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霧の万年床〜楠 均のBGM日記

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      8月5日。

      富良野でザバダックライブ。僕にとっては「故郷に錦」まで後一息に迫った。来年はいよいよ遠軽か。頑張れザバダッック。

      東京からツアーで北上して来たザバ&リベンデルチームと、老人の側でひねもすのたりしてきた僕とでは現役感がまるで違う。邪魔しないように、そおっとアシコ叩き、小声でコーラス。(それが功を奏して)いいライブだったと思う。終演後は大雪山系と面と向かい合っての野外打ち上げ。僕らの仕事についてまわる打ち上げ、という言葉についてまわる密室内での猥褻行為というイメージを完全に裏切るスケール感に茫然とする。犬も興奮してオシッコたれる。仲間かと思ったのはヤギさんだったね。バーベキューを堪能し、手作りどぶろくに舌鼓(あ、書いちゃった)。ザバダックファンの熱い歌声に唱和する。ライブの世話をしてくれた現地の方々との語らい。どこからどう見ても現地人的である方々のほとんどが内地出身の方々であると知らされ驚く。(原マスミ氏ならここで「金返せ」と言うところである。)昨夜泊まったペンションの運営の方々は東京都立川の方々であり、滝上の町外れで廃屋を改造してカフェを営む方は大阪の方であった。不況に喘ぐ北海道に好き好んでやって来る酔狂な方々。あなた方々の好き心が北海道に新しい風を吹かせるかもしれません。どうぞ朗らかに楽しまれんことを!

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月17日 14時12分 | 更新日: 2007年8月17日 14時12分
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      8月4日

      遠軽を発って滝上、という町に向かう。車で2時間弱。2つの町は近いと言えば近いし、同じような所だと思っていた。行ってみると違う。平地の遠軽に比べ、低いけれど広大な山の中にある町と言っていい。樹木の相が変わり緑の表情が険しくなる。モラトリアムな三男坊というヤワな感じはもはやない。そこら中に熊がいると言われれば簡単に信じるだろう。

      TVで見た陽殖園に行く。庭園・植物園と言って間違いはないけれど、かなり変わっている。全体が小山になっている。その入口で、こんにちは、と声をかけると小柄な男の人が一人、里によく出入りする小型の野生動物のような表情で現れる。男の人はお名前を武一さんとおっしゃる。500円払って武一さんから熊除けの鈴を受け取る。(注意書きに、動物からは自分で身を守って下さい、と書いてある。)園内に足を踏み入れると、見慣れない色鮮やかな花が生き生きと雑然と咲いている。雑草がウッソーと(言いたいくらい)生えている。雑草と見えるものも季節が来ると花をつけるのかもしれない。或いは雑草を雑草としてわざわざ手植えしたのかもしれない。そのあたり計り知れない。何しろこの武一さんは、中学生の時から町で種苗を売り歩き、空いた時間にひたすら家の裏山に花を植え、木を植え、池を掘り、小道をつけ、気がつけば50年近く経っていたという人で、何というか、尋常ではない。野生動物のように見えるのは、何から何まで自分で面倒みてる人特有のクールさというものだろうか。植物に対してもクールで水や肥料はやらない。その場所その場所に適した花が勝手に繁栄するらしい。明らかに自然とは違うけれど何かの間違いでそんな景観が出現したのだと言われれば素人の僕は簡単に信じるだろう。ご本人曰く「自然風庭園」というのが可笑しい。駅前食堂の「洋風刺身定食」みたいなものだろうか。(そんなのがあるかどうか知らないけど。)松並木や杉林と名付けられたコースもある。その奥に広がっているだろう北国の山林の恐ろしさが、つい洩れ出して漂っている。巨大なアブがつきまとう。この場合ももちろん自分で身を守らねばならないだろう。アブに追われるように入口に戻って来たら武一さんは「まだ2時間もたってないよ」と不満げな御様子。「1人3つまで」と言われ、何かと思ったら目の前に大きな赤いグミがなっている。もいで口に放り込む。うまい・・・。お元気で、と声を掛けると「150まで生きないと完成しないからさ」と真顔でおっしゃった。

      ここ陽殖園には、自然と人間の交渉の妙があるのではないだろうか。万物に対して(慎重且つ正直な)交渉の意志を持て、と言われている気がする。それでこそ妙な(すてきな)ものが生まれる、と言われている気もする。社交と交渉ごと全般をおろそかにして来た我が身を反省したい気もする、ああ。閉じて居直ってはいけないよと。でも、とりあえず暑い夏が終わってからにしたい気もする。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月15日 13時27分 | 更新日: 2007年8月15日 13時47分
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      8月2日

