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モヘンジョだろ!!TartucaでLuce2000を飲みつつ事情聴取w。決して恵まれてないわけではないのに、どーしてこんなに色々大変なことが起こるんでしょうねぇ。相川さん。
某消費者金融のテレビコマーシャルで、シミュレーションをシュミレーションとモロに発音しているのが気になって仕方ない。すごいイライラする。もう。
今日突然延滞してたことが発覚。即払おうと思ったんだけど、金額がプチ高額(見栄)だったので、財布代わりにしているネットバンク口座の残高が足りないorz...というわけで、参宮橋まで出かけてとりあえずATMで現金ゲットォォォ!しかしその現金でそのまま振込できるATMが参宮橋近辺には皆無で、安牌だと思っていた郵便局の窓口でも無理!しょうがないから一回会社に戻ってキャッシュカードを改めてゲットして、一旦通常口座に現金を預け入れて、会社に戻ってネット経由で指定口座に振り込んだ。回りくどすぎてメマイがした。
なにもかもCITIBANKが任意の口座に振り込めないのが悪いんじゃ!しかもそれってCITIBANKの都合じゃん!前出来てたことを急にやめやがってぇぇぇキー!と言い続けて2年くらい手を打たない僕もダメ人間なのだが。
‥と相当憤慨してたところに、また区役所から電話で出てみたら全然別の係から別の税金の催促がきた。‥‥払う気はあるんだからせめていっぺんに言ってくれ。マジで。
ラックの谷間でキーボードを膝の上に乗せて、しかもその膝は片足立ちの上がった方だったりするときに地震が来たもんだから、もう大変ですよ。勘弁してくださいよ。東京嫌い。10億年くらい地震が無いところに引っ越したい。
久しぶりに桐島家とランチ。列ができてるとかピザーラ経営だとか聞いてあまり良い印象がなかったんだけど、ぜんぜん普通に豪華で楽しい皿が出てきてホスピタリティもそれなり。ちょっと価格が高めだけども。隣の人が食べてるカリフラワーのスープがおいしそうだった。あと、デザートのブリュレが微妙にフィリップ・スタルク風味だった!
そのあと五反田で会議したあと、一旦代々木に戻って(実際戻った)レコミュニの開発をやろうと思ったんだけど企画会議を優先てことで南麻布へ。なんだか六本木とか麻布をひたすらウロウロしている自分が悲しい。移動ばかりでちっとも生産的じゃないZE!
23時くらいにやっと代々木に戻って、明日から始めるレコミュニニュース配信の準備。ちょっとしくじった...うひー。
ここんところ毎日ムーンライダーズのPissin'Onlineの音源2つをレコメンド付でアップロードしようと思いつつ、もう10日以上たっちまったよ。アップロードしたら許諾出るのかな。出なかったら出なかったで面白いんですけども。
昨日、今日と全然違うミーティングにインターンな人が居て、しかも両方とも主にSFCの人だったりしたので、SFCはただいま絶賛インターン祭実施中なのかと思った。それにしても僕がSFCで働いてたのはもう11年前になるんだなぁ。すごい昔だなぁ。そんなに昔なのに僕のことを聞いたことがあるとか言われるのは光栄だなぁ。でもどんな評判なのかにゃー。きになるなー。うそ。そして、INTERIMと書いてインターンと発音するにはちょっと無理がありますね。
防忘。早朝トラブルの電話で起こされてその対処2時間。結局シノニムのAnalyze忘れ。そのあと六本木に移動、会議。ひろゆき遅刻。トップと話しているのになんとなくフワーとした感じで話が流れがちなのは何故。ヤバめ。そしてそのあと三人中一人だけおごられてあとはワリカンという無茶苦茶奇妙な体験をした。ショック!というか、僕達がそれをどういう意味だと思うか、その辺に気づいたりしてたらとてもじゃないけど(略)。そのあと来週の合宿準備会議のあと、開発作業もポチポチして、某社のボード会議。鈴木さんの電話を横で聞いていると面白すぎなんだけど、協力してくれるはずのパートナー候補企業がプロジェクトの足を引っ張り気味なのがムカつく。2000万円って一体なんですか(怒)!みたいな!そして今からそんなおおがかりな開発を二末までにとか言われてもなぁ…そんな感じで終りつつ佐野くんと一瞬話してブラジルにセラーを設置するのは無理っぽいので4Fに置こうなどという話をしつつ、NMNL社へ移動。これはこれで5つくらいテーマがあって全部話したので疲れた。トラックバック盛り上がってて良かったですね。結局電話ちゃんと一緒に渋谷の一蘭でラーメン食べて歩いて帰宅。あ、もう一つのBlogに書くネタ考えなきゃ。
