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recommuni四方山話アルバムごとにいろんな世界を見せてくれるススムヨコタ氏ですが、このアルバム『SYMBOL』ではテクノとクラシックの融合。と一言で言っちゃうとどうにも陳腐になってしまいますが……美しいです。
底辺に流れるテクノのリズムと、ふわふわと移り変わっていくクラシカルテイストの「うわモノ」がなんとも言えず溶け合って。さすがのセンスですねぇ。
会社の近所に、道に面して水槽をいくつか並べている民家がある。そのひとつに鯉がいる。それが水槽の半分以上もあるような大きな鯉だ。身体の向きを変えるのも一苦労しそうで、なんて可哀想な、ととても気になる。ストレスたまるだろうなー。広い池や川で思う存分泳ぎ回りたいだろうなー。
でもどうなんだろう。人間ならカプセルホテルに閉じ込められているようなもので、間違いなく気が変になるだろうが、それはたぶん人間には欲があり、想像力があるからだ。「ファインディング・ニモ」なんか見たせいか(「シャーク・テイル」はまだ見てないけど)、どうも擬人化して考えてしまう。
ウチにもまったく平凡なフナ(?)が1匹だけいる。知り合いが多摩川で釣った魚を5匹、子供たちのためにくれたのだが、次々と死んで、なぜか1匹だけ長生きしている。10cmくらいの小さなヤツなので、水槽はまあ充分に広いとは思うが、それでも多摩川は恋しくないかとか、この小さな水槽の中の一生ってどうなんだろう、なんてことをよく考える。だったら多摩川へ返してやればいいようなもんだけど、わざわざ行くのも億劫でそのままになっている。
「ニモ」に、記憶力が弱くて何でもすぐ忘れちゃう熱帯魚がパパの相棒として活躍するけど、まあ魚の脳ミソなんてあの程度のものだろう。……生物学的な裏づけまったくなしだから、間違っていたらごめんなさい。
自分にとっては異様に狭い空間に閉じ込められているんだけど、そのことをまあこんなもんなんだろうな世の中は、てなもんで特に不服もなく、餌はくれるだろうから、とりあえずそれを食ってどよーんと生きているのかもしれない。
毎日同じ景色、同じ暮らしでも、記憶がないんで毎日新鮮、目が覚めるたびにあれ?ここはどこだろー?とワクワクしてたりして。それとも毎日、狭いことを忘れてガラスの壁に頭をぶつけ、いつも痛い思いをしているか。
記憶力がない状態、とても想像しきれないけど、ハッピーで平和だろうな。「おめでたい」ってことだけどね。悩みはないけど大きな喜びもない。
人間が、知識に知識を重ね科学や文明を発展させることができるのはもちろん記憶の力だし、今ある状態に飽きて、別のより大きな喜びを求めるのも記憶があるから。一方、恨みや憎しみも記憶によって肥大していき、ついには戦争となる。
人間のすばらしさも愚かさも、記憶力がその源と考えると興味深い。
ボクはというと、だんだん記憶力が減退してきて、平和な人間になりつつある。
2005.03.27
福岡智彦
久しぶりに夫婦で映画を見に行った。「Ray」。そしたら「夫婦のどちらかが50歳以上の場合は、お二人で2000円となります」とのこと。「夫婦50割引」というサービスだという。
妻はラッキーって感じで喜んでいたが、いわゆる高齢者割引の対象になったのは初めてなので、ボクとしてはなんか老後に突入したような変な気分であった。
「Ray」はとてもよかったです。考えてみたら黒人で盲目なんて、あの時代のアメリカじゃあものすごいハンディキャップなわけで、それを乗り越えたというだけでもとてつもないことだ。アカデミー賞をとっただけあって、ほんとにRay Charlesそのものというような演技もすごい。感動でしびれました。
写真は関係ないけど、映画館のそばの取り壊される予定という「三信ビル」の雄姿。
アメリカに行っていた松浦君に、「iTunes Music Store Card」すなわちiTuneでダウンロードするのに使えるプリペイドカードを買ってきてもらった。
iTunesはアメリカの(ヨーロッパのものはヨーロッパの)住所を持ったクレジットカードがないとダウンロード購入ができないけど、このプリペイドがあればできる、と思ってたんだけど、
どうすればよいんだろう??
ダウンロードしようとすると、会員登録をうながされ、そうなるとアメリカ在住のカードの登録を要求される。
プリペイドカードもやっぱり会員登録しないと使えないの?