      兄がやって来た。皆でどこかへ行かねばならぬと父がいうので、ハアどこへ行きましょうと伺うと、佐呂間の竜巻跡へ行くと言う。竜巻跡へは一昨日行きましたがと言うと、どこか町へ行って昼飯を食べて帰るという。飯屋があるような大きな町はその辺りでは北見しかない。観光案内によると、北見では塩焼きそばというのが人気らしいのでそれを食べて帰る。父のおかげでやみくもに移動しながら、運転しない僕はひたすら野山と畑と牧場とを目にすることになった。つくづくここは農業をするための土地なのだと感じる。いろんな助成があって成立している所が大半だろう。国を騙してでも続けてほしい。農業がうまくいってる所は景色がきれいだ。この辺りのように観光と無縁な場所でもそう。農業の未来に金とテクノロジーを注ぎ込んでほしい。それと内地の若者たち。いきの良いのを5、60万人ばかり。やっぱ強制連行かな。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月14日 9時42分 | 更新日: 2007年8月14日 9時42分
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      8月1日

      紋別に行く。オホーツクタワーにはオホーツク海以外何も見えない喫茶店がある。去年の春、そこでコーヒーを飲むためにわざわざ通年パスポートを購入した。僕以外にただの一人も客のいないタワー。喫茶以外にいろんな施設があり、クリオネやらオオカミウオやらタラやらを見ることも出来るタワー。喫茶の女性にコーヒーをいれて貰いながらこれから遠軽に行くのですと言うと、女性はすぐさま時計を見上げて今すぐここを出て行かぬとバスに間に合わぬぜ、と冷静に告げてくれた。僕はコーヒーに一口もつけずに電気自動車に乗せられて施設の入口の建物まで行き、そこからタクシーに乗ってバス停まで行った。その後タワーに行く機会はない。今日はタワーではなく、父の意向で流氷科学館に寄る。南極で何年も過ごした父の兄ゆかりの場所だという。特に当てがないのは分かっているが、零下30度の部屋の中でシャボン玉を飛ばして見せてくれるというのでそのくらいは見て行きませうかと父に聞くと「ただちに帰る」という。何をしに来たのか分からない。

      羽田との往復が1日1便あるだけの紋別空港の脇を通る。草の生えていない牧場と言っても通るだろう。地方の空港で働くというのは楽しそうに見える。それもこんな北国の辺鄙な空港だと楽しさは如何ばかりかと思う。そう簡単でもないのだろうか。それ以前に就職することが至難かもしれない。コムケ湖という小さな湖がある。昔は夏休みというと子供はそういう場所に連れてかれたものだったけれど今はどうなのだろう。宿題やゲームで忙しいのだろうか。子供にとってはどっちでもいいのかもしれないが、大人になっていよいよ訪れる機会がなくなってみると勿体ない気がする。それだけじゃなくて、すぐそばに棲んでいて会いに行かないのは礼を欠くというか湖が気を悪くするのじゃないかという気もする。コムケ湖にとってはどっちだっていいのかもしれないけど。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月13日 11時44分 | 更新日: 2007年8月13日 18時9分
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      7月31日

      皆でサロマ湖へ行く。途中、父の希望で去年の竜巻事故の現場を通る。僕の友人の会社の同僚は工事の仕事で現場にいた。打ち合わせの最中、トイレに立ったそのすきにトイレごと吹き飛ばされ、気がつくと数10m離れた歩道に座っていたのだという。亡くなった人のための慰霊碑が作られているようだった。車を止めませうかと父に聞くと、「いやいい」と言う。何しにきたのかよく分からない。

      サロマ湖は日本で2番目くらいに大きな湖で、海とつながっている。ここで採れるホタテなどの海産物がこの辺りの主たる産業だと思うので湖と呼ぶのは少し違和感がある。遠浅の実に穏やかな湖(うみ)で、オホーツク海との境目の細長ーい陸地は原生花園になっていて、車は入れない。最果ての一種には違いないのだがのっぺりと穏やかで、ひっそりと地味で、荒々しい厳しさは感じられない。(観光客向けの売りは流氷ということになるのだろうか。)内陸部を含めたこの地域のためにわざわざオホーツク気候という名称がある。調べてから書くべきところだけれど、18年住んだ僕の感じで言うと、夏冬の寒暖の差が大きくて日照時間が長く、海岸から離れると風は穏やかで、雪が比較的少ない。道東と道北に挟まれて、いつまでもモラトリアムを貪る暢気な三男坊という感じ。家の手伝いも勉強もせずロックばっか聴いて・・・。それはオホーツクと関係ない。僕の兄はいつでもどんより曇っていたと言う。僕の印象と食い違う。音楽との出会いを空模様や風の具合とともに記憶しているために、その頃聴いた音楽はみなオホーツク内陸部の色と匂いに染まっている。僕の天気の記憶はひょっとしたら音楽の輝きの記憶なのかもしれない。事実としては音楽とオホーツクは関係ないに決まってるけれど、その両方を環境として育った人間にとっては切り離せない一枚の織物となる。オホーツクも音楽も、人間のそういう小さな思い入れには頓着ないと思うけど。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月12日 12時15分 | 更新日: 2007年8月13日 18時13分
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      7月30日

