーになりまして、フィガロは毎号まるまる1頁割いてピックアップしたミュージシャンのインタビュー記事が載っているのですが、今月はフリートフォクシーズでした。
私は初めて知ったので、興味を持って目の前のPCですぐ検索して試聴し、よし買おう!と思ってマンキツを出て某タワレコへ向かいました。
そこのタワレコはあまり大きくなく、1枚しかありませんでしたのですぐ手に掴みました。
すると先日ウズマキマズウでもご一緒させていただいたマイミクさんにバッタリお会いして驚いたのですが、さらには、ご挨拶するとその方は空になったフリートフォクシーズの棚を指差し、「無かった」とおっしゃったので私は思わずすみませんと手に取ったCDを見せたらその方は苦笑いしながら「欲しかったのは紙ジャケの初回プレス盤だから」と譲ってくださいました。
フリートフォクシーズ、とても美しいです。
「これはロックと呼ぶのだろうか、でもそんなことどうでもいっか」と思いました。
同じようなことを以前も思った記憶があるなぁ、と思ってちょっと考えたら、シガーロスの、去年出たアルバムを聴いた時でした。タイトルは今パッと出てきませんが裸の写真のジャケットのやつです。確かあのCDもフィガロで記事を読んで買いに行ったような・・・あれ?Radio-iで聴いたんだったかな。忘れてしまいました。
私にとっての歌姫は長いこと聖子ちゃんだったのですが、それが美潮ちゃんに取って代わられたのは、ハタチの頃、毎日夕方にやっていたCRJのFM番組で「天国と地獄」を聴いた瞬間でした。
あれからもう二十年近く経ちますが、私の歌姫は、ずーっと美潮ちゃんが不動の座を占めていて微動だにしません。
今日は丸一年ぶりのウズマキマズウでした。
今回はウズマキマズウであるにもかかわらず、ウズマキマズウの曲は少なく、往年の名曲ばかり。
今回はちょっとメモったので、セットリスト公開です。
「4To3」「きもちのたまご」「PICNIC」
「デンキ」やっぱりこの曲の時は野太い歓声があがる。
「夜店の男」
やっとウズマキマズウの新作から「12月21日」「7月」
チャクラ「南洋でヨイショ」!
「On the Road」「天国と地獄」
「人と星の間」壮大で圧巻でクラクラ。
そして、私がイチバン好きな「窓」ワタシハ泣ク、毎回必ず。
ラストは「水」はにわオールスターズ!!
ああなんという贅沢なセットリストなのでしょう!!
ここに、「私は宝」があったらカンペキだったんだけど、今回は演りませんでした。
Whachoサンが得三の前でホントにまだ生まれたばかりの子猫(黒)を保護したとのことで、「子猫要らない?」と何度もステージから問いかけていました。私はかなりココロが揺らぎましたが、堪えました。
毎日毎日よく降ります。もう3日も降り続けてる。
3日前の5月5日も雨でした。この日はつぶろっくで、鶴舞駅から鶴舞公園の奏楽堂に向かって歩いていると、だんだん音が近づいてきて、ああ、HADAくんだとすぐにわかりました。
私は鶴ロックは最後の2回しか見たことがなくて、2回とも奏楽堂前の広場でしたので、本当に奏楽堂の中で観るのは初めてでした。
HADAくんの時は、それまで私が観たHADAくんのライブとはまったく別物で、ギターの弾き語りのみ。雨音とHADAくんのギターと唄が交じり合って、奏楽堂に響いていました。いつもの出で立ちであるにもかかわらずまったく別人に見えました。脅威のアウトサイダーとか、名古屋の最終兵器と評された彼のコミカルでパンキッシュな演出は影を潜め、楽しみにしていた人も居たであろう(ってそれ私か)サービストークもありませんでした。でもそんなステージングによって、今まで彼のサービス精神によってぼやけていた彼の職人的センスあふれるコード進行とか、何気に上手いギタープレイがくっきりと浮き彫りになっていました。