申告所得税の意味が未だに分からん。もともと見込みで事前に徴収してるものなのに延滞税とかつくのは何故だ?もう。税制そのものを変えたい。またはこうなった経緯を全部把握したい。
もしかしてa band apartってこと?なんかカッコイイぞ。
1GBタイプを電話ちゃんが買ってきてくれた。本当に軽い。蓋の裏についてる玉、ロゴの微妙な加工、電池残量表示のLEDにAppleのモノづくりに対する丁寧さをみて感心した。首からぶら下げるアクセサリが出たら便利かもしれない。ていうか、もうあるんだろうな。今のところrecommuniで買った曲専用の入れものになってて具合が良い。ひとまず近いうちにこれを一杯にするくらい好みの曲がアップロードされるといいなぁ。
日記からどっかのBlogにTBを打てるようにしたい欲望がフツフツと湧いて来た。けど、メールキューシステムのほうが先だ...orz
書式を埋める、といったことが常人のたぶん100倍以上苦手なんですけど、頑張って、海外ダイアルアップ用に確保してしばらく使ってなかったプロバイダを解約して、別のADSL契約を光のVDSL契約に切り替えるという僕にとっては離れ技をやってのけてみた。その消耗感と達成感たるや。
午後、電話ちゃんから「chusonji.comに中尊寺ゆつこが亡くなったって書いてあるけど、改暫されてるんじゃないの?」みたいな知らせを受けて慌ててアクセス記録を調べたりして、どうやら変なアクセスは無いことが分かり、ということはこの内容は真実なのか!?…ということで、急逝を知った。
確か年賀状が来てたし、元気そうなことが書いてあったよななんて思いながら、本人の携帯電話をコールするわけにもいかず、せめてスムーズにchusonji.comからデータを送り出そうと思って、ちょこちょことチューニングしてみた。でも、いくらシステムの割り当てリソースを増やしても全然追い付かない。アベレージで20Mbpsを越えたあたりで諦めて、それ以上のチューニングをやめた。
chusonji.comに訃報が載ったのは9時半過ぎのようだ。どうにも信じられないので、アシスタント氏の携帯電話番号を過去メールから掘り出そうとしたんだけど、どうにも出て来ないし、出て来たとしてもやっぱりまだかけられないような気がして、2ちゃんねる検索で色んなスレを眺めてみる。昼過ぎにはテレビニュースで報じられたようだ。うーむ。こうやってリアリティが積み重なってくるんだな。
中尊寺さんと知り合ったのは多分、1999年あたりにやってた著作権についてのアーティストの意識を高める(←この説明は思いっきり端折ってるけど)ことを狙ったMAAという組織のミーティングだったように思う。もしかしたらMP3について思いっきり技術的な解説をした第一回目の勉強会から出席してくれていたかもしれない。その後、中尊寺さんはコアメンバーに入ってくれて、MAA関連の色んな会議やイベントで同席した。複雑で形而上的になりがちな著作権についての議論で、皆が煮詰まったような時に「でもさ〜」みたいな良い意味でユルい感じですごく分かりやすい話に落としてくれて、かつ本質をうまく捉えた例え話なんかもしてくれて、なんというか、女性的なのにスマートっていうのはこういうことか!と感心した憶えがある。当時、著作権等管理事業法が成立しかかっていて、その狙いは音楽著作権管理の事実上の独占状態をなんとかしようということだったから、MAAも音楽著作権について意見を述べることが多くなってしまって、建築とかデザインとか漫画のような分野からの参加者には即時役立つようなことが少なかったにも関わらず、割とイデオロギーみたいなところから、技術の話や、法的テクニックやみたいなややこしいことまで面白がってくれた、(コアメンバーの中でも)珍しい人だった。