      昨夜ケータイがないことに気付き、何度目かのことでもあり、なくしたこと以上に家族への釈明に苦慮していたところ、小峰さんがお前のケータイは青山のレンタカー屋にあると連絡してくれた。諜報部員かと思った。「ケータイの携帯を以後禁ずる」という家族会議の決定がくだされる直前のことだった。小峰さんには大酒飲みの素敵なご亭主がいてその方のゲロを日々始末しながら、なんで他人の失せ物の始末までせにゃならんのよと仰りたかったに違いない。ありがとう。そう言わないでくれて。今夜も二人で気の済むまで杯をあおって下さい。

      翌日東京の湿気から逃れるように北海道に帰省。その前にケータイを受け取りに行かねばならないのだが、どうしてか支度がうまくはかどらず、ケータイどころか飛行機に間に合うかどうか怪しい。口数が減っていたWが「私が先に行って回収してきます。とばっちりを食うのはまっぴら御免下さいませ」と、ことのほかきっぱり言うのでそうまで言うなら任せぬでもなく「行ってらっしゃいませ」と送り出す。何しろ自分のことが自分で出来ない無学な中学生と犬まで含めた移動でこっちも大変である。ケータイどころではない、と空港に急ぐ。梅雨の雲を突破する際にかなり飛行機が揺れた。家長たる僕は終始笑みを絶やさず、パニック寸前の家族をなだめ勇気づけ、何とか機を無事着陸に導いた。案じた通り、犬は顎の下の長い毛を恐怖の余りよだれでぐしょぐしょに濡らしていた。ハハハしょうがないやつだな、息子よ拭ってあげなさい、君の妹のようなものなのだから、妹のよだれの面倒くらい見られなくては良いお兄さんとは言えないだろ?そう言いながら僕も自分の顎の下の冷や汗を拭う。しばらくしてコツンと固い僕のケータイがないことに気付く。あれあれないよないよボクのコツン。血相というものを変えて空港内を走り回っていたら制服姿の男女がにこやかに僕を呼び止めて、もしやこれをお探しでしょうかとまぎれもないボクのコツンを差し出した。手品師かと思った。かたじけない。あったあった、おーいケータイだコツンだと振り返ってもそこには犬一匹見当たらなかった。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月11日 19時46分 | 更新日: 2007年8月13日 18時21分
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      7月28日その2

      泊まりがけで山中生活を楽しむことを含めて初めてフジロックを体験したと言えそうな気がしますが、あっさり日帰り。帰りがけにメインステージのそばを通過。イギー・ポップ熱唱。そのうちステージが観客で一杯になったらしくてライブは中断。ややあってイギーが、ミナサンオチツイテ、と英語でアナウンス。うん?既視感。ステージ後方を歩く僕らからは巨大なスクリーンが三面見えている。ご本尊はその奥にいる模様。山の中にそのようなしつらえものがあり、画質はまばゆく鮮やかであり、スピーカーは轟音を放ち、それは巨大野外ステージとは思えぬクリアな音質であり、観客は大波のように揺れながら熱狂のただ中にあり、その波の切れ目を歩く僕らから更に後方の斜面はクールダウンする(或いは年配の)観客たちのエリアで、彼らは折り畳み椅子に身を沈めて携帯を開いたり、仮眠したりしている。服装と装備のせいでアウトドアショップ主催のロハスな集会にも見える。近未来。いやむしろ未来に似せた何か。擬未来的なこの感じ、何かを思い出す。ブレードランナー的世界が整理整頓されて、高度資本主義の見本市のような洗練された異次元空間がものすごい解像度で山中に出現している、と思った。スクリーンの中で人々の熱狂を煽っているのはホログラフによるバーチャル映像ではなく、完璧な肉体を持ったレプリカで、彼は大昔のロックスターのパフォーマンスを本物以上にアグレッシヴに再現している。それは20世紀のロックが想像していたロック的な何かより遥かにハイパーな何かだ。

      物がだぶって見える。実物の周りに必ず擬似的な輪郭というか、ぶれた線が見える。山中から携帯で退屈しのぎに株の動向をうかがう人の姿がにじんで見え、ロックフェスがにじんで見える。山や都市がにじんで見える。ここまでは実物(現実)、と特定できた輪郭が失われて色んな物が溶け出しているという感じ。(これはすごい勢いで進みつつある老眼の症状とぴたり一致している。脳の老眼とでも名付けて個人的な問題と片付けても良いのだ。)身にまとっている装備の情報量とその精度がすごくて本体が色あせる。少し前までは、リアリティーがないんだよねー、と言ってりゃ良かったんだけど今それを口にすると逆に言ってる自分本体にリアリティーが感じられなくなる。というくらいにはみ出した線のパワーは強い。スター・ウォーズも回が進むにつれて、なんで生身の肉体で決着つけなくちゃいけないのか見てて訳分かんなくて、最早そこにリアリティーを感じていないルーカスの浮かない顔ばかりがリアルに想像されてしまったけれど、そんなかんじ。