演奏が終わったHADAくんは燃え尽きて抜け殻のようになっていました。出し切って空っぽになったHADAくんの中には、また新しいインスピレーションが必ず入ってくると私は思います。
以前も書きましたが、HADAくんはやると決めたらやり遂げる人です。去年の5月3日、彼は鶴舞公園で鶴ロック終了後にライブのビラを配っていました。私はすでに2度ほど彼のライブを観ていたので、ビラを受け取る時に観たことありますよ、と声を掛けました。次の日のハポンの時はビデオ撮影をしていて、「来年は必ず出てやる」と思っていたそうです。そしてちゃんと実現させる、やっぱり凄い人です。
・・・なんだか彼の担任教師がお祝いのスピーチでもしているような文面になってしまいました。ラブレターのつもりで書き始めたのですが・・・
ちなみにつぶろっく終了後、友人が迎えに来てくれるのを駅構内のドトールでコーヒーを飲みながら待っていて、着いたと電話があったのでドトールを出たところで、キップを買おうとしてるHADAくんに会いました。ビールでもどうかと誘いましたがあっさり断られました。燃え尽きたHADAくんにはチャージが必要かなと思ったのですが、そのときの彼に必要なエネルギーは、ビールではなかったようです。
毎回、GWになると筆が止まってしまいます。
連日ライブやイベントに出かけ、そのひとつひとつがかなり濃いものだったりするのでどうしても筆が重くなり、ずるっずると日にちが経ってしまいます。
昨年はGWの1か月後に何とかGW前半分を書いたのですがそこで頓挫して後半を書き損ねました。
今さらですが、昨年のGW後半は鶴ロック野外とハポン両方と、ウズマキマズウに行き、特にウズマキマズウの時は新作CDを購入し美潮さんにサインをして頂き少しお話もさせていただいたというのにそのことも書かずじまいでありました。そしてあっというまに一年が過ぎ去ってしまいました。
早すぎる。
話を今年のGWに戻しまして5月2日は得三にて厚海義朗氏主催のライブへ。ツクモク、カタリカタリ、そして厚海氏のバンドが出演しました。
角田さんが戻ってからのツクモクは私は今回が初めてでしたが久しぶりに角田氏の趣のあるボーカルを聴いて、やっぱり彼あってのツクモクだなぁと思ったのでありました。
ツクモクのノビちゃんと言うと昨年コンピレーションCD「AT HOME」のレコ発の時にトリだったのですが、あの時の彼女のソロは本当に沁みました。響きました。泣きました。ノビちゃんのソロももっとたくさん聴きたい。
去年は鍵盤のりよこちゃんのソロも聴いたなぁ。お庭で生ったキウイをカゴに満タンに入れて演奏中に客席に回すと言う粋なことをしたり、まるちゃんと一緒にやったりしてあれもとても素敵だったです。そういえばあの日は母親を得三に連れて行って一緒に聴いたんだった。
カタリカタリは今回も当然三人カタリだと思っていましたがふたりカタリでした。というのも、小倉氏がお父さんになられた日だったからです。カタリの出番の直前に誕生したそうです。なんかドラマチック。
三人カタリと言えば、4月5日の青山陽一氏のハポンの時のオープニングアクトで、復活三人カタリの2回めだったのですが、青山氏にいたく気に入られて最後にはセッションして、なんだか感無量でありました。カタリがあの青山氏とセッションするなんて!