誰かおせーて。
余談だけどPAY-PALも使えるようになってた…。
お笑いブームもさすがに末期かと思うのは、夜中にBGM代わりにテレビをつけるとお笑い芸人のオンパレードだからだ。それは全盛期というのではないの?と言う人もいるかもしれないが、膨らみきった風船が割れたら一瞬のうちに消えてしまうように、ブームというものはピークを過ぎたら衰退は速い。ダッコちゃん、フラフープの昔から、たまごっち、ベイブレードに至るまで、そこは変わらない。経済にもバブルの崩壊というのがあるが、人の営みとはどれも同じような経過をたどるものだなぁと思う。
こんなに毎日のようにテレビに出演していたら、ネタを考える時間も練習する時間もないではないか。もはやそこには「笑い」はなくて、面白い「はずの」人たちがいっぱいウロウロしているだけの、「笑い」の幻影、まさに中身なく膨れ上がったバブルが浮いているだけなのだ。
この四方山話シリーズにも何度も書いたが、ボクは「お笑い」が大好きだが、練られた芸としての「お笑い」が好きなのであって、適当にしゃべったりつっこんだりしているだけのバラエティー番組は好きじゃない。
ところが先日、三宅裕司氏が朝日新聞にこんなことを書いていた。
「時代はすっかりトーク中心のバラエティー番組が主流になってしまったが、それはタレント同士の真剣勝負の場でもある。」
それに勝つためには「引き出し」をたくさん用意しておくことと、他の出演者より先に話題に突っ込む「瞬発力」がだいじだとし、
「テレビでコントを作るのは難しくなってしまったが、トークバラエティーをさらに面白くする努力と工夫はまだまだ、しなくてはならない。」
とおっしゃっている。
意外だった。劇団を率いる三宅さんだから、テレビでもほんとはコントをやりたくて、バラエティーなんかイヤなんだろうなんて勝手に想像していた。失礼しました。そして、ごもっとも。三宅さんが言うように、「引き出し」と「瞬発力」を持ったタレントが真剣勝負を見せてくるようなバラエティー番組なら面白いだろう。でも、あるんでしょうか?
カンニングの竹山が、あるトーク番組に途中で乱入し、お得意の「切れキャラ」をぶちまけるが、スタジオの笑いはなく、でもそのあと「登場のしかたが完全にすべったわ」と自らの失敗を告白するとどっと笑いが起こる。近頃このパターン、いわゆる楽屋オチと言うか、失敗談や恥ずかしい話をばらして笑いをとろうとするのがすごく多い。さらにはドッキリみたいな隠し撮りやら、プライベートのメールの中身をばらしたりやら。
その笑いは、芸に感ずるほんとに楽しい笑いではなく、人の不幸を笑う、という品性下劣な笑いである。そんな笑いでもうれしいのか。芸人としてそれでいいのか。
だったら見なきゃいいじゃん、って自分でも思う。だけど気になるのだな。「爆笑オンエアバトル」あたりから初々しく登場して人気を得てきた彼ら若手芸人たちの今、そして今後が。
そして興味深いのが綾小路きみまろだ。今回のお笑いブームの初期にブレイクした彼だが、バラエティーにはほとんど登場せず、もくもくとネタを書き溜め(ているのだろう、きっと)、自分のスタイルでの漫談に徹している。このお笑いブーム終焉後も、彼はきっと変わらずやっていくんだろうな、と思う。
2005.03.20
福岡智彦
昭和歌謡をこよなく愛するボクにはたまらないメロディーラインですわ。しかも彼女の声と歌唱はこういう曲にバッチリ合いますねー。
でも古臭い感じはまったくないですよ。アレンジはめちゃかっこいいし。
詞もいいなぁ。たぶん下町、焼き魚の匂いなんかが漂う初夏の蒸し暑い夕刻なんだけど、気分はトロピカルという内容なんですが、その内容そのものと言うより、サウンドの調子がいいんで言葉が埋もれ気味な中、ひゅっひゅっと耳に飛び込んでくる言葉の断片の響きがいいんです。
このところ毎日聴いてます。はまってます。
聴くと元気が出ます。自分でDLしてないから投票できないんですけど、間違いなく★★★「歴史的名曲!」です。
このアルバムは全般的にアレンジがすごく好きなんだけど、特にこの曲は発想が大胆というか、叙情的なメロディー+ちょっとナヨッとした歌唱にはダイナミックすぎるくらいのアレンジだと思うんだけど、かと言って行き過ぎてはいず、そのバランスの妙がボクの琴線を激しく揺さぶります。