そういう繋がりで、なんとなく1999年3月にchusonji.comを取得するのを手伝って、中尊寺さんとアシスタント氏が一生懸命頑張ってウェブサイトを作るのも手伝ったりした。時期の前後は忘れてしまったけど、そのお礼で、フレンチレストランに連れてってもらったりしたなぁ。どこだったか忘れてしまったぞ。その佇まいは良く憶えてるんだけど。ボルドーのワインを飲んだのも憶えてる。確か、車で来てるのに1本飲んだらたいへんなことになるということで我慢してハーフボトルにしたような。
あと、横浜の家にもMacintoshの何かを直すみたいな目的で訪ねたことがあった。アトリエで何をどう直したのかよく憶えてないんだが、アシスタント氏と中尊寺さんの母上と犬の記憶があって、ディナーを一緒にいただいた。中尊寺さん自身が作ったサラダとかパスタとかが一杯出てきてすげーびっくりした。たしかそのときにはじめて小林さんをパートナーとして紹介してくれたんじゃなかったかな。俺こんなにもてなされてるよ!いいのか!?みたいな気持になった。
そんな感じで折々で接点があったんだけど、僕が忙しくてウェブサイトが落ち着いてからはなかなか会う機会もなく、たまに講演会の会場から電話がかかって来てビデオのミラーリングってどうやるか分からないから2分で教えて!とかどこかの家電量販の売場から、目の前の部品のうちどれ買えばいいの?とか、そういう楽しい電話がかかってきたりとか、改めて考えると、倭央くんが産まれることとかニューヨークの家に無茶苦茶金がかかったこととか、アフリカ行くこととか…割とマメにメールくれてたなぁ。そういえばスパムが増えて来たから対策教えてみたいなメールが来てたのに返事できてなかった。今となってはとても悔しい。今からでも返事書いたら普通にまた返事が返ってくるような気がする。
最後に会ったのは、一体いつなんだっけ...小林さんがディジティミニミにiBookか何かの設定だか修理だかに来てくれたときには中尊寺さんは結局来れなかったような気がするし。その前に一回くらいは二人で遊びにきてくれたような気もするし、もしかしたらそれは錯覚かもしれないし。
僕の中では、CLUB KINGのDICTIONARYでボーギングをしてるっぽい上半身の写真を見て「中尊寺ゆつこという漫画家はこんなに綺麗なのか〜っ!?」と思ったのが始まり。そういう人と、ひょんなことから微妙に年上の友人として色んな機会を共有できるようになって、それがずっと続くもんだと何も考えずに思ってたんだけど、いきなりそうじゃなくなった。いきなりすぎて、まだまとまらないや。
まあ、まとまらないままに。
某サーバ機がいきなり死んだので夜中タクシーでサーバセンターまで様子を見に行った。
山手通りを適当に歩いてるとちょうど信号待ちをしてる個人タクシーを発見したのでなんとなく得した気分だ。個人タクシーは深夜2割増だから、普通の企業タクシーより1割得なんだけど、それよりも最近気づいたのは、白地に青いラインがあって、★が三つほどついてるタクシーは、性能が良いから乗車してて楽なのだ。企業タクシーのボロめの車だと他の車と並んで走るのがやっとの感じがするんだけど、個人タクシーはスイスイ走る感じがして、結局乗ってる間のストレスというか、気疲れみたいなものが相対的に少ない。あと全部ではないけど運転が滑らかで道をよく知ってる人が多いようにも思う。というわけで今まではあまり意識してなかったけど、これからはなるべく個人に乗るようにしようと思った。
のはさておき、行ってみたらマザボが死んでる風味。モニタとキーボードを接続して復活の舞を舞いつつ祈りながらスイッチを入れてもBIOSまで行けない感じ。モニタは真っ黒。悩んでてもしょうがないので、サービスを復活させるために代替機を探し求めてウロウロしたんだけど、あいにく使えそうな手持ちの機材がないので、ちょっと他のサービス中のサーバを融通してみた。
方針が決まったらまああとはHDDとメモリとPCIボードを移して調整して終り。しかし、マザーボードが死んだサーバ機は本当にどうしようも無い箱になってしまう。1Uに入れるために特殊な作りになってるから、旧くなると替えようがなく、捨てるのにも金かかるし...みたいな状態になってしまってとても弱る。
そういう箱が最近ちょっとずつ確実に増えて来た。一ついくら払えば目の前から消せるんだろうか。ていうか、そういう箱を眺めてると悲しくなる。今まで頑張って動いてたのにね。修理できたらいいのに。
コメント
NT、色々感謝だよ。
このひと月の惨事は日記にでも残すかね。
加減が肝要かと。