出順は前後しましたが二番目に登場した厚海義朗unitはスリーピースで、かなりロックしていました。厚海氏には無限大の可能性を感じます。とても楽しみです。
得三10周年として、鈴木慶一氏が7月にやってくるのです。
限定150名ということで慌ててチケット買いました。7月9日、楽しみです。
今を遡ること約30年前。小学校3年生のとき、日テレ系で夜8時からやっていた「紅白歌のベストテン」、毎週欠かさず見ていたのですが、ある日RCサクセションが出たのです。曲は♪ステップ!でした。
あの時のショックは、一生忘れないと思います。
まだ9歳かそこらの私にはあまりに刺激が強すぎたのです。
何だか、開けてはいけないドアを間違って開けてしまったような気持ちになったのです。はっきりと、鮮明に思い出せます。
次の日学校で、授業中に隣の席の高橋君に耳打ちしました。
「昨日、ベストテンになんか“まことちゃん”みたいなヘンなバンドが出てた。」
「俺も見た。すげえヘンなバンドだった・・・うん、そうだそうだ、“まことちゃん”みたいだった」
まことちゃんとは勿論楳図かずおの「まことちゃん」のことです。
私が「まことちゃんみたい」と表現した意図を察するには、そのときの清志郎氏の出で立ちが、多分ですが真っ赤なスーツで、髪を逆立てて、青いアイシャドーと赤いチークを施しておられたと思うのです。違うかもしれませんがそんな印象です。そしてその恰好でピョンピョンと飛び跳ねながらへんちくりんな歌(当時の私にとって、ですよ当然)を歌う清志郎さんのイメージが、楳図かずおさんとダブった。
私にとってはいまだに楳図かずお=まことちゃんで、清志郎さんひいてはRCサクセションのかもし出すアバンギャルドさが、まことちゃんのアブノーマルな世界観に通ずるものがあると感じた。
多分そんなカンジなのではないでしょうか。
高橋君にもちゃんと通じたわけだから、あながち間違ってはいないのでは、と思うのですが・・・
小学校6年生の時、雑誌か何かで清志郎さんの誕生日を知った私は、清志郎さんの事務所(多分りぼん)宛にバースデーカードを送りました。お誕生日おめでとうございます、これからも頑張ってください、みたいなありふれたメッセージの後に、自分の名前、そしてカッコして(まだ12才でーす)などと書いた記憶があります。でーす、の後にハートマークをつけたかもしれない。恥ずかしい。だれか穴掘って。
RCサクセションで印象に残ってる曲は「サマーツアー」です。中学生の時にラジオで聴いたんだと思います。色っぽい曲だなぁと思った記憶があります。
15歳のときお年玉の残りでFEEL SO BAD(LPです)を買いました。多分今もあるはずです。探してみよう。
キリが無いので清志郎さん話はこれでおしまいにします。
でも清志郎さんは永遠です。
愛のむきだし、名古屋では今やってるんです。
名古屋は映画が遅いです。
とはいえ今日で終わってしまったようですが。
私は滑り込みで昨日観て参りました。
とんでもない怪作だ、と思いながら4時間、飽きることなく楽しみ、感動もしたはずなのですが、一夜明けてみると、思ったほど余韻が無い・・・。
どうしてだろう、、、と考えてみたのです。
だってどう考えても、凄すぎる、後世に残るような凄い怪作であることは間違いないのです。
思い出してみますと、私的にちょっと・・・だったのが、脇を固める重要なキャストである渡辺真起子女史と、奥田瑛二氏のご令嬢安藤サクラのお二人。
渡辺真起子さんのことは、かなり昔から存じ上げているし、15年くらい前になりますが舞台でも拝見しています。いい女優さんだということは重々承知です。
でもどうしても彼女のアップが、、、
この映画の特徴のひとつに、キャストのどアップの多さがあります。とにかくアップが多かったです。
で、渡辺さんのアップが、どうしても、個人的に、ダメでした。
渡辺さんはとても素晴らしい演技をしておられたのです。知性の欠片もない、蓮っ葉でだらしなく淫乱なカオリになりきっていて、オスカー級の演技だったとは思うのです。
昔ワイルドアットハートで、ローラ・ダーンを見たとき、「なんてヘンな顔」と思ったのに、見ていくうちにどんどん、どんどん可愛く見えてきて、ラストにはもう彼女が愛おしくてたまらなくなりました。
でも渡辺さんのアップはとうとうラストシーンまで、受け付けることができませんでした。日本人離れした素晴らしいプロポーションではあるのですが、あまり妖艶だとも思えず、なんで渡部篤郎がこの女性に堕ちてしまうのか、理解に苦しんでしまいました。
とどのつまりは嫉妬なんでしょうね。
そして安藤サクラ嬢。安藤和津の生き写しのような彼女の演技もまた、賞賛に値するものだったことは私でも十分わかります。
彼女が演じたコイケと言う役柄はかなりクレイジーで嫌な奴だったのですが、安藤サクラ嬢もまた、見事に演じ切っていたとは思うのです。
だけどなんでだろう、やっぱり彼女のアップもまた、、、。
妙に顔が大きくて、体型もなんだかもさっとしていて、垢抜けないカンジが気になって仕方ありませんでした。
扇情的でキワどいあれやこれやの所作も、なんかイチイチ癇に障りました。上手すぎるからなんでしょうね。でもアンタがそれをやってもそそられん!とココロの中で何度もツッコんでしまいました。ああいう役はやっぱり、栗山千明とか香椎由宇あたりか、あるいは江口のりこさんあたりにやってもらいたかったです、個人的には。
でも、やっぱりあの役は安藤サクラ嬢にしか演じられなかったのでしょう(とさりげなくフォローする小心者の私)。
憎ったらしいコイケが何だかあっけなく自害してしまったのもちょっと拍子抜けでした。あんだけあれこれやらかしたんだから最後にもうひとあがきして欲しかった気がします。
ストーリー的に引っ掛かったのはそこだけです。
偉そうにいろいろ書き連ねておりますが、勿論自分のことは棚の最上段にあげていることは重々承知であることをここであらためて強調させていただきます。
つまりはこのお二人が、あんまり私のタイプではなかったということなのでしょう。
映画をこういう角度からしか見られないような私が書くことなどあまりお気になさらないでくださいね。
ケチばかりつけずにちゃんと素晴らしかった点も書きたいと思います。
主役のふたりの底知れぬ演技には驚愕しました。とくに満島ひかり嬢、魂を切り売りしてるかのようなあの演技。それはもう空恐ろしい、狂気じみている。度肝を抜かれるとはまさにこのことです。
西川隆弘くんもこれが映画初出演とは驚きます。園子温監督の選定眼というのか、ずば抜けたセンスには脱帽です。
で、このふたりは本当に美しかったのです。
ついでにいうと、渡部篤郎も麗しすぎるのです。
結局のところ、そういうことなんですね。
何事も主観的にしか見られないままこんな歳になってしまった・・・
この映画を先に観た方が「ゆらゆら帝国の曲が未だに頭の中を廻っている」と言っておられたのですが、本当、ゆらゆら帝国いいですね。ちゃんと聴く機会が今までなかったのですが、これからCD聴いてみようと思っています。
・・・と最後にrecommuniらしく音楽の話に強引に帰結させて、書き逃げしたいと思います。
そうだ、ジョイントの時って、受付でそう聞かれることあったなぁ、昔はちょくちょくそう聞かれたものだ、誰を見に来られましたか、って。
でもハポンで、モモジさんにそう聞かれたのは初めてだったので、最初「え?」と思わず。はっと気がついて、「松前さんです」と答えた私。
ここ何年か、ワンマンライブなんて数えるほどしか見てない。日記をまったく書かなかった去年1年間も、それまでと同じペースで本当にたくさんのライブに行った私だけど(今思うと、なんで記録しとかなかったんだろうと、後悔しきり)、もうほぼ全部と言っていいくらい対バンありのジョイントライブだった。ワンマンで思い出せるのはモノコトのjaajaの投げ銭ライブと、、、もう丸一年前になろうとしてるウズマキマズウと、、、あとなんだろう。
松前さん、すっかりダンディになられていて。
というよりなんだろう、、、ブルースマン?
見るからにテクノな人、という風貌だった印象があったのだけど。
彼のことは十代の頃から存じ上げていた、EXPO、ハイポジ、きどりっこ。
おしりかじり虫以降も、マイペースを失ってないカンジが本当にナイスだなぁ。
それにしても。
ぶどう≒グレープ。
お恥ずかしい、本当に存じ上げませんでした。
以前TOKUZOだったかのライブスケジュールでサエキさんと同じ日に名前があったので、かろうじて名前だけはなんとなく覚えていたのだけど、調べようともせず。あこや会会員なのになんと言う体たらく。サエキさんが詞を提供してたなんて!