アレンジャーはSCUDELIA ELECTROの吉澤瑛師。
ボクが長いこと担当していた遊佐未森に、いい意味で、声がほんとそっくり。最初の「すべては〜」ってところで思わずニヤッてしてしまう。
基本打ち込みなんだけど、なぜか手触り感、手作り感があるのは、やっぱりこの人のほっとする歌のオーラのせいでしょうか。
ツインギターによる疾走感ある8ビートがこのバンドの持ち味だね。
SUZUKI YUKIKO: Vocal, Guitar right
OIKAWA TSUKASA: Guitar left
と、左右決まってるってのがロックっぽいと言うか、潔くて好きです。
ジャズ風の始まりがこのアルバムの他の曲と趣を変えるが、かっこいい。サリンジャーの「フラニーとゾーイ」を下敷きにした詞の世界。前半の「フラニー」から「ゾーイ」の後半に入ると景色はガラッと変わり、このバンド本来の疾走感のある8ビートに。
漁師でも農民でも商家でもないサラリーマン家庭に生まれ育ったボクには、親から叩き込まれたワザみたいなものがない。そしてサラリーマン家庭が多い日本では、全体的にそうしたものは今やごく少ないに違いない。
そんな日本でも、今でもほぼすべての家庭で、ちゃんと親から子へ伝えられているワザがある。それは箸の使い方だ。箸を使うのは日本人だけではないが、2本の棒だけで豆を掴み、魚の身をほぐし、麺を切る。これは立派な伝統芸である。
魚がメインだったか肉がメインだったかで、自然使う道具も違ってきたのだろうが、西洋世界の、切って突き刺す、というナイフ&フォークの野蛮さに比べ、箸文化のなんと繊細で優雅なことよ。
と長いこと思っていたが、数年前にスコットランドでレコーディングの仕事をしたとき、食事は賄いさんの作ってくれるシンプルな家庭料理をみんなで食べるのだが、ごく平均的な当地の若者であろうアシスタント・エンジニア君のナイフ&フォークの使い方が実に鮮やかで、見ていて気持ちよかった。ライスを食べるときに、フォークの背にライスを乗せて食べるのが正式だなんて学んだが、なんかうまくいかなくて結局はフォークの腹ですくって食べることが多いけど、そういうのを実にさっさか彼はできるのだ。ああ、ほんとはこういうふうに使うんだ、と判ってもできないんだけど。あたりまえかも知れないけど、道具は使い方でいくらでも優雅に見えるんだねぇ。
むしろ、日本で、肉食や西洋風食事が増えるにしたがい、ナイフ&フォークを使いこなせないまま、箸文化がおろそかになっていくのが嘆かわしい。
以前問題になった給食の先割れスプーンは言語道断として、よく野菜サラダ用にフォークだけ出されることがある。あれはなぜ?フォーク単体では突き刺すことしか(まあスパゲティの「巻きつける」という使い方は例外として)できないんだから、トマトはいいとしても、葉っぱ類をどうやって食べろというのだ。レタスほど突き刺して食べることに向いていないものはないと思う。ナイフ&フォークの使い方を理解しないで西洋気取りをしているだけとしか思えない。
一方、これはマナーの問題だが、箸は片手で使えるので、持たないほうの手をぶらっとテーブルの下に垂らしたまま右手だけで食べてる人が若い子を中心に多い。あれはみっともない。最近はスーツ姿のいい歳をしたおっさんにもよく見かける。話は違うけど、おばちゃんパワーがどうのとか言うけど、マナーの悪いおっさんの増加はもはや社会問題だね。
日本の食事は本来片手に箸を、もう一方の手に食器を持つものだ。それが食事が洋式に、つまり大きめの皿などで供されることが増えたために、持ち上げるのも変だから片手があまる。そのやり場がないワケだ。これはテーブルの上に置くか食器に添えるべきである。
うちの息子たちもダメだ。だからしょっちゅう「左手!」と言って叱ってる。左手を垂らさないで、テーブルの上に出しなさい、という意味である。でもそのときだけ。ちっとも直らない。
親から子に、それだけのことも伝えられないなんて、自分が情けない。
2005.03.13
福岡智彦