      ブレードランナーの中ではちぎれたネオン管がコガネムシのようにジジジと音を立ててビルの隙間を這い回っていた(そんなシーンはないか)。高度資本主義とテクノロジーが、って言った途端に唇が寒くなるくらいにテクノロジーは血肉化して、描かれる未来像は自分の肉体の延長の生々しい描写に似てくる。未来はようやく絵空事でなくなったということだろう。床屋の政談とか本ブログのような与太話が許されなくなるということでもあるだろう。厳しいけれど別に悪いことじゃない。今後肉体という言葉には、動物としての生身以外に、2つのイメージが影のようにつきまとうのだろう。身にまとった様々なディヴァイスと、かつてそのような物を見たことがあるという既視感と。

      (でもそれは言葉を変えれば「今」を見ながら同時に過去と未来を見るということかもしれず、話はずれるけどそういう眼力や直感力を大昔の人は持っていたのかもしれず、今後はテクノロジーによる装置と記憶によって少々不器用な形で過去と未来を可視化するということかもしれず、予断は許されないかもしれず。)

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月10日 15時17分 | 更新日: 2007年8月11日 15時32分
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      7月28日

      ギャビ−&ロペスでフジロックへ行く。ちいちゃな谷間みたいなところにあるオーロラというステージで45分間演奏。とても気負いのないステージなのに妙に気負ってしまった気がして山の神様に恥ずかしい。初めてきたけど(もう来ないかもしれないけど)とてつもないイベントですわ。考える人の気が知れない見に来る人の気が知れない。ヨットで世界一周する人アンデスにカブトムシ見に行く人、甘茶でカッポレ真夏にポリシュカポーレする人の気が知れない、サーフィンしながらアイロン掛けする人の気が知れない(いやそんなスポーツが実際あるらしい)。すごいエナジーだ。僕なんかこの場にいるだけで塩擦り込まれたナメクジになる。みんな頭がヘンですわ。そのとてつもないイベントが想像できる限りの見事さで整然と運営されていることにもビツ栗。メンバーの一人が大事な石を落として暗がりで皆で探していたら、若者がすっとライトで照らしてくれて一緒にいた娘さんが「ほらそこ、あそこにも」とまるで蛍でも見に来たみたいに楽しげに笑う。お祭りに友達と出かけて好きな子とばったり出会った時のように甘酸っぱいときめきがそれこそ蛍の光の瞬きほどの時間「明」、そして「滅」。これをもってフジロックスピリットの一端に触れた気がしたといったら向こうから石が飛んで来るのだろうか。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月9日 18時31分 | 更新日: 2007年8月10日 10時3分
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      7月24日

      梅雨の晴れ間。抑えられていたものがどっと噴き出したような圧倒的な光。地面にゴリラの鼻くそがたくさん転がっている。謎、と思いしゃがんでよく見る。見上げるとユキヤナギの葉っぱに丸々太った青虫。ゴリラの鼻くそと思われたものが実は青虫の糞だったということで、これからは「ゴリラの鼻くそ大」という使い古された比喩のかわりに「太った青虫のくそ大」と言う新たな比喩が使えることを喜ぶ。目の覚めるような鮮やかな色をした青虫、あるいは芋虫(どう違うんですかキラ君)は真新しい大福のような感触で食欲をそそる。も一度触ると今度は少し緊張して力士の尻のようにきゅっと締まった。思うほど遠い存在じゃないな。少なくとも自分からの距離は力士と同程度ではないか。このままではユキヤナギが枯死するであろうという世間の声に押されて、踏ん張る青虫を葉っぱから引きはがす。はじけんばかりの弾力が指先に伝わって来る。何という充実であろうか。40年前力士を夢見た僕の尻も或いはこのようであったかもしれぬ。今や痩せ萎びた我が尻はその所在すらおぼつかない。青虫を広大なジャングルに返す前にその感触を愛でる。頬ずりしたいが世間がぎゃあというのでやめとく。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月9日 12時27分 | 更新日: 2007年8月9日 12時27分
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      7月7日

      YMOの特番見逃す。PCの前のWが「杉林さん見てたみたい・・・・あ、角森さんも」と言う。悔しくて鉛筆噛む。がじがじ・・・。

      Posted By XNOX クスノキス | 投稿日: 2007年8月8日 20時17分 | 更新日: 2007年8月8日 20時17分
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