名古屋の音楽事情にはちょっと詳しいつもりでいた自分がお恥ずかしい。
あの外国人の多さ。少年ナイフのライブを思い出しました。
ぶどうグレープのメンバーが松前さんを「おしりかじり虫の人」と紹介すると「えーそうなの、すごーい」という声があちこちから。
きっと、松前さんを見に来た人なんて私だけだったんじゃないですか、モモジさん。
本当に、ハポンのスタッフ以外誰一人知った顔がなく。
アウェーだったわぁ、ホントに。
ラストにその日の出演者全員で「ジェニーはご機嫌ななめ」
ジューシーフルーツ!!感涙。
いくつか思い出したので書き足しました。
琉球泡盛「白百合」1ケースとギターとともに石垣島からコウちゃんは今回はパルルへやってきました。
パルルへ入ると、あ、あれぇ?
ソボブキさんだ。
まるっきりお客さんの顔で白百合呑んでる。
でも結局ライブに借り出されて結局ほとんどずっとピアノ弾いておられました。
前回も書いたような気がするけど、「音を楽しむ」ということ。
EttのKeiさんがいつも言っているように、真のミュージシャンとは彼のような人のことを言うんだろうなぁと。
ミュージシャンはジコチューありき。
ひとりよがり全然OK。
厚海義朗氏も聴きに来られていたのですが、河合氏ソロで彼の「イルミネーションゴールド」をカバーしていて、また一味違ってよかったです。時々河合氏は厚海氏の曲をカバーするのですが、厚海義朗氏の作るメロディは詩情豊かなので、カバーしたくなる気持ちがよくわかります。
美味しかったなぁ。白百合、水割りとロックで。
パルルのお惣菜もね。
楽しかったなぁ。コウちゃんはCharming。
白百合1本、開演前にリザーブ。
よかったよかった、帰るとき同伴者も欲しいといったけど、完売だったもの。
白百合もコウちゃんのライブも、ハンドメイドなのであります。てづくりはやっぱりいいね。
先日103歳の大往生を遂げた私の祖母の葬儀から帰って参りました。
従姉妹の子供のことは私から見ると何と呼ぶのでしょうか。
調べてみたら従妹(じゅうまい)と言うそうですね。
さやかちゃんとゆかりちゃんと言う、いとこの晴美ちゃんが二十歳そこそこで立て続けに産んだ年子のふたり娘は、要はおばあちゃんから見たらひ孫になるわけですが、晴美ちゃんはエレクトーン講師で、晴美ちゃんの旦那様はバンドをやっているギタリストで、そんなミュージシャン夫婦から生まれたふたりの娘はまあ当然と言うか、幼少の頃から音楽に囲まれた環境に育っているわけで、ふたりとも中学高校とブラスバンドに没頭し、とくに妹のさやかちゃんの方はサックスやトランペットにのめり込み、中学生の頃にYAMAHAのうにとろプロジェクトのオーディションに受かって全国ツアーにまわったり、昨年はNHKBSの「あなたの街で夢コンサート」と言う渡辺徹が司会する番組に出演し、東京フィルをバックにしたがえてトランペットソロで「メモリー」を演奏し、現在は芸大を目指して浪人中とのことです。行く末はオーケストラに入りたいと。
前置きが長くなりましたが、とにかく葬儀の時、「ふるさと」と「千の風に乗って」を、ゆかりちゃんがフルート、さやかちゃんがトランペットのアンサンブルでおばあちゃんに捧げたわけです。
おばあちゃんは40代半ばで未亡人となり、末っ子の私の母はまだその時2歳かそこらで父親の顔を覚えておらず、おばあちゃんは教員をしながら4人の子供を育て上げました。
おばあちゃんは15年前、米寿のお祝いに何が欲しいかと聞かれ、「ピアノ」と答えました。
明治生まれのおばあちゃんにとってピアノと言えば、学校に一台あるのがやっとの超ウルトラ級のラグジュアリー。
何よりのステータスだったのだと思います。
贈られたピアノで「楽しき農夫」を奏でるおばあちゃんの姿が今も鮮明に目に浮かびます。
おばあちゃんは「エリーゼのために」と「乙女の祈り」がとても好きでした。私も昔はピアノを習っていたので、会うたびに弾け弾けとせがまれ何百回も弾きました。
リチャードクレーダーマンも喜んでくれたなぁ。
まだまだおばあちゃんのこと、いろいろ書きたいけれど、まとまりません。