auの着うたフル、火曜の夜にはじめてちゃんと聴いた。居酒屋で友人の携帯で。「まだ音悪いからダメだよー」という知人がいたので、それに48kbpsでいろいろ改良して、なんて聞いてたから先入観があったからかもしれないけど、いやー、なかなかやるじゃん!って音だったなぁ。
大好きなYESの「ロンリーハート」を聴いたからかもしれない。イントロのギター・リフとか勢いある音してるんだよねー。中高域を強調してあるのかな。若向きの音だな。
それと邦楽は歌詞が出るんだね。JPEGで。
高いにもかかわらず売れてるらしいけど、解る気がする。ウォークマン以来音楽を持ち出すことはあたりまえになったけど、携帯だとまたちょっと違う感じ、進化した感じがするところが不思議。なんせ、居酒屋でYESってのがいいやね。
なんと、7拍子とは。それでいて、まったく難解さやマニアックさを感じさせないところ、才能を感じますな。
歌もなんか、力が入ってなくてよいね。ファンになりました。もっといろいろ聴かせてください。
ついに本格的に花粉症デビューだ。昨日は目が痒くてくしゃみが出まくった。
なぜかあるキーワードが気になって、そうするといろんなところで偶然にもそのキーワードを目にしたり聞いたりすることがタマにある。「よくある」という人もいる。それがアイデアだったり、コンセプトだったりすると、これはなんか「来てるな」なんて気になる。それで大成功した、というケースはボクにはまだないんだけど。
でも、アイデアでもコンセプトでもキャッチフレーズでもなんでもないのに、なぜか続けざまに遭遇する、これはどう考えればよいのだろうか?
M&Iカンパニーという会社がある。海外アーティストの招聘業務、つまり洋楽のコンサート・プロモートがメインで、レーベルも運営している。recommuniで、FIELDというグループの曲のレコメンドが来ているので、権利者を調べたらこの会社だった。失礼ながらというか不勉強ながら、それまでこの会社の名前は知らなかった。
担当のYさんとは昨年12月には連絡とれたんだけど、スケジュールが合わなくて、年を越し、さらに海外出張に行かれたりで、2月9日にやっと会えた。前向きな話ができて、許諾もおそらくいただけるということになり、やれやれ一段落。
と、その翌週15日、NTTドコモのSさんから電話がかかってきて、「福岡さん、えむあんどあいかんぱにーって知ってます?」と訊かれた。ドコモの「メロディコール」のサービスで、M&I保有のARBの音源を配信したいからというのだ。ちょっとビックリしながら、Yさんにまた連絡をとり、その件をお願いしてあげる。
そのまた翌週、27日の日曜、ボクがドラムを担当しているオヤジ・バンド「the Old Heart Of Mine」のリハがあり、終了後雑談してると、友人Nが、6月4、5日に日比谷の野音でやるブルース・フェスティバルに行くんだけど、さてどちらの日だっけな、とポケットからチケットの領収書を取り出したら、そこになんと、M&Iカンパニーの名前が!恒例のブルース・フェスティバル(今回は20周年だそうな)はM&Iが主催だったのだ。
これまで50年間まったく知らなかったこの会社に、今年の2月の3週間だけで、3回も縁を持つとは。なんかの力が働いているとしか思えないんだけれど。つまり「来てる」のか。だけど何が?
M&Iカンパニーと積極的に仕事すればよいのだろうか?ブルース・フェスに行けばよいのだろうか?
ただし最初に言ったように、「来てる」と思っても、何かはっきりと成功に結びついたという経験はないので、今回も何か特別なことが起こるとは思わないんだけどね。せめてM&Iカンパニーに幸あれ!
2005.03.06
福岡智彦
AEL Recordsという短命だったレーベルからリリースされた幻のファースト・ミニアルバムBLUE+BLUE(アオプラスアオ)』収録。
民謡と童謡のスピリットがソフト・ロックの中でくるくるウズを巻く。
CDは廃盤だけどこちらで買えます。ただし在庫僅か。
http://harmo
AEL Recordsという短命だったレーベルからリリースされた幻のファースト・ミニアルバムBLUE+BLUE(アオプラスアオ)』収録。
「宇宙」を感じる曲。星空を眺めながら聴くと最高。
CDは廃盤だけどこちらで買えます。ただし在庫僅か。
http://